11-2 人間か機械か

「僕のことよりも、オッサン二人でダイアリーに何をする気ですか。変なことをしたらタダではおかないぞ!」


 椅子に縛られたままのマルトが強い声ですごんだ。ヴァンサンはマルトの声に怯むこともなく不敵な笑みを浮かべた。


「変なことなんかしない。義人人形には男女問わず性的機能なんて何も無いし。ダイアリーさん。あなたは、持っている賢者の石の力を使って、私とポールの願いを一つずつ叶えてほしい。それだけです。簡単でしょう」


 ヴァンサンの言っていることの意味を充分に把握できなかったマルトとダイアリーが、怪訝な表情でお互いに顔を見合わせた。横から口を挟んだのは、ヴァンサンとは反対側からダイアリーを支えているポールだった。


「そのことなんだけどな、ヴァンサン。俺は、賢者の石の異端の力に叶えてもらいたい願いなんて、よく考えたら無いわ」


「なんだって、ポール」


 ヴァンサンの表情が歪んだ。


「俺はもう、ヴァンサンの我儘に振り回されるのはゴメンだわ。あんたとあんたの弟に世話になったのは事実だけど、もう十分義理は果たしただろう。だから、共同生活も、あんたに力を貸すのも今日までだ」


「何を言っているんだポール。せっかく始まったばかりの夢の共同生活だぞ」


「俺はこの黄色い家を出て、ルテティアの都へ戻るわ。幸い、一枚も絵が売れていないヴァンサンとは違って、俺の絵はルテティアの画商にも高く評価されていて高値で売れているから、金にも困っていないしね。将来的に南の島へ行きたいという自分の夢は、近いうちに自分の実力で稼いだ金で叶えるよ。異端の石の力なんて借りる必要なんて無いんだわ」


 相棒ポールの言葉を聞いたヴァンサンは、その場で床にへたり込んで、すすり泣き始めた。


「ポールよ、念のため一つ訂正しておくけど、私の絵は一枚だけ売れているんだよ。ただし買ってくれたのは知り合いの画家の妹で、つまりは義理で買ってくれたんだ。実質的に一枚も売れていないことは事実だ。何の慰めにもならない事実だけどな」


 その言葉には悲痛な自虐しか無かった。


「ポール。あんたの絵が成功したのは、このダルレスの街に来て、俺と共同生活をして、これから発想を得たからじゃないのか? もっと突っ込んで言えば私の作風をある程度 模倣した絵が評価されたんだろう」


 床にへたり込んだヴァンサンは、ダイアリーを挟んだ反対側に立つポールを涙をためたまま恨みがましい目で見上げた。


「もちろんダルレスでの君との共同生活が転機になったのは事実で、それを提案してくれたヴァンサンには感謝しているとも。だからこれからは、俺がヴァンサンを経済的に支援してもいい。君の弟のテオくんの支援をアテにしなくてもいいんだよ」


「そういうことじゃねえんだよ!」


 ヴァンサンは怒鳴った。いや叫んだ。涙の代わりに血涙が溢れるような張りつめた声だった。


 突然始まったヴァンサンとポールの仲間割れ。連れて来られたばかりのダイアリーと椅子にくくられたままのマルトは、戸惑いの表情を浮かべるばかりだった。


「経済的支援を受けていくら絵を描いても根本的にダメなんだよ。私とポールの絵は流派的な観点からいえば、内面性を描くことを目的とした近い位置にある作風の絵なのに、私の絵は実質的に一枚も売れなくて ポールの絵は都で売れている。これが我慢ならないんだよ。私は一〇〇年前に民主革命で高らかに人権が保障された人間になりたいんだよ!」


 ヴァンサンは両手で顔を覆って号泣していた。


 絵画と音楽の差はあれども自身も芸術家であるマルトがおずおずと自分の意見を述べる。


「それって売れる人と売れない人の絵の間には、作風としては近くても、専門家なら分かるような細かい技術的な差があるってことじゃないのかな」


 ヴァンサンは右手の甲で涙を拭って椅子に座ったままのマルトを睨め付けた。


「マルトご主人さまよ、いいことを言うなあ。技術的なことで言えば、私の方がほんの少しではあるけど、ポールより優れているんだよ。いや、優れているというのは正しくない言い方だ。正確に言うなら、私の絵の方が素人受けが良いのだ。ポールの絵はやや玄人向けなのだ。あんたは絵については素人なのかな。だったら、この部屋の中にたくさん壁に飾ってある絵のうち、どれが私の描いた作品で、どれがポールの描いた絵であるか分かるかね? ついでに、どれが写真か分かるかい?」


 椅子に座って縛られたままなので真後ろを振り向くことはできないが、壁の三方は見渡すことができる。黄色い壁には、何枚も何枚もの絵画が掛けてある。青い空を背景にして木に咲く白い花を描いたもの。建物。寄り添って散歩する老夫婦と周囲の景色。砂浜に引き上げられている舟。運河と跳ね橋。花瓶に飾られた向日葵、など。題材もあれこれ多彩だ。これらの絵が、ヴァンサンが描いたものか、ポールが描いたものかは分からない。そもそもマルトは今日初めて二人の絵を見るのだ。作風の違いなど分かるはずもない。二人とも近い作風で描いているというから尚更だ。どちらの画家が描いた絵にせよ、画家としての情熱の高さは伝わってくる。


「僕は絵については素人だし、そもそも、ヴァンサンさんとそっちのポールさんの画風の違いなんて知らないから、作者が誰かなんて判別はできませんよ。でも、写真だけは分かります。あそこの、風車を描いた絵と、教会の鐘楼を描いた絵の間に、全体的に茶色っぽい、人物が二人並んで立っている紙がありますよね。あれって、ヴァンサンさんとポールさんを写した写真だと思います」


 マルトは手を動かせないので、顎でしゃくって写真の方を示した。後ろ手の縄を緩めようと手を捻っている。


「正解だ。ところで、あの写真と、人物画の違いって、どこにあるか分かるかな」


「え?」


 マルトは他の人物画を探した。見渡せる範囲では、ヴァンサンを描いたらしい絵が二枚あった。ヴァンサンをモデルとしてポールが描いた作品なのか、それともヴァンサンが自身を描いた自画像なのかは分からない。


「写真の方は、二人が一緒に写っている、ということですかね。油絵は二枚ともヴァンサンさん一人しか描かれていないし」


「そういう話じゃないんだ。正解を言うと、人間が描いたものが絵画だ。そしてカメラという機械が描いた絵が写真ということだ。重要なのは、人間が描いたか、機械が描いたかの違いだ。だからここには、本当は絵など無いのだよ」


 ヴァンサンが発表した正解を聞いて、マルトは疲れた表情をした。ヴァンサンの言っている意味が飲み込めない。ずっと縛られたまま同じ格好なので実際に疲労もある。体のあちこちの筋が痛くなってきている。


「人間か。機械か。それが重要なんだよ」


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