11-4 水と石炭

「そうは言っても、義人人形が人間になるのは不可能でしょう」


 生身の人間が足を切断してしまったら義足を付ける。手を切断してしまったら義手を付ける。失った部分を義部位で補う。その思考の延長線上で人間の体全てを義部位としたのが義人人形の始まりだ。だが、逆は、恐らく考えられたことすら無いのではないか。


「そこで、このメイドが持っている賢者の石の出番なのだよ。賢者の石は、三つの願いを叶える力を持っているという。夏の山火事の日に、金色の光の柱が立ち昇ったのが何人ものダルレス市民に目撃されている。あれは、賢者の石の力が一回使われたということだったならば、私の見落としさえ無ければ、あと二回、願いを叶える力が残っているはずだ」


 あの山火事の日、ダイアリーの胸から金色の強い光が発せられて、火に包囲されて逃げ場を失ったダイアリーは瞬間移動で安全な場所に転移していた。原理の分からない現象だったが、賢者の石による願いを叶える力の発動だったのだとしたら、ご主人さまを残して焼失したくない、という願いが奇跡の発動となったのだ。


「確かにあの時は不思議なことが起きました。ですが、わたくしは賢者の石などという物は持ち合わせていません。この金の十字架も違うんですよね」


「賢者の石はあんたの体内にある。恐らくは心臓がそうだろう。あんたは特殊な義人人形だ。賢者の石を熱源としているんだ。そうだろう?」


 ダイアリーとヴァンサンの問答に、マルトが容喙する。


「言っていることの意味が分かりませんね。義人人形の心臓が賢者の石なら、ヴァンサンさんの心臓だってそうなんじゃないですか」


「この私は、見た目がむさくるしいオジサンという部分は、確かに特別な義人人形だ。しかしそれ以外は普通に蒸気機関で動く義人人形なのだ。水と石炭を補給する。比較的決まった動きをすることが多いメイドならばともかく、高度な技術を必要とすることはできないのが義人人形だ。訓練すればできるようにはなるが、そのためには厖大な時間と労力を支払う必要がある。私の絵を描く技術は、あくまでも自分の努力によって獲得したものだ。その一方、単純労働者として働くには、石炭を消費するので、費用対効果が良くはない。だから金持ち貴族のメイドでなければ義人人形は活躍の場が無いのが実情だ。私も含めて普通の義人人形は、石炭を消費するのだよ。それも結構な量を。だからこの部屋にも、あそこに、石炭を大量に備蓄しておくための大きな木箱があるだろう」


 ヴァンサンが示した通り、部屋の隅に蓋の無い大きな胡桃材の箱があり、中には黒光りする鉱物がぎっしり入っている。


「メイドのダイアリーさん。あなたは、煙草は吸わないと以前に言っていましたな。ところで石炭を消費しますかな?」


 ヴァンサンの問いに、ダイアリーは言葉を失った。


「そ、そう言われてみれば、ダイアリーって、水だけ補給して動いていたような」


「常識で考えてみてほしい。蒸気機関が水だけで動くと思うかね。石炭か、あるいは他のものでもいいのかもしれないが、熱を発生させて水を蒸気にすることが必要だ。石炭などの燃料補給無しに稼働が可能ならば、それは体内に永久に近い熱源があるということだ。そんなことができるのは、この世に賢者の石しか無い。ダイアリーさん、あなた、自分がどうやって動いているか考えたことがありますかな?」


 床に座り込んだままで、ヴァンサンは側に立つダイアリーを見上げた。


「わ、わたくしは、元はといえば、博士の亡くなった娘さんの代替として製造されたのです。博士の娘さんは、不治の病に冒されていました。博士はそれを治すために万能薬のエリクサーを研究していました。でもエリクサーの完成が間に合わなかったため、娘さんは亡くなりました。そのエリクサーを使って、わたくしは義人人形として稼働している、と聞きました」


□■■


「やはりな。そのエリクサーというのが、賢者の石のことだよ。エリクサーと賢者の石で認識にズレがあったからずっと話が平行線だったのか」


 自らの推測の正しさを確信したのか、ヴァンサンは立ち上がり、テーブルの方に歩いていった。


「ちょっと待ってください。僕は、エリクサーと賢者の石が同じ物というのは聞いたことがありません。エリクサーって、伝説に聞く万能薬ですよね。永遠の命をもたらすとの言い伝えも聞いたことがあります。その一方で賢者の石は中世の錬金術師が卑金属の鉛から貴金属の黄金を作り出すために、調和をもたらす新物体とかなんとかいった話を聞いたことがあります。でも、両者は同じ物としては結びつかないはずです。そもそも錬金術なんて中世の頃のお話ですよね」


 マルトが自分の知識範囲で話している間にヴァンサンは、部屋の隅の木箱の側へ行き、その中から小さめの石炭を取り出した。大きく開けた自らの口の中へ放り込み丸飲みする。更に同様に何個かの石炭を食べると、憔悴していた画家ヴァンサンは少し顔色が良くなったようだった。


「メイドのダイアリーさんから聞いた話では、マルトご主人さまは吟遊詩人というではないか。それだって中世にあった過去の遺物ではないのかね」


 そう言われるとマルトには反論の言葉は無かった。


「メイドもご主人さまも、ご存知ないようだから、ここで簡単に錬金術の歴史を講義しておこうじゃないか。そうすればエリクサーと賢者の石が等しい物だと納得してくれることだろう。元を辿れば、錬金術の始まりは古代の東方の竜王国だ。そこで錬丹術と呼ばれていて、不老不死の薬を作ることを研究していた。竜王国と交易していたアッバース帝国にその技術が伝わり、錬金術と呼ばれるようになったのだ。アッバース帝国の有名な王様であるハールーン王の時代に、ジャービルという錬金術師がいた。別名にゲーベルとも呼ばれるようだ。そのジャービル錬金術師が、開発した薬がエリクサーだ。それは不完全なものを完全にして長寿をもたらす新物体だった。ジャービルはそのエリクサーを使って、名家の姫君の病気を治し名声を博したと言われている。そしてエリクサーは不完全なものを完全にするものなのだから、卑金属を貴金属へと物質の転換ができる、と唱えた。それこそが、中世の錬金術師の最大の成果、賢者の石と呼ばれる物なのだよ。賢者というのはジャービル錬金術師のことだったと考えて良いかもしれないな」


 ヴァンサンはテーブルの上の水差しからマグカップに水を注ぎ、それを器用に飲んだ。パイプを咥えたままである。長話をしたから喉を潤したようにも見える。水を飲む姿は、生身の人間と差異は無く、外観では全く区別がつかない。パイプからは煙草にしては黒い煙が吐き出されている。煙草の煙ではなく、体内での石炭の燃焼により発生した煙だったのだ。


「だが、賢者の石は、卑金属である鉛を貴金属に転換することができるエリクサーとしての永遠の命を司ることができるあまりにも万能すぎる卑小な人間の手には持て余す危険な力だ。ということで、女神ジュリア教団のもとでは、異端の怪しい物質として取り締まる流れとなった」


「じゃあ何故、十字架護持者として取り締まるべき立場のヴァンサンさんが、賢者の石の力を求めているのですか。これはおかしな話ではありませんか」


「賢者の石といっても、現実はそこまで万能ではないようだ。噂に聞くように三つの願いを叶える力を持っているという。逆に言えば、三つの願いを叶えてしまえば、その力を失ってしまい、ただの石になってしまうのではないかと思われる。賢者の石などという危険な物体が存在していれば、欲望に駆られてそれを手に入れようとする人々の間で醜い争いが起こることも想定されよう。だったら、とっとと三つの願いの力を使い切ることによって賢者の石が無くなってただの石礫になってしまえば安全で安心だ。十字架護持者としての役目も果たせて、言うことなしの明快解決だ」


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