第12話 青龍会


 県警本部から徒歩十分足らずの恵比寿通りは、「立浜で食べに行くなら恵比寿通り」と言われるほど飲食店が密集しているエリアだ。その昔、恵比寿さまを祀る大層立派な神社があり商人たちが商売繁盛を祈願し神社周辺に店を出すようになった――という由来がある。午後七時前にもなれば店のあちこちにぶら下げた提灯が灯り、スーツを着崩したサラリーマンや仕事帰りの女性客らが吸い寄せられるように入っていく。

 葉桐巡査部長が指定したキャロルは、洒落た看板が目印のカクテルバーだ。狭い階段を降りると、薄暗い空間に客の姿がちらほらと見える。時也はカウンターでグラスを磨く店主に声をかけた。

「すみません。ヤマシタという客は来ていますか」

 口髭が似合う中年の男は、仕事の手を止めバーテンダーベストのポケットに指を入れる。

「ヤマシタ様は、急用ができたとかですぐ店を出て行かれました。待ち合わせているお客様にこちらをお渡しするようにと仰せつかっております」

 丁寧な口調とともに、紙きれが差し出される。癖のある字で走り書きされていたのは、ここからほど近い場所にある別の店だ。バーテンダーに礼を述べ、店を出てから向かったのは三ブロック先にある中華料理屋〈龍亭〉。入り口の暖簾にダイナミックな龍の刺繍が施され、いかにも中華専門店の店構えだ。暖簾をくぐり店内に足を踏み入れると、頭に白い布を巻いた中年の女性スタッフが弾けるような笑顔で出迎えた。

「ヤマシタという客と先約があるのですが」

「ああ、ヤマシタさんね。通路のどん詰まり、掘りごたつの部屋だよ」

 店の奥へ続く廊下を進む。突き当りに襖を半分ほど開けた部屋があった。中を覗くと、先客はジャケットを丸めてクッション代わりにし壁にだらしく寄りかかっている。

「葉桐部長ですか」

「そういうあんたは、新宮時也部長だな。東海林さんからだいたいの話は聞いてるよ。ま、お互い巡査部長ってことであまり堅苦しくならんようによろしく」

 壁から体を離し、ふわりと欠伸をする。無造作なウェーブヘアに髭面、Vネックの黒シャツという風体は現役の公安警察より落ちぶれた元警官という設定が似合いそうだ。低く抑揚のない声にどこか猫を思わせるゆっくりとした動作。全体的に気怠げな空気を醸し出しているが、細く吊り上がった目には警察官らしい鋭い光が見え隠れする。ぼんやりしているようでいて、時也の一挙手一投足をさりげなく観察しているような抜け目なさが感じられた。

「あんた、東海林さんのチームなんだな。あそこは彼が選りすぐった逸材揃いって聞いてるよ」

「それは初耳ですね」

 わざと驚いてみせると、葉桐はニヒルな笑みを浮かべる。

「否定しないところがあの人の部下らしいな」

「公安の人間は皆、ある程度の自負心の塊ですから」

「そりゃそうだ。そうでなきゃハムなんてやってられねえよ――早速だけど、料理を注文していいか? 昼飯を食べ損ねて腹ぺこなんだ」

「構いませんよ」

「それじゃ遠慮なく。ここは中華だけどコースもあるから、コースを頼めば勝手に料理が出てきて楽だな。種類は三つ、どれも俺的には外れないね。あんた、イケる口?」

 お猪口を傾けるジェスチャーをする。時也は丁重に断って注文を葉桐に任せた。

「真面目なんだな。じゃあ、初回だし定番コースにするか」

 即断し、呼び出しボタンを押す。机上の注文票をさっと記入し、先ほどの女性スタッフが顔を出すと同時に「これでよろしく」と紙を差し出した。

「あのおばちゃん、あんたのこと気に入ってるよ」

 出し抜けに言われて、時也は「は?」とつい声を上げる。

「さっき注文票を取りに来たときだよ。すっげえニコニコしてたもん。俺一人のときはあんな顔しないから。やっぱり年食ってもイケメンには目がないのな」

 無遠慮だが、小馬鹿にしている口調ではない。むしろ逆で、彼なりの親しみを込めた発言なのだろう。

「この店、いいですね。個室が多くて捜査会議にはぴったりだ」

「程よく騒々しいから、よほど声を張り上げなければ外には聞こえないよ。あ、一応言っておくけどはないからご安心を」

 盗聴器や通信機器の類は仕掛けられていない、という意味だ。時也の僅かな視線の動きを追っていたのである。

「この店にはよく来るんですか」

「まあね。昼飯はよくここで済ませるよ。職場の奴らは滅多に連れてこないけど」

「ランチメニューも充実しているみたいですね」

 昼食が中華だったことを、今さらながら思い出す。メニュー表にざっと目を通すが、昼間の店より料理のラインナップは格段に豪華だ。

「ここ、夜のメニューが凄いんだよ。俺が連中と来ないのはそのせいでもあるんだけど」

「と、いうと」

「メニューの最後、見なよ」

 ページを捲って、納得した。〈強者のお客様へ〉というキャッチコピーとともに載っている料理の写真は、カエルの唐揚げに豚の脳みそ炒め、クラゲの和え物、エスカルゴの中華風煮込み、蛇肉の揚げ物……中には、雀の丸焼きなんてものもある。いわゆるゲテモノ料理のオンパレードだ。

「俺、中国に旅行したことがあるんだけど、店に入るとそういうのが普通に出てくるの。そんで、周りの客も何食わぬ顔でパクパク口に運ぶわけよ。初めて見たときはカルチャーショックで椅子から転げ落ちそうになったね」

 おばちゃんスタッフが前菜の春雨サラダを持ってきた。メニュー表を閉じ、テーブルの隅に立てかける。

「なかなかのインパクトですね。ああいうのは、実際口にすると意外と美味しいって聞きますけど」

「まあ、実食した奴だけがわかる味だな」

 春雨サラダを皮切りに、フカヒレのスープに青椒肉絲、麻婆豆腐、炒飯と次々に料理が運ばれてきた。全体的に味付けが濃く、酒と相性が良さそうだ。特に麻婆豆腐は、四川料理の定番らしくピリリとした辛味が効いている。余談だが、「中華料理」は本場中国では使われない言葉で、日本人の味覚に合うようアレンジされたものを中華料理と呼ぶ。中国で一般的に食される料理は「中国料理」と言うのだそうだ。

 葉桐は見た目に似合わずかなりの大食漢で、しかもザルだった。あっという間に自分の取り分を平らげ、ビールを立て続けに四杯飲み干すも顔色一つ変えない。運動後にスポーツ飲料を呷るように呑むのだ。落合や大迫あたりとならさぞ楽しく酒盛りできるだろう。

 充分すぎるほどの料理が運ばれ、締めの杏仁豆腐が机上に並んだところで時也はおもむろに仕事の話を切り出した。

「葉桐部長は、作業班の所属なのですか」

 作業班とは、協力者獲得作業の実行部隊を指す。警察庁警備局警備企画課のカラスと綿密な連携を図りながら、協力者の選定から実際の情報収集活動までを引き受けるのだ。有能な協力者の獲得は捜査の動向に大きな影響を与えることから、作業班の捜査員は公安警察の中でも特に優れた人材が選ばれる――という一説もある。

 時也の向かいで爪楊枝を咥えながら、葉桐は「そうだよ」と短く返した。最初の電話口での印象といい、優秀というよりも掴みどころがないと言ったほうが的確な表現だ。尤も、その掴みどころのなさを上層部に買われたのかもしれない。

 葉桐が作業班であるならば、偽経歴カバーも納得がいく。作業班の存在そのものが、警察組織の禁忌みたいなものだ。その傾向はカラスにおいて最も顕著で、そもそも名前の由来が「烏のごとく闇に紛れ、烏のごとく社会に溶け込む」――存在自体が当たり前、しかし存在を決して知られてはならない。ごく自然と群集に紛れ、誰からも気付かれないように任務を遂行する。そんな精神から名付けられたと小耳に挟んでいる。

「葉桐部長は、マル害を五年間スジ運営していたのですよね」

 杏仁豆腐にスプーンで切れ込みを入れながら、時也は偽りだらけの男に視線を向ける。

「その部長呼びは止めてくれよ。同じ階級なんだからさ――獲得作業の段階まで含めると、七年になるかな。随分長いこと世話になっていたが、まさか殺られるなんて予想もしていなかった。これでも危ない橋は避けていたつもりだったのに、迂闊だったよ」

「新組織のアジトを壊滅させたのも、彼の情報が役に立ったと話していましたね」

「そうだよ。ただその案件がかなり堪えたみたいでな。あれ以来、できるだけ安全地帯での情報収集を任せるようにはしていた。小林誠和不動産の母体は国内でもトップ企業だし、向こうも下手に動くことはないと高を括っていたのが間違いだった」

「マル害は、小林誠和でどのような情報を集めていたのでしょうか」

「小林誠和が東凰会のフロント企業だと判明したのは、彼が入社してすぐのことだ。内部調査を続けた結果、小林誠和に共産推進党の議員や元議員が出入りしていることを掴んだのが二年ほど前。小林誠和本店は、東凰会と共産推進党が接触を図る隠れ蓑として機能していたんだ」

「東凰会のフロント企業ということは、社長か従業員に東凰会の構成員がいるのですか」

「いいや、トップまで含めて社員全員がだよ……といっても、それは表向きの話で社長の交友関係リストにはマルBの名前が多数並んでいるけどな。小林誠和の取引先の中にも東凰会のフロント企業が存在するし」

「なるほど。かなり際どい事実まで行き着いていた、と。ですが、そうなるとますます腑に落ちませんね。マル害がそれらの事実を突き止めたのは二年以上も前のことでしょう。もし彼を殺したのが東凰会や共産推進党の関係者だとすれば、なぜ今というタイミングなのか」

「彼がサツのスジだと、つい最近気付いたんじゃないか? それで慌てて始末した」

「ですが、マル害が小林誠和に入社したのは三年前のことです。今さら彼を口封じしたところで、すでに情報がこちらに流れていることは想像に難くない。殺人というリスクを負うからにはそれ相応のリターンがなければ、殺し損になってしまいますよ」

「殺し損、ねえ」

 使用済みの爪楊枝をぽきりと折って、皿の上に放る。

「考えられるとすれば、マル害にこれ以上小林誠和を探られると都合が悪かった、とか」

「妥当な線ですね。もしそうだとすれば、犯人はおのずと小林誠和の関係者ということになりますが……先ほど、小林誠和の取引先の中にも東凰会のフロント企業があると言っていましたね」

「内部調査で把握していたのは六社だ。おそらく実際の数はもっと多いだろうがな」

 言いながら、テーブルの端から紙ナプキンを一枚取る。私物のボールペンで素早く何かを書き込み、時也に差し出した。

「これだよ、マル害が把握していたフロント企業」

「いくつか見覚えはありますが……この、リストの一番下にある〈株式会社賢者の石〉というのは?」

「いかにも胡散臭い名前だろ。本社は関西にあってパチンコ店やボーリング場、ゴルフ場、カラオケ店、ファミレス経営なんかを幅広く手掛けている。総合エンターテインメント会社ってところだな。この数年で関東にもいくつか店を出していて、上場企業とまではいかないもののそれなりの業績を維持している」

 賢者の石は、鉛などの卑金属を金に変えるという伝説上の薬だ。社名の裏に金儲けの意図がちらつき、きな臭いことこの上ない。

「株式会社賢者の石の社長は龍安尭やすたかという男で、父親が中国人なんだ。幼少で日本に帰化して中国への渡航歴や滞在歴はないが、国内で在日中国人との広いネットワークを持っている。社員も半数はアジア系の外国人を雇っているし、パチ屋を中心に店の雇われ店長にも華僑らしき名前が目立つな」

「パチンコ店か……株式会社賢者の石が県内で経営しているパチンコ店のリストなんかありますか」

「もしかして、西神名河に新しくできたパチ屋が気になってんのか」

「MERCURYをご存じなのですか」

 食い気味に訊ね返すと、葉桐は「ご存じも何も」と顎髭を撫でる。

「MERCURYは小林誠和が取り扱っていた物件で、それを買い取ったのが株式会社賢者の石だ。尚且つマル害が内々で調査していた店でもある」

「MERCURYが小林誠和の物件だった……興味深いですね」

「その口ぶりだとMERCURYの件はほぼノータッチみたいだな」

「店の存在をつい昨日知ったばかりですから。どのようなことを調べていたのですか」

「マル害が客に聞き込んだところによると、MERCURYでは店のリピーターをお得意様と呼び、さらにワンランク上の客層にはVIP待遇が与えられる。店はVIPまで上り詰めた客に女を提供しているらしい」

「売春斡旋ですか」

「ビンゴ。しかも厄介なことに、その売春斡旋には青龍会が関与している可能性が高い」

 青龍会は、東凰会の二次団体だ。本家の組員が自らを組長として新たに結成した組織が二次団体であり、二次団体の組長は直参じきさんとも呼ばれる。暴力団はこうした二次団体、三次団体と組織を増やすことでピラミッド構造を形成し組織の規模を拡大させる。

「青龍会は中国系の組員が数名所属していますね。直参の周春佳しゅうはるよしも、たしか中国系日本人だ」

「よくご存じで。MERCURYの雇われ店長は林龍二という中年男で、こいつはもともと立浜の中華街で働いていた奴でな。この林を引き抜いて店長にしたのが、株式会社賢者の石の立浜支店にいる支店長なんだ。で、その支店長は周春佳と昵懇の仲ってわけさ」

 立浜支店に関する情報はインターネットですぐヒットした。支店長の名前は狭間慎二。白いスーツに茶髪のオールバックヘア、不自然に白い歯を見せて笑った写真が経営理念のページに掲載されている。

「店側とマルBが手を組んで売春斡旋ですか。しかも中国系の連中が関わっているとなるとたしかに厄介ですね。彼らの多くは日本の暴力団に直接属さず、いわゆる半グレとして活動していますし、半グレであれば暴対法の規制もないから別件逮捕に持ち込むしかない……マル害が殺されたのはMERCURYと青龍会の関係を嗅ぎつけたからなのでしょうか」

「そうじゃないかと、俺は踏んでいる。彼がMERCURYを調べ始めたのはつい一か月前のことだし、タイミング的には引き金と見ていい。青龍会かあるいは本家の東凰会がマル害の存在に気付き、口封じをしたんだ」

 だとすれば、小林誠和で目撃された刺青の男こそ青龍会か東凰会の構成員なのだろうか。どうにもしっくりこないが、葉桐は杏仁豆腐をパクつきながら「MERCURYに少し探りを入れてみるか」と早々に方針を定めていた。

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