煙草にけぶる愛だの

K.night

第1話 最初と最後を繋げて

ふう、と吐いた煙草が目に入って痛かった。電車の駅の端っこに置いてある灰皿に煙草を落とす。見上げた空もくぶっているように見える秋の夜。家に帰ったら、課題をしないといけない。家であまり煙草を吸うと母親に怒らることもあり、3本目の煙草に火をつけた。


少し、日常がめんどくさい。


就職先も無事に決まり、後は単位を落とさなければいい。順調なはずだけれど。


駅のアナウンスが最終便の案内をしだした。もうそんな時間か。さすがに、帰らなければいけない。


最後の電車なのに、いつもより多く人が出てきた。見ていると、同じような格好をしている人がいる。どこかでライブでもあったのだろう。その中の一人が、こちら側に来た。恐らくライブグッズであろう袋にたくさんのものを入れていたので潰れないように人ごみを避けたのだろう。


「松下君?」


呼びかけられて、気づく。同じ学科の子だった。何回か顔は見たことがある。いつもズボンをはいていて、地味な子だった。


「あー・・・。」

「ひどいなぁ。由香だよ!木下由香!」

「木下さん!」

「同じ学科なのになあ。」

「悪い、名前覚えるの苦手なんだ。ライブ帰り?」

「そう!もうすごいよかったんだから!」


そういって、彼女は着ているライブTシャツを見せてきた。「Steam」と書かれている。


「え?もしかして、Steamを知らない?」

「悪い。」

「嘘!人生損してるって!」

「俺、その言葉信じないタイプ。」

「これは本当だもん!」


煙草を灰皿に捨て、俺は木下と一緒に駅を出た。彼女の一人暮らしをしている家と、俺の実家の家が近いことを初めて知った。


彼女はワイヤレスのヘッドフォンを俺につけて、この曲のここがいいだの、歌唱力がすごいだの熱弁した。曲と彼女の声がノイズみたいで、俺は苦笑しながらはいはい、と聞いていた。でも彼女があまりにも熱弁していたので、深夜の課題のお供に久々煙ではなく、勧められた曲を聞いた。スマホのYouTubeから聞こえる音はやっぱり少しガチャガチャしていたけれど、少しいいなと思った。


「ごめんね、昨日はライブ後ですごくテンション高くて・・・。うざかったよね?」


次の日、大学でそう話しかけてきた彼女とよく話すようになった。彼女は基本、大人しくて好きなこと以外には無頓着なタイプだった。化粧っけもなく、基本的にはTシャツとパンツ姿。髪も無造作にあげているだけ。だけど、好きなものを語る時はとても嬉しそうで、かわいかった。俺は彼女においしいご飯屋やおすすめの服屋を教え、彼女は俺に色んなバンドや曲を教えた。


おすすめのライブに二人で行った。初めてのライブは楽しくて、俺たちは付き合うことになった。


俺はそれなりに有名な商社に就職が決まっていて、彼女は小さなイベント会社に就職が決まっていた。調べてみたら、かなり重労働そうなのに給料も安かった。俺が支えてやらなきゃな、と思っていた。


そんなことも思っていたな、と彼女の部屋のベランダで、煙草を吸いながら思う。彼女の部屋には引越しの段ボールが積んである。もっとアクセスがいいところに引っ越すそうだ。俺は、変わらず実家暮らしだった。


彼女は変わった。きちんと化粧をし、口紅を塗るようになった。スーツに身を包み、ヒールで駆け回っている。おいしいご飯屋も服屋も彼女の方が詳しくなった。


俺は慣れない仕事と数字に追われ、毎朝ネクタイを締めると自分の首を絞めている気分になった。普段着の服なんて、もうだいぶ買っていない。


俺は仕事の愚痴が山ほどあったが、彼女は走り回ってできた靴擦れを勲章と笑った。


俺はいまだにSteamの曲を時々聞くが、彼女は今サポートしている新人バンドの曲を家でひたすら流すようになった。


俺はいまだに実家暮らしだが、彼女が次に引っ越す先も一人暮らし用だ。一人で決めてきた。


つまりはそういうことだ。


「ごめん!遅くなって!」


由香が帰ってきた。手にケーキの箱を持って。


「じゃーん!ケーキ買ってきたよ!夜でも開いてるケーキ屋見つけたんだ。」

「ここで祝うのかよ。」

「いいじゃん、いいじゃん。お酒もあるし。」

「付き合って、3年か。」

「ねー、長くなったね。」


由香は冷蔵庫からワインを取り出して、グラスを探している。


「由香。」

「んー?」

「別れよう。」


由香はグラスを探す手を止めず、見つけたコップを持って、戻ってきた。


「ケーキ、二個あるから食べよう。」

「聞こえた?」

「聞こえたよ。」

「どうする?」

「泣いてすがれば別れないの?」

「すがってくれるのか?」

「まさか。」


由香がケーキを差し出して来たので、そのまま黙って二人で食べた。味がよくわからなくて、コップに注がれたワインで流し込んだ。


「薫。」

「ん?」

「明日さ、終電で帰るから、駅に迎えに来てよ。あの日みたいにさ。」

「あの日?」

「ライブ帰りに貴方に会ったあの日。」

「ああ。」

「それで、最後にしよう。」

「なんで?」

「最後の、わがままだよ。」

「わかった。」


次の日の夜、俺は駅の構内で彼女をまった。一番奥の、柱の元。空は今日も曇っている。構内に終電のアナウンスが聞こえる。


彼女はやってきた。出会った時と同じ、ライブTシャツを着て。化粧もせずに。


「お待たせ。あれ、煙草は?」

「撤去されたんだよ。」

「あらー。喫煙者に厳しいですね。これを機に止めちゃえば?」

「できるならとっくにやめてる。」

「間違いない。」

「それ、まだ持ってたんだ。」

「持ってたよ。ねえ、これ知ってる?」


あの日と同じようにライブTシャツを見せてくる。


「知ってるよ。」

「人生損した?」

「そうかも。」


あはは、と由香は笑って、二人で駅を出た。


「これでいいの?」

「うん。ありがとう。」


隣にいた彼女は前へ駆け出して俺に振り返る。


「ごめんね、薫。この日の私のままじゃなくて。」


彼女は笑っていた。あの日のように、キラキラした笑顔で。


「じゃあね!バイバイ!」


大きく手を振って、彼女はそのまま走って行ってしまった。


彼女は家に帰ったら、きっとあのTシャツを捨てて、引っ越していくのだろう。


俺は、家に帰ったら変わらずベランダで煙草を吸いながら、Steamの曲を聞いて、多分ちょっと泣くのだろう。

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