第4話 疑惑の巣窟


 立浜市K区富屋町の大通り沿いに構えた、十三階建ての高層ビル。丹念に磨き上げられた窓は流れる雲を映し出し、堂々とした風格を醸し出している。小林誠和不動産の本店は実に立派なものだが、駐車場に停まる車は数台のみで閑散としていた。正面玄関に近づくと自動ドアは固く閉ざされ、「本日は閉業しています。ご用件のある方は裏口の警備室へ」の立て看板がガラス越しに置かれている。

 看板の指示通り、駐車場をぐるりと回り建物の真裏に向かう。「関係者以外立ち入り禁止」の紙が貼られた扉を開けると、すぐ左手が警備室だ。制服の帽子を脱いだ白髪頭の男が、熱心に書き物をしている。

「すみません。県警本部の新宮と申します。こちらに勤めていた友枝雅樹さんの上司にお会いしたいのですが」

 内海巡査長も小さく会釈しながら警察手帳を見せる。白髪の警備員は二人の顔と手帳をしばらく凝視してから、固定電話の受話器を取った。

「もしもし、警備室です。警察の方がお見えですが」

 ええ、はい判りましたと言って受話器を置く。「そこから上がってください。七階の営業部にいますよ」と小窓から指を突き出した。礼を述べて黒塗りのエレベーターに乗り込み、目的の階までノンストップで上がる。

 七階の営業部室は、パーテーションで三つのエリアに区切られていた。二人が部室の入口に立った瞬間、真ん中のエリアから黒い頭がひょこりと飛び出る。

「警察の方ですね。私、営業二課長の大村泰明と申します」

 小走りで駆け寄った男は、さっと名刺を差し出した。

「恐れ入ります。本日は友枝雅樹さんの件で参りました。できれば落ち着いて話せる場所がよいのですが」

 大村と名乗った男は、「ではあちらの会議室で」と部屋の奥を手で示した。パーテーションの隙間からは社員らしき姿がちらほらと見え隠れし、時折受話器を下ろす音や盛大な溜息が聞こえる。マスコミの執拗な取材申し込みや嫌がらせ電話の対応でもしているのかもしれない。

「友枝の件は、何と言いますか、非常に驚いています」

 会議室の扉を閉めたと同時に、大村は嘆息する。

「お察しします……大村さんは、友枝さんの直属の上司なのですか」

「ええ。友枝は営業二課で主に企業相手の不動産営業を担当していました」

「営業部は三課まであるのですね。それぞれどんな業務を?」

 聞き込みにおいて、いきなり事件の核心に迫る手法は推奨されていない。まずは世間話や相手が精通している分野の話題でワンクッションを挟む。そこから少しずつ本題に舵を切っていくのだ。

「一課は顧客情報の管理や書類作成などの営業事務を、二課と三課は営業を担当しています。二課は企業や法人相手、三課は個人向けの対応がメインですね」

「企業や法人相手というと、どのような業界の人たちが多いのでしょう」

「それはもう幅広く。多くは自分の店を開きたいというお客様が占めていますが、ショップやレストランなどの小売業から法曹関係の事務所、学習塾や保険会社……様々ですね。中には会社の倉庫として借りる方もいらっしゃいます」

「なるほど。多業界の人たちとお知り合いになれる仕事なのですね」

「そうですね。我々営業にとってはそこが仕事の面白い部分でもあります」

「友枝さんが最近担当された顧客には、どんな業界の方がいらしたのですか」

 質疑にテンポよく応じていた大村が、初めて言葉に詰まった。時也の質問が顧客のプライバシーに当たるのか判断に迷っているようだ。

「大村さん、ここであなたがお話したことは他言無用。情報が外部に漏れる心配も不要です。これは殺人事件の捜査ですので、できる限り協力いただきたい」

 時也の説得に、営業課長は軽く咳払いを「では」と口を開く。

「友枝は生真面目で礼儀正しく、また秘密主義な一面がありました。同僚と必要なコミュニケーションは取りますが、必要以上のことは話さない。寡黙な印象を抱く社員もいたようですが、そこが顧客に安心感を与えていました。そんな友枝を信頼し、法律家や保険会社など秘密厳守を特に重んじる業界人の顧客がわざわざ彼を指名して契約を結ぶこともあったほどです」

「なるほど。私も部屋を借りるときは、生前の友枝さんにお願いしたかったですね。警察官も情報漏洩には敏感な職業なので」

「警察官といえば、元警察官という興味深いお客様もいらっしゃいましたね」

 ここでの会話が外に漏れることはないと安心しきったのか、大村の口は先ほどより緩くなっている。

「たしか、警官を辞めて今は探偵をしているとか。歳はまだ若かった気がしますけど……小説なんかでは、警察が民間の探偵さんにこっそり仕事を依頼する場面もありますけど、もしかして現実の警察官にも探偵の知り合いがいたりするのですか?」

 好奇心剝き出しの質問に笑いながら「まさか」と返す。内海が何か言いたげに一瞥してきたが、素知らぬふりをした。

「興味深いといえば、風の噂で聞いたのですがお宅の会社に興味深いお客様がいらっしゃるとか」

 時也は彼の顔をまっすぐ見つめながら、左手の小指を右の掌で隠す仕草をする。それまで笑顔を浮かべていた大村の口元が引きつり、額にはうっすら脂汗が滲みだした。

「それは……その……まさかうちに限ってそんな」

 大村の動揺ぶりは、見ていて憐れなほどわかりやすかった。メモから顔を上げた内海が「いるんですね?」と静かに問いかける。

「大村さん。先ほどもお伝えしましたが、これはあくまで殺人事件の捜査です。仮にこの会社に裏社会の人たちとの繋がりがあったとしても、今回の捜査でお宅に調査が入ることはありません。むしろ、事実を隠し虚偽の供述をすることで罪に問われる場合があります」

 口調はいたって柔らかだが、内海の言葉には落とし穴がある。彼女はあくまで「友枝雅樹殺人事件の捜査」において小林誠和不動産はガサ入れの対象外と言っているのであって、別件で家宅捜索する可能性は十分にあるのだ。だが、核心を突かれて焦りが生じている大村はその落とし穴に気付いていない。乾いた唇を舌で湿らせると、意を決したように「実は」と切り出した。

「詳細は把握しかねますが、そういう系列の人たちがうちの会社に出入りしているのを数回見かけました」

「その人たちの具体的な情報はわかりますか。所属している組織とか、何か目立つ特徴があったとか。何でもいいんです、思い出せることがあれば」

 ソフトな声色で問いを重ねる内海は、まるでカウンセラーだ。自動車警ら隊時代は検挙率が署内で常に三本指に入っていたというが、それも相手から自白を引き出す技術の高さ故かもしれない。

 内海の問いにしばらくうんうんと唸っていた大村は、時也の腕時計で秒針がきっかり一周した瞬間に「そういえば」と顔を上げる。

「こめかみに刺青がありましたね。たしか……ワイ」

「ワイ? アルファベットですか」

 繰り返す内海に、大村は「ええ」と頷く。

「社内のエレベーターで、一緒になったんです。大柄な男性でいかにもそれらしい雰囲気でしたのでなるべく距離をとっていたのですが、何しろ狭い空間なので……ええと、たしか私の左に立っていましたので、右のこめかみですね、そこにアルファベットの〈Y〉の刺青がありました。そこまで大きな刺青じゃありません。直径で五センチもなかったんじゃないかな」

「シミとか痣ではなく、はっきり刺青と判ったのですか?」

「シミや痣にしては、ペンで書いたようにくっきりしていましたから」

 大村はチラと腕時計に目を落とす。さりげない動きだが時也は見逃さなかった。

「ご多忙の中、お時間いただきありがとうございます。また何か思い出したことがありましたら、いつでも構いませんので県警までご連絡ください。私か内海の名前を出せばすぐお繋ぎしますので」

「はあ……いやしかし、まさか自分が警察の事情聴取に応じることになるとは」

「しばらくの間は警官が入れ代わり立ち代わり聞き込みに来るかもしれませんが、早期解決のため尽力いたしますのでお力添え願います」

「同じことしかお話できませんが、友枝の命を奪った犯人が捕まるのなら何でも協力しますよ」

 快い返事をもらい、時也と内海は小林誠和不動産を辞した。友枝の同僚にも話を訊きたかったが不在だった。そもそも今日は出社日ではないため、まともに話を訊く相手は大村くらいしかいなかったのだ。

「堂珍仁のこと、突っ込んで訊くべきだったでしょうか」

 内海は目を細めながら、疑惑が漂うビルを見上げている。

「訊いたところで誤魔化されて終わりさ。マルBのことですらあんなに情報を出し渋ったくらいだし、堂珍のことは口が裂けても漏らさないよう緘口令が敷かれているはずだ」

「マルBといえば、例の刺青。どこかの組織で使われているシンボルか何かでしょうか」

「あるいは、メンバー個人を表す目印かもしれないな。例えば、幹部以上のメンバーに役員であることの証として彫った刺青とか」

「そういえば落合部長、昔は組対部にいたんですよね。もしかして何か知っているかも」

 主に暴力団関連の事件を扱う組織犯罪対策部。略して組対部とも呼ばれ、落合は県警の組対部に十年間在籍していた。ショウジ班の中では、暴力団関連の情報を集めたいときはまず彼に話を通すことが暗黙の了解のようになっている。

「あ、落合部長。お疲れ様です。実は、ちょっと訊きたいことがありまして。はい、マルB関連で」

 スマホを片手に時折頷くような仕草をする。数分ほどで通話を終えた内海は、真顔のまま首を横に振った。

「落合部長も心当たりはないそうです。アルファベット一文字だけの刺青なんて、抽象的すぎて絞りきれないと」

「まあ、まだマルBと確定したわけじゃないし、できて間もない組織だったら把握のしようもないからな」

「それもそうですね。ところで、これからどうしますか。そろそろお昼になりそうですけど」

 腕時計は、十一時三十分を指している。時也は数秒ほど考え込んでから、

「少し調べたいこともあるし、昼飯も兼ねて別行動にするか。一四〇〇ヒトヨンマルマルに立浜駅集合にしよう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る