公爵様の歪な愛情

七生 雨巳

その男

時代小説にチャレンジして玉砕したものの焼き直しです。

タイトルは夢に出てきた小説から。読もうとして目が覚めたので内容は知らない。






 湿度の高い夜である

 野犬の遠吠えが漆をながしたような夜の静寂に渦を巻くように消えて行く。

 木と石と紙とで造られた建物が犇めく町中の所々に設けられた用水桶と泉水の水が風にあおられて音をたてる。

 女王陛下のおわす御座所のあかりが遠く瞬いている。

 

 どこの世界かはわからない。

 同じくどこの国のどの時代とも。

 それでも少しだけ、この世界の日本という国の江戸時代にどことなく似た世界だった。


 弓張り月の弧にも似た白銀の軌跡が家々の戸口に揺らぐ灯火を弾いた。

 刹那遅れて。

 濁った悲鳴が闇を引き裂き、用水桶が崩れる音が深夜の眠りを揺るがせた。しかし、家々の戸口が開く気配はなかった。

 地面に落ちた提灯の外枠に蝋燭の火が燃え移り、かすかな音とともにひときわ大きな炎と化して消える寸前に、持ち主の断末魔の表情が照らし出された。そうしてそこには今ひとり。それは頭巾を着けた男である。上質な絹織物が残光を宿して風に揺れる。手にした反りのある刀から赤い血が黒く刃を伝いながれていく。

 殿ーーーと呼ぶ声がする。ひそやかに、それでいて慌ただしい雰囲気を孕んだ複数の足音が男の周囲に集まった。

「お戻りくだされ」

 嗄れた声が乞う。

「どうか」

 病んだように弱々しい、しかし若いであろう声がささやかな声量で願った。

「おまえまで来たのか」

 心をどこかに飛ばしたような声が言う。低い壮年の声である。

「爺じい。なぜ連れ出した」

 声なく跪く気配があった。静かでいながら内に強こわいものを秘めた叱責に頭を垂れて震える老爺ろうやの気配は彼の纏う衣の衣擦れの音から察せられた。

「もうしわけ、ございませぬっ」

 掠れ声の謝罪の後、

「よい」と、男の肯いがあり、「戻る」と継いだ言の葉と同時に男が手にした得物を一振り、懐紙で拭うや鞘に収めた。

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