白い着物の女の亡霊

青 劉一郎 (あい ころいちろう)

第1話

その武家屋敷は上田城跡の裏に公園野球場にあり、上田商業北高校の真横にあった。武藤みどりと香川真理がキョロキョロとしながら、神妙な顔をして黙って歩いている。

 「ねえ・・・」

 武藤みどりにポツリと話しかけて来た。

 「なに?」

 「上田商業北高校の近くに古い武家屋敷があるの・・・知っている?」

 みどりは怪訝な表情をし、首を傾げ、香川真理を睨んだ。

 「あっ!」

 みどりにはその古い武家屋敷に覚えがあった。といっても、中に入ったことはない。上田の城に祖父の武藤条太郎と来た時に、その古びた屋敷の前を何度も通り過ぎるだけのことである。

 「じいちゃん、古い屋敷ねぇ。武家屋敷だったのね」

 みどりはじいちゃんに聞いたことがある。

 「そうだ。私もよく知らないのだが・・・もちろん、じいちゃんも生まれていないずっと昔の話さ。武士たちがさかんに命を賭けて活動していた時代があるのを、みどりは知っているな」

 みどりはじいちゃんの眼を見つめ、頷いた。

 孫娘がうなずくと、その度に嬉しくなるのか、条太郎のその話はとまらない。みどりはじいちゃんが話し出すと、止まらないのをよく知っている。

 「女の方は、長野業政の長女に生まれ、十七歳だった。新郎は同じ上州の国峰城主、小幡信定だったようだ。みどりは今いくつだったかな。そうか・・・十一歳か。その頃は十七歳での嫁入りは遅い方でな」

じいちゃんの話はまだ続くのだが、みどりが何度も聞いている話である。

 「その国峰城は夫婦の息子に継がれ、その夫婦は年老いたので上田城下町にある屋敷に二人して住んで、一生を終えたようだ。それ以上の確かなことは分からないが・・・」

 条太郎の話はいつもここで終わる。だが、今日は違った。

 「噂は聞いているか・・・」

 「えつ、どんな・・・?」

 「驚くな、白い着物を着た妖艶な女の幽霊が出るらしい」

 「そんな。本当に!」

 「ああ、そうらしい」

 みどりは急に黙り込んでしまった。そんな話を聞いて怖がるみどりではないのだが、黙り込んだ娘に、

 「どうした?」

 条太郎は孫娘の顔を覗き込んだ。

 「何でもない」

 と、首を振る。

 「じいちゃんもその武家屋敷について調べてみるが、余り無茶な行動をするなよ」

 「分かっているわよ」

 条太郎は、娘みどりはその内何かの行動を起こすのか、

(私の余計な心配だったらいいのだが・・・)

と、少し不安を抱いた。

 「ああ、分かっている。じいちゃんは調べてみるから・・・もう遅いから寝なさい」

 「はい、分かっている」

 みどりは自分の部屋に戻ろうとすると、

 「待ちなさい。明日は大雨のなると予報が出ている。早まった行動はしてはいけないな」

 祖父の忠告に、みどりは一瞬立ち止まった。

 「分かっているって・・・」

案の定、上田の町は、次の日台風並みの荒模様て、大荒れだった。


二日後、

 「ここね」

 その武家屋敷の長屋門は一昨日の天候の影響で木々の枝や葉っぱが散らばっていた。

 「ここ、ここよ」

 みどりは潜戸を押した。すると、簡単に開いた。

 みどりは古びた武家屋敷を覗き込んだ、と言っても、長屋門閉まっているから中の様子はよく見えない。むろん、彼女は一人ではない。親友の香川真理を誘っていた。

 「みどり、どうする気なの?」

 真理はみどりの手を引っ張った。

 「中に入って見よう」

 「ダメよ。怖いから」

 真理は即拒絶した。手が震えている。

「言ったでしょ、私、聞いているよ。ここに、女の人の幽霊が出るって・・・」

みどりを止めようとする真理。

そのみどりより強い力で真理の手を引っ張り、古い武家屋敷に入ろうとする。

「大丈夫だから、入ろう。ねっ」

真理はみどりの性格を知っているけど、また彼女も少しは興味を持っていたのだ。これまで、ふたりしてちょっとした冒険をやったこともある。だけど、今度の場合は、

「違う・・・」

ような気が、真理にはした。

「私も開いたわよ、真理」


妖艶な女の幽霊が出るっていう噂をである。

みどりと真理は潜戸から屋敷の中に入った。

 敷石が式台までずっと続いていて、その先には土間が見えた。

 「行こう」

 みどりは真理の手を引っ張り、さらに突き進んだ。右に行くと奥庭に出た。少し奥まった所に池が見えた。

 「ねえ、みどり、すごく綺麗な庭だね」

 真理は感動しているようだった。美しいものを見たせいなのか、真理は少しは感動しているようだ。

 「ねえねえ」

 屋敷の中には川が流れ込んでいて、座敷前の縁側から見える池に入り込んでいた。そして、その水はある水位を超えるとまた川に戻り、千曲の川に流れて行っているようであった。どうやらこの川は千曲川の支流のようだった。広い敷地の武家屋敷で相当地位の高い人の屋敷だったようだ。それでいて、こじんまりとした落ち着きのある庭で、しばらく立ち尽くしていると、心が落ち着いて来た。

 「気持ちいい庭だね」

 真理はいった。

 みどりは返事をしなかった。けれど、ちょっと首を傾げてしまった。

 「ねえ、真理。ここに本当に白い着物を着た女の人の亡霊・・・お化けだったっけ、出るのかな?」

 「うん、全然そんな感じしないよね」

 昨日の強い風と大雨の影響からか、確かに庭は荒れてはいたのだが、誰かが住んでいる雰囲気はあった。座敷の障子に破れはなく、その障子も茶褐色ではなく白く透き通っていた。

 「噂・・・だったんだね」

 みどりはがっかりした。夏休みもやがて終わろうとしていて、何かしら刺激が欲しかったみどりなのである。

 「でも、変ね。今でも、上田の町にはその噂は広まっているのよね」

 その噂はみどりも聞いていた。だから、こうしてやって来たのである。条太郎も調べると言っていたから、その内何かが分かるかもしれない、と、みどりは思ったりもした。 

 まだ昨日の名残りなのか、辺りはすっきりしない空気が漂っている。生暖かい風が吹いて来た。ぬるっとしたぞくぞくとする風であった。二人とも体が震え、真理が、

 「いやだ!」

 悲鳴に近い叫び声を、真理が上げた。背筋がぞくっと震えた。

 「みどり・・・」

 この時、二人の背後に何かの気配が感じ取れた。瞬間、生き物ではない何か・・・が、襲い掛かって来るような気配がした。

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