第34話 片割れ


「初耳ですね、何ですかその団体は」

 空とぼける古川を真正面から睨みつけながら、落合は低い声で返答する。

「ゾディアックってのは、黄道帯という意味で占星術の世界で使われる言葉だそうだ。ゾディアックには十二の星座が属していて、西洋占星術ではサインと呼ばれるようだがそんなことはどうでもいい」

 テーブルから身を乗り出し、古川に顔を近づける。

「ゾディアック団には最大十二人のメンバーが所属していて、彼らにはそれぞれ星座の名前に関連するコードネームが与えられる。さらに最も大きな特徴として、メンバーは身体の一部に星座のシンボルマークの刺青を彫っているんだ。おそらく、あんたもな」

「これはまた、映画か小説のような話ですね……あなたは、ここで私に身体検査を迫るのですか」

 公安捜査員の目を見返し、古川は穏やかな口調で訊ねる。落合は「いや」と首を振ると、

「んなこと要求せずとも、あんたは自分から申し出るさ。そのうちな」

 パイプ椅子をみしりと鳴らし、パーマ男は身を引いた。

「あんたが桜井芳郎と内密に会っていたのは、友枝殺しの一件をほかのメンバーから耳にしたからだろう。もしこれが予定になかった密会だとすれば、あんたと桜井にとってゾディアック団の動きは想定外のことだった。おそらく、組織の中でも思想が分裂しているんだろうな。あんたや桜井芳郎は詐欺事件の実行犯ではあったが、殺人といった過激な行動をよしとしない立場だったんじゃないのか? だが、そうは思わないメンバーも中にはいた」

 二枚の写真をテーブルに出す。浅黒い肌に精悍な顔立ちをした男と、赤髪に緩くパーマをかけた女の顔写真だ。

「友枝殺しの実行犯はこの二人だ。面も割れているし、男については素性も判明している。あんたも知っているはずだ」

「さあ。顔も名前も存じ上げませんね」

「存じ上げないわけがないだろ。お前とこの男、さらに言えば桜井芳郎の三人は少なくとも一度は顔を合わせているはずだ」

「なぜそこまで断言できるのですか」

「簡単明瞭だ――んだよ」

 冷静沈着だった古川の態度が、初めて変化した。口を半開きにして、対面に坐る落合を凝視する。

「今、なんと」

「おっと、聞こえなかったか。もう一度言ってやるよ、。ゾディアック団のことも、あんたと共謀した二年前の詐欺のこともな」

 眉間に皺を寄せ、「まさか」と囁く。唇が微かに震え、心なしか先ほどよりも顔色が冴えない。

「そのまさかなんだよ。それじゃ特別に、桜井がどんな供述をしたか教えてやろう」

 タブレットを手元に寄せて、捜査資料のデータを呼び出す。

「二年前、ゾディアック団に所属していたあんたと桜井芳郎はある犯罪計画を立てた。言うまでもなく立浜市連続詐欺事件のことだが、その手口はこうだ――桜井芳郎は被害者役を演じながら、ほかの被害者たちや警察の動向を監視する。実行犯は古川夏生、あんたにほかならない。

 あんたが注目したのは、昨今被害が拡大しているマッチングアプリを悪用した詐欺の手法だった。直接顔を合わせることもないし、アプリ上では自由に身分を偽ることができる。あんたは二人の男に成りすまして、あるマッチングアプリに入会する。アプリ上でのニックネームは〈〉と〈〉。仕事の関係で日本に移り住んでいるアメリカ人という設定だ。

 一人二役での犯行にしたのは、一役で詐欺を働くよりも警察の捜査を攪乱しやすいと考えたから。警察が捜査に乗り出したとき、犯人が二人いればグループによる犯行と推測するかもしれない。逆に、あまりに大人数を演じるとかえって不自然さが露呈してグループによる犯行を偽装しているのではと疑われる虞がある。詐欺の表舞台に出ていない裏方の犯人もいると思わせたほうが、より自然だからな。あんたの予感が的中したのか捜査員たちが能力不足だったのか、とにかく当時の警察がゾディアック団にたどり着くことはなかった。

 犯人役を外国人に設定した手腕もお見事だった。よほどあんたのキャラクターに適していたんだろうな。ホセもジェイスも物腰柔らかな紳士といった雰囲気だったと、被害者の多くが証言している。『自分のたわいもない話を親身に聴いてくれて、心が安らいだ』『どんな愚痴を言っても泣き言を吐いても、優しく包み込んでくれた』『自分を一度も否定しなかった』……女性たちはメロメロだったらしいぜ。顔も名前も国籍さえも偽っていた、架空の男二人にな」

 詐欺の主犯者は落合の話を遮ることなく、黙って耳を傾けている。顔の筋肉ひとつさえ微動だにせず、精巧に作られたラバーマスクを被っているかのようだ。

「頃合いを見計らって、今度はホセとジェイスの妻役が登場して被害者たちを脅迫する。『よくも旦那と浮気してくれたな。訴えない代わりに慰謝料を払え』とな。その妻役を演じたのが、この女だ」

 赤髪の美女の顔写真に手を伸ばし、古川の顔前に突きつけた。

「警察がそう簡単に自分たちにたどり着かないと、あんたは余裕綽々だったんじゃないのか。アプリ上で提出した身分証はもちろん偽装だろうし、古川夏生を特定できる痕跡は一切残さず、煙のように姿をくらました。まさか、現役の議員秘書が詐欺事件の主犯だなんて、警察も予想できないだろうからな。

 最も気になるのは、詐欺を働いた目的だ。現金を詐取するわけだから、やはり金目当てか? ゾディアック団の活動資金を得るためか? あり得る話だな。犯罪組織の中には国内で武器を密造したり密輸入したりしている連中もいる。金はあればあるほどいろんな活動ができるだろう。ただ、解せないのは詐欺事件を起こした後だ。あんたと桜井芳郎は、立浜市連続詐欺事件被害者支援団体という架空の支援組織を立ち上げて詐欺被害者の一部に救済金と称して一千五百万円を渡している。しかも、末永保彦の口座を経由させて現役政治家による慈善活動という御大層な名目をつくってだ」

 末永保彦名義の口座の出入金記録リストを再度指さし、落合は首を傾げる。

「詐欺で得た資金はおよそ三千万円。そのうち半分を被害者たちに返金しているってことになる。どう考えてもおかしな話だろ。加えて、救済金は末永保彦からの寄付ときたもんだ。これが公選法違反になることをあんたが知らないはずがない。せっかく稼いだ軍資金を半分失った上に、自分の身を滅ぼしかねない行為に及んだ。頓珍漢にもほどがあるぜ」

 パーマ頭に同意するように、古川は「そうですよ」と頷いた。

「そもそも、あなたが立てた仮説自体が間違っているのですから当然です。仮に、私が詐欺を働いたとして、仰るようになぜそのようなリスクを冒す必要があるのですか。まるで目的が解らない。ゆえに、仮説そのものが誤りなのです」

 古川はテーブルに両肘をつき、両手の指を絡める。落合に真っすぐ視線を向けて、

「あなたが考えたストーリーは大変面白かった。ですが、所詮は妄想の域を出ない話です。桜井とかいう男が何を白状したか知りませんが、彼とすれ違ったところを偶然写真に撮られただけで、私はとんだとばっちりを食らったわけだ。ご理解いただけましたか」

 一瞬だけ見せた動揺の表情から一転、再び余裕めいた笑みを浮かべる。だが、落合にはがあった。

「妄想の域を出ないか――残念だが、それは違うな。あんたには明確な目的があったのさ。組織の活動を通して、という確固たる目的がな」



 古川の視線が大きく揺れた瞬間を、落合は見逃さなかった。議員秘書の喉仏が上下し、形の良い鼻がひくりと動く。

「あんたの親父――古川冬治は、八年前の二〇二四年までH県H市の市長を務めていた。だが、二〇二四年の冬に交通事故で死亡している。古川冬治元市長は、同年の夏にある企業を民事訴訟で訴えていた。その企業は、条例で建設が規制されている地域に大型パチンコ店を建てようとしていたんだ。古川元市長は裁判で徹底的に争う姿勢を見せていたものの、最高裁へ上告した直後に自ら裁判を降りている。そしてその冬、運転手のハンドル操作ミスによる事故で他界した。あんたは、亡くなった古川冬治元市長の実の息子だ」

 議員秘書の視線が、テーブルに落ちる。薄い唇を噛みしめて、今にも叫び出すのを必死に堪えているかのようだ。

「あんたはずっと、親父の事故死を不審に思っていたんだろ」

 先ほどまでの挑発的な物言いから一変して、落合が古川にかける声は柔らかい。

「俺のチームに優秀な捜査員がいてな。古川元市長とあんたが親子だと判って、当時の事故について調べてみたんだ。古川元市長に長年仕えていたドライバーは、安全第一の運転をすると有名だったらしいな。古川冬治は運転に人一倍の拘りがあって、お抱え運転手を厳しく指導していたんだと。その有能な運転手が、ハンドル操作を誤るなんてことがあるだろうか? あんたは疑念を抱いて、親父の死をずっと調べていたんじゃないのか。

 古川元市長が訴えた企業は、株式会社賢者の石。関西に本社を置く総合エンターテインメント会社だ。悪質な経営で界隈ではちょいと名が知られていたようだな。あんたは、親父が訴えたその会社が何らかの形で事故に関与しているのではと疑った。そして、その予感が当たっていることを突き止めた」

「それが、何だというのですか」

 顔を上げた古川は、すがるような眼を落合に向けた。力を入れ過ぎたのか、唇の端が切れて微かに血が滲んでいる。

「私の父が不幸な死を遂げたことと、詐欺事件がどこでどう繋がるのですか。まるで理解が及ばない」

「繋がるんだよ、それが。まあ、続きを聞いてくれや――賢者の石が父親の死に一枚噛んでいると確信したあんたは、株式会社賢者の石についてさらに調べを進めた。そして、賢者の石と元共産推進党議員である堂珍仁との繋がりを見つけた」

 パーマ男は言葉を切る。やがて、吐息交じりに告げた。

「知っていたんだろ。二十二年前、共産推進党と末永が結託して常磐会の闇献金事件を起こしたこと」

 大きく息を吐き出し、古川夏生は椅子の背凭れに身体を預けた。すっかり観念したような、諦めの笑みを滲ませて。

「あんたがどんな過程を経て入団したのか、そこまでは判らない。だが、堂珍と末永、そして株式会社賢者の石が遠からず繋がっていることを知ってから少しずつ憎悪の念が湧き上がってきたんじゃないのか。そして、あんたは悪魔に魂を売り渡した。自分の人生を犠牲にしても父親の仇討をすると心に誓った」

 銀行口座の出入金記録リストに視線を転じ、落合は独り言のような低いトーンで喋り続ける。

「末永保彦の口座を使って支援金を送ったのは、公職選挙法に反すると判っていたからこそだった。あんたは自分もろとも、末永を破滅させようとしていたんじゃないのか。だが、その復讐計画に番狂わせが起きた――三輪佑美子の存在だ」

 連続詐欺事件の黒幕として暗躍していた男は、受付嬢の名前が出た途端に泣きそうな表情で「佑美子」と呟いた。

「佑美子に会わせてください」

「悪いが、それはできかねる」

「お願いします! 一言、ただ一言彼女に伝えたいだけなんです」

「伝言なら、俺が責任を持って伝えてやるよ」

「駄目なんです、それじゃ。僕の口から、僕の言葉で彼女に伝えなきゃ」

 駄々をこねる子どものように、古川は何度も「お願いします」と繰り返す。懇願する議員秘書に、落合は「なあ」と静かに問いかけた。

「俺が、どうしてあんたが詐欺事件の犯人だと断定できたと思う?」

 目の端に涙を浮かべ、古川は無言で首を横に振る。落合はクリアファイルから二枚の捜査資料を取り出して、テーブルの上に置いた。

「左は、詐欺事件の被害者が二年前からずっと保管していた文書だ。立浜市連続詐欺事件被害者支援団体が救済金の説明会を開いたとき、支援団体の代表を名乗る人物が配布したものらしい。この一枚を見つけるのには骨が折れたぜ……そして右の資料は、判るよな?」

「これは、結婚指輪の販売証明書ですね。佑美子と東京の店を訪れたとき、僕がサインをしました」

「そうだ。これは二人が指輪を購入した店で保管していた控えだ。そして、この二つの証拠品には共通してある人物の指紋が残っていた」

「まさか」

 顔を上げた古川に、落合は決定打を放った。

「古川夏生、あんたの指紋だよ」

 詐欺犯の仮面は剥がされた。ホセとジェイスを名乗り、二十名もの女性を騙し抜いた男は、たった一人の女性の存在で足元を掬われたのだ。地位も名誉も、故郷さえも手放して国外逃亡を図ろうとするほど、心から愛してしまった女性によって。

「彼女と愛し合って、僕は直感したんです。僕と彼女は片割れ同士だったと――まるで、非情な運命によって引き裂かれた双子のようにね」

 その右腕に双子座の刺青を刻んだ男は、悲しげな顔でそう漏らした。

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