32

 大河が光を反射して白く煌めく。川面を僅かに撫でる風はほんのりと冷たく、ツァード門のてっぺんから顔を出すクスノキとイチョウは赤と黄に色づいていた。

 イルべニア王国の南の国境線を成すデコン河。そこを渡る大橋の終点で、三人は門の前に立つ衛兵を見上げた。長槍を持つ二人の衛兵のうち、左にいる太眉の衛兵が彼らに近づいて言った。

「子供だけか。荷物と服を調べる。我慢してくれ」

 衛兵は最前にいたニハマチに手を伸ばすと、服の上から体に触った。関節部よりやや長いはずだった不思議な服は多流タルーによって長袖へと変化しており、衛兵はその薄茶色の服に一見して分かりづらいポケットを見つけると眉をしかめたが、特に隠しているものは無しと彼を解放すると、残りの二人も同じように検査した。

 荷袋の中も調べている途中、衛兵は徽章の留められた羊皮紙を発見するとそれを持ち上げてよく見た。

「……騎士の……クラウス……」

 右の衛兵が太眉に呼ばれ、二人は顔を近づけて紙を見た。「……本当のようだな……」という声が聞こえる。

 二人は再び距離を置き、太眉がうやうやしく紙をニハマチに返す。

「うむ。確認した。クラウス様の客人のようですね。失礼いたしました。子供でも関税をとるところですが、免除しましょう」

「すみません。恩に着ます」キツツキが頭を下げる。

「王城へいらっしゃるなら、このまま道をまっすぐ、パドニアまで向かう商人と一緒に行くといいでしょう」

「我々の仲間に王都まで送らせればいいのでは?」右の兵士が言う。

「いや、それには及びません。自分たちで旅がしたいので」と、キツツキが慇懃に断る。

「そうですか」

「パドニアという街に行けばいいのかい?」

「ええ。パドニアからなら王都に行きやすい」

「ああ! ありがとう! じゃあね、衛兵さん!」

「イルべニアにようこそ!」

 ニハマチが手を振って通り過ぎてから、「……古都から……しかも凄い多流の使い手らしい……」と衛兵たちの声が背後に聞こえた。

「手紙と徽章のおかげだ。通行のお金も払わなくていいし、宿もタダにして貰えるかもしれないね!」

「それは止めた方が……」

「え?」

 ニハマチがパントマを振り返る。

「騎士だって普通にお金は払うわ。騎士様がとても偉い立場なんだとしても、紹介状を免状みたいにするのは駄目よ」

「お、俺はそんな風にするつもりで言った訳じゃないよ!」 

「分かってるわよ、ニハマチ」

 パントマが片目でウィンクする。キツツキは鮮やかなイチョウの葉を見上げながら、

「何にせよ、国が管理するところを出入りするには便利そうだな。ややこしい手続きが要らなくて旅がはかどる」

「レカンダで兵士に捕まったときは大変だったもんねー……」パントマが旅のことを思い出して微笑む。

 ニハマチたち三人の少年少女は、古都を囲むアグレン山脈を越え、山脈から流れるペルーシ川を辿り、「迷いの樹海」と呼ばれる大樹海を抜けてレカンダの出口に着いたのだった。それまでに要した日数は十二日。山を越えて樹海を抜けるまでの七日ほどは、ニハマチの身体能力で凄まじい短縮を可能にしたとはいえ、大人でも根を上げるような厳しい道のりであり、常人離れした感覚を持つパントマとニハマチに比べれば旅に慣れている訳でもないキツツキからすれば相当に過酷な旅となった。

 それでも、三人で乗り越えた生い茂る樹海の旅は清々しい達成感があり、キツツキとパントマはそれを思って顔をほころばせた。

 すると、ニハマチが早足で駆け出していった。彼は途中で立ち止まると、荷袋の肩ひもを両手で掴んでぐるりと景色を見渡した。

 デコン河沿いにあるこの街はカッティーネと言って、王国の南にある三国のうち、レカンダからの主要な入り口である。街は交通の要所ともあって商業都市の一つであり、家々と店が立ちならぶ一帯は古都の屋台通りを上回る賑わいを見せていた。

「イルべニアだー!」

 目を輝かせたニハマチの大声が青空に吸い込まれていく。

 二人は彼に追いつくと、同じように街路沿いの建物に目を走らせた。川沿いの街は漆喰を塗った壁が多く、屋根はレンガで、全体的に白と橙の色が目立つ。ところどころに生える木々も秋の紅葉に染まり、昼の光を浴びて街は鮮やかに輝いていた。

 だらしなく口を開けているニハマチを見てキツツキが言う。 

「お前、飯屋を探してるだろ」

「なんで分かったの?」

「……まあ……」

「ご飯もいいけど、まずはお買い物しようよ」 

「……パドニアはイルべニアいちの商業都市らしいぞ。買い物はパドニアに行ってからでも――」

 キツツキが言い切るうちに、パントマは道を外れて店のありそうな通りに向かっていった。それをニハマチが追いかけ、キツツキは頭痛がする思いで手首を額に押し当ててうめいた。

「修行は……」

 仕方なくキツツキも同行し、パントマが自由に店を回っているうちにニハマチと共に冷やかしをした。

 一時間ほどで切り上げたパントマが二人に合流すると、彼女は巻物や工芸品を巾着袋に詰めて腰に下げていた。

「ご満悦だな、パントマ」

「ふふふ。色々買っちゃった。――あとは飲み物とご飯を用意しなきゃね」

 ニハマチが嬉しそうに頷く。

「ここでいっぱい食い溜めしてから、水筒にたくさん水を汲んで保存食も持って、準備を万端にしよう!」

「まあ、道中の駅や村を見つけて食事すればいいと思うが……ここでたらふく食うのは賛成だ」

 そして三人は、川で採れる魚を使った料理を出す宿で飯を食べ(ニハマチは大人三人分の量を頼んだ)、パドニアへ向けてカッティーネを出発した。

 風の渡る草原に挟まれ、舗装された街道を行く。みんなでゆっくりと歩いたり、ニハマチが二人を担ぐ、もしくはニハマチほどではないが多流の身体強化が可能なキツツキに合わせてパントマを担いだニハマチが並走する、といった具合に、途中すれ違う飛脚や商人に目を剝かれながら順調に進んだ。

 ――行程に四日を要し、途中小雨に振られながらも三人は無事パドニアに辿り着いた。

 赤く染まる空の下、イルべニア王国最大の商業都市であるパドニアは活気に満ちていた。

 街中に点在する市場バザール区画。幾つにも分かれた道は大通りに繋がり、人と商人の馬車で賑わう。商会の建物や教会らしき塔は大きく、古都では見ることのなかった背の高い建物が街を見下ろしている。

 圧巻の光景にキツツキは息を吞み、ニハマチはくるくると回転しながら歩いた。

 関所の門から続く大通りの先にある人の流れを眺めながら、キツツキが言った。

「ここからさらに北に行けばいいんだよな」

 回転していたニハマチがぴたりと止まり、二人に体を向ける。

「俺はすぐ王都に向かうよ。二人はゆっくり来て。どうせ修行の日々で、俺は城から離れないだろうからさ」

 キツツキとパントマが顔を見合わせる。キツツキは仕方ないという風に肩を上下させて言った。

「まあ、お前の足の速さを考えたら、そうした方がいいだろう。――だけど、気を付けるべきことは色々あるぞ。例えば、何かあったときのための金だ。自分の分の金は持ってるな?」

「うん! ちゃんとあるよ!」

「よし。あとは、迷子や寄り道……どこにでもふらふらと行くなよ。そして、手当たり次第に誰かに勝負はふっかけるな。因縁が付くとややこしいことになる。体もちゃんと洗え。それと、飯を食いすぎるのも良くない」

 キツツキがまくし立てるように言うと、パントマはとうとう堪えきれなくなってくすくすと笑った。

「キツツキ君、お母さんみたい」

「当たり前だ。こいつには厳しい母親ぐらいに言ってやる必要がある。……あとは、俺たち三人の問題だな。離れるにしても、連絡をとりあえる手段があるといい。……確か、遠くに手紙をやるときって鳩を飛ばすんだったか。……まあ、ニハマチがしばらく王城にいるっていうなら、特に連絡をとる必要もないのか? そしたら、俺たちがどこで何をしているかをニハマチに連絡できるかの方が大事だな」

「王城を離れるつもりはないよ。だから、城に向けて二人が手紙を飛ばしてくれればそれでいいんじゃないか?」

「――あ! 使えるものがあったかもしれないわ」

 そう言ってパントマがバッグを漁り始める。彼女は川辺のそれのような綺麗な丸みのある石を取り出した。

 二人によく見えるように手のひらの上にのせてみせると、キツツキとニハマチはそれがただの石ではないことに気付いた。

「卵の形をした石?」ニハマチが覗き込んで言う。

「そう見えるな」

 二人の言う通り、それは卵形の石で、てっぺんから四分の一ほどの殻が割れて無くなっていた。中の空洞は同じ石の素材で出来た彫刻じみた物体に埋められている。外側と同じく丸みのあるそれは一見すると模様のように見えたが、

「何かが押し込められているように見える。卵の中に詰められているみたいだ」

「言われて見れば……」

「――これは『忌石きせきのバロット』と呼ばれていたもの」

 そう言ってパントマが多流を込める気配があった。すると、卵から僅かに、生命に宿るものに似た・・・・・・・・・・多流の脈動が起こった。

「こうやって多流を流してあげると、卵は私の子供になるの。子は親の匂い……つまり私の力を辿って、親である私をずっと探し求めるわ。――ニハマチがこれを持てば、私がどこにいるのか、どれだけ離れていても見つけられるのよ」

 パントマに手渡されたバロットをニハマチが受け取る。彼はその小さな卵型の石の内部に、強烈な存在感――まさにパントマの匂いとも言うべき多流を感覚した。

 それが、磁石のようにパントマに引き寄せられていることも。

「きせきのバロット、大事にするよ!」

「新しく多流を入れたら親が入れ替わっちゃうから、人に渡したり、うっかり自分の力を入れないように気を付けてね」

「ああ!」

 ニハマチはバロットを自分の荷袋に丁寧にしまうと、にっこりと笑って二人を交互に見た。

「じゃあ、俺は行くよ! すぐに修行しなきゃだからさ! キツツキもパントマも元気でね!」

「うん! ニハマチ、頑張ってね!」

「また会ったとき、どれだけ強くなってるか楽しみだな。だが、強くなるのもそうだが、急に変なことを思い付いて行動したりするなよ。あとは、食べ過ぎもそうだし、変な人についていくとか――」

 キツツキが腕を組んで目を瞑り熟考するようにしながらさとしているうちに、ニハマチは背を向けて風のように駆け出して行った。 

「……あとは、お前が女との関係とかそういうものに目覚める可能性もある。そうなったら――」

「キツツキくん。ニハマチ、もう行っちゃったよ」

「……うん? いつの間に。まだ伝えることがあったんだが……」

 パントマがまたくすくすと笑う。

「何故笑っている?」

「ううん。――キツツキくん、これからどうする?」

「そうだな……あと数時間で日も落ちる。宿を探すのが先決だろう――」

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