三日経った。それからユーマの挑戦は続いていた。レティシアに色々試すうち、会話は弾むようになったものの、戦時下の記憶は呼び戻されなかった。ヒバリは定期的にレティシアの様子を見つつ、誰にもバレないところで、院長に尋問を続けている。

 その日は、孤児院の子が誕生日だと言うので、ささやかながらも誕生日会が開かれた。

 孤児院に属する人間が一堂に会し、わちゃわちゃとした空気の中、神父が挨拶をした。

「今日は、恵まれた日です。私たちの子である、クルスが十歳の歳を迎えました。神の祝福があらんことを」

 神父が盃を掲げた。すると、幼い頃からの習慣である孤児院の子たちは、天真爛漫に、

「「「神の祝福があらんことを」」」

 カタコトの部分がありつつも繋げた。ロトは、動揺しながら隣にいた子に耳打ちしてもらい乗り切った。

 ヒバリはもう、それを唱えることはない。口パクで空気を崩すことなく神に願った。

(神に願うことなんてもうあるかよ)

 子供たちがいつもより豪華な晩餐に手をつけはじめると、ヒバリは左隣に座っているロトに耳打ちした。

「もう好きに食べて大丈夫だよ」

「うん!」

 そうするとロトは何の迷いもなく卓に置かれた食事に手を出した。その後も笑顔が強張ることはなかった。

 孤児院の環境において、同年代の子供がいる生活はロトにとっても楽なことだろう。今も打ち解けた表情のロトを見ていると、ヒバリはそう思ってしまう。

 割り方ヒバリは、ロトに親愛を覚えていた。親が子に覚える愛とは、厳密には違うが、それに近しいものを感じていた。

「ロトはさ、ここに残れるって言ったら残る?」

「……なんのこと?」

 思ってもみない言葉、というより何を言っているかわからない様子だった。ヒバリは遠回しに言ったことを悪く思いつつ、このままこの話を続けようか、逡巡した。

 ロトに愛着が湧いていると自覚したヒバリは頬をぽりぽりと掻くと、そうした愛の感情よりロトの感情を優先するべきだと思い直す。

 一呼吸の後、説くようにヒバリは言った。

「孤児院で、このまま生活を続けられるとしたら、ロトはここに残る?」

 んー、とロトは間を伸ばしながら、顎に手をあてて言った。

「考えたことなかったな。レティシア姉さんとヒバリと一緒に暮らすものだと思ってたし。ここにいるのは、レティシア姉さんの療養なんでしょ? 私、最初からそのつもりでいたよ」

「──そうか……」

 ヒバリはロトの言ったことに、安心と自分の発言が浅慮だったことを自覚した。ロトと今後も一緒に暮らせるのは、存外に嬉しかったしそうなればいいと思ったが、ヒバリはレティシアの責任をとらなければいけない。その重荷をロトに担がせるのはあまりにも気の毒だった。

「でも、これから危ないところにいくんだぞ? レティシアがどうなるかはわからないし、俺たちといるより、孤児院のみんなといた方が、楽しいと思うぞ」

 望んでいない結果なのに、言葉がするすると出てきてしまう。

「そんなことないよ。それに約束したじゃん。いつか私のことを殺してくれるって」

 出会った時にしたまじないのような口約束を掘り起こされて、ヒバリはくすりと笑った。

「そうだったな。そんなことを言ったな」

「うん。期待しているからね、ヒバリ」

 あの時は脅迫めいた言葉で、生きる希望となるように託したものだったが、期待していると言われると、なんだか歯痒く感じる。

「レティシアが安定したらここを離れよう」

「うん。わかった」

 ロトはジュースの注がれたグラスを手に持ち、嬉しそうにごくごくと飲んだ。

 ヒバリもそれにならって、グラスに余ったワインを口に含んだ。

 テーブルについた面々を眺めながら、ヒバリは孤児院での生活もそろそろ終わりか、と思った。

 そんな時、一つの轟音と共に食堂の電気が一瞬消えた。停電の原因は故障などではなく、轟音によるものだと全員が判断した瞬間、地面が揺れた。

「みなさん、テーブルの下に避難して!」

 神父が子供たちの安全を気にかけ、声を掛ける中、ヒバリは唇を噛んだ。気が逸ってベラ院長を探した。しかし、その姿は見当たらない。咄嗟にテーブル下に逃げ込んだこともあって、被害を確認している修道女などテーブル下にいない人間のことは把握出来なかった。

 ヒバリは、今起きた出来事は全てベラ院長の仕業だと勘案した。

(裏で企んでいることを全て吐かせていられれば……)

「ヒバリ兄!」

 ユーマが視線を合わせてきた。

「ユーマ、大丈夫か」

「なんとか。僕の方にあった花瓶が倒れてきたけど、誰にも当たらなかったよ」

「これは一体どういうことだ」

「わからない。あれだけ院長を尋問したし、その裏で何か企んでいるとは思いたくない」

 ヒバリは視線で同調した。そして違和感を覚えた。

 孤児院の子供たちは、覚えている限り食堂に揃っている。どこにも逃げ出さず固まって、この非常時を抜け出そうと一心になっていた。ロトもいる。しかし、レティシアの姿が見受けられなかった。

「レティシアがいない……」

「え⁉️」

 ヒバリは一つの結論に行き当たった。

──今の轟音でレティシアの戦争の人格が目を覚ましたのではないか?

 ヒバリは思い過ごしであって欲しかった。しかし低い確率が重なり合った結果が、現実として引き起こされている。

「姉さんは、もしかすると」

 ユーマと再び目が合う。狭いテーブル下では頷くことも難しい。だからこそ、ユーマとヒバリは目と目で通じ合っていた。

 同じ推測にたどり着いた二人は、どちらかともなく食堂を抜け出して、音のする方へ駆け出した。

「ユーマ、来なくていいぞ!」

 これ以上、兄弟を巻き込みたくなかったヒバリは、走りながらそう言った。

「そんなこと言わないでよ、ヒバリ兄。僕だって、少しは役に立つはずだよ……!」

 僅かばかり息を切らし始めたユーマは、途切れ途切れに言い返す。薄い感情ではない、本心だった。ユーマは憧れの先輩に役に立つところを見せたかった。

「なら、子供たちを守れよ! それが年長組の仕事だろ!」

 きつい言い方をしてしまったと、ヒバリは後悔する。それでも食い下がってきたら仕方がない、認めようと思った。

「わかった。見極めるよ。無理だと思ったら、すぐに戻るから!」

「ああ!」

 どこかで炎でも上がったか、廊下に煙が立ち込めていた。この方向は、とヒバリはどこで起きているか掴み始めた。

「レティシアは教会の方だ!」

 孤児院の敷地に存在する、神父や修道女が修練する場所だ。食堂を抜けた廊下から教会までは数分を要する。

 それまで二人は疾走した。徐々に熱を帯びてくる空気が、肺に負担をかける。何かが起こっているという予感が警鐘を鳴らしていた。

 確実に、戦闘が起こっている。あの日、襲撃されたような。

 教会までもう少しのところで、ヒバリは足を止めた。忘れ物をしたような、物足りなさが強烈に襲ってきたのだ。

 それは、恐れを成したための逃げではなく、勝つための退却であった。

 ヒバリはすぐさま踵を返し、〈ルシャール〉でレティシアの上官から貰ったヘルメットマスクを取りに戻る。

「兄さん、どこ行くのさ」

 突然何も言わず方向転換したヒバリに不安の色を覚えたユーマは、そう問いかけた。

「必要なものを取りに行くだけだ。それを手に入れたらまた教会に行くから──必ず」

 ヒバリからの先に行っててくれ、というメッセージだった。もし伝わってなくても、弟分を危険に晒さなくて済むから、伝わっていないことを念頭に置いたメッセージだ。

「わかった。先に行っているよ」

 ユーマの勇敢な表情に、ヒバリは目を見開いた。ヒバリのやりたいことを視野に入れて数手先に回ってくれるユーマのことをヒバリは頼もしく思った。


 *

 孤児院では、基本大部屋の形式をとっている。食堂にしろ、浴場にしろ、キッチンにしろ。共用で使うものは基本的に大人数で使うことを前提に考えられている。しかし、数少ない客間は別だ。年長組の子供が部屋を持つ寮のような小部屋もあるにはあるが、今回ヒバリたちが通されているのは孤児院の客間にあたる部屋だ。ベッドやソファが配置され、そこに持ってきた荷物を置いている。

 客間は食堂や教会とは別方向だが、微かに悲鳴が廊下を伝って聞こえてくる。子供の喚き声から、教会の方から聞こえてくる修道女のものまで。その声にレティシアのものが含まれていないことに一抹の安堵を覚えながら、ヒバリはマスクを手に取った。

 カトライエに習ったやり方そのまま、プシュ、と着圧を完了させてヒバリは視界に映るマスクモニタを注視した。

 これひとつで何かが決定的に変わるわけではないことをヒバリは知っている。マスクはジャケットを着用してはじめて真価を発揮する。マスクだけでは視界に映る対象物の危険度や、軍のデータベースにアクセスしての対象の分析ぐらいしか出来ない。それにヒバリは明確に軍の人間ではないので、データベースのアクセスキーを持ち合わせていない。

 ともすればマスクを取りに行くのは、時間を無駄にするだけの愚行かもしれない。しかし、ヒバリは自分の推察に頼った可能性に賭けていた。

 それが全ての希望だから。

 マスクとジャケットを着用した時その兵士は、カトライエが言っていたように、レティシア並の戦力を備える。

 頭半個分の重さを全身に感じて、ヒバリは走った。

 体感スピードが速くなったように感じる。

(付けてきて正解だったな)

 マスクがヒバリの走るフォームを最適化し、更に呼吸するタイミングを合わせることで、疲れを感じにくくなっている。

 来た時間とは半分に満たない時間で、ヒバリは火の手が回る教会を拝んだ。

(遅かったのか……⁉︎)

 想定はしていた。離れの教会であるのに、孤児院の方まで熱と煙が回っていたのだ。

 しかし、それはあまりにも残酷な現実だった。

「ああああああ!」

 場に似合わぬ高らかな笑いと、聴き慣れた声の悲鳴。ヒバリがユーマの叫びと認識した刹那、教会には気味の悪い静謐が訪れた。全てが終わりを迎えたような一瞬の静寂。

 恐怖が混沌と混じり合い、吸収されていく。ヒバリもその気にあてられて腰から砕け落ちそうになるが、マスクがそれを防いだ。

 まだ中に人がいることがわかったからだ。

 静謐が一瞬だったことを悟らせる剣戟の音が火の奥から響いてきた。

──レティシア⁉︎

 マスクが火の海に入ることを中度の危険だと知らせながら、ヒバリはそれでも突き進んだ。

 先ほど聞こえた異質な笑い声からレティシアを救うために。

 マスクのお陰で呼吸は安定している。モニタが知らせるには、中にいるのは三人。その三人にレティシアが含んでいるかどうかは、生身の体でなくても検知するのか知らないヒバリには判断がつかない。

 状況的に鑑みれば、三という数はとても期待できるものだった。敵、レティシア、ユーマ。レティシアと敵が交戦中のはずだから、ユーマはまだ生きている。

(生きててくれないと、困るんだよ! ユーマ!)

 ヒバリは大切な弟のことを想った。ヒバリの最重要事項が、人生において一番優先すべき人がレティシアであることは変わらない。だが、その下に位置するヒバリが手をとる人間は、現在ロトとユーマくらいだった。


 一眼見て、ヒバリは戦慄した。一眼見ただけで悟ってしまうほどに戦況は絶望的だった。

 教会の特徴的なステンドグラスは熱と闘いの余波で割れ、クラシック調の椅子は壁際に暴風が去ったような禍根を残して壊れていた。それに埋もれるように、修道女たちが血を流して倒れていた。

 置かれていた家具が薙ぎ払われているせいで、教会が広く感じる。その広さが故に、ここで戦闘が起こってしまっている。

(ユーマは⁉︎)

 戦闘の只中で立っているのは、レティシアと二人の敵だけだった。

 完全武装と化したレティシアは、見たことのない異形の姿として、ヒバリの目に映った。

 それが印象を下げるどころか、ヒバリにとっては格好良さを覚えた。盲目的なまでに。

 レティシアは両腕に取り付けられた未知の武器を解放し、銃撃とシールドを展開する。シールドはバリアのようでいて、敵の巨腕の暴力を防ぎ切る。

「時間になったらまた戻る」

「了」

 敵の一人が黒々とした靄を発生させた。暗澹たる黒靄はしかし確実にその先を見据えさせた。靄の先にあったのは、敵国の軍事基地のようだった。靄に映る壁には、国籍マークが描かれている。それがなんなのか、ヒバリにもわかる。

 共和国だ。イヴァイル共和国。ヒバリ達のいるヴィルヘルム皇国と戦い、三年を経て負けた国だ。

「お前ら、ここに何をしに来た?」

 靄を出した一人が、気にも留めていなかったとばかり驚きを見せて、言った。

「何、と。これが何なのかわからないんですか、貴方は。戦争ですよ、戦争」

 ローブマントから共和国の軍服が覗けた。フードをかぶっているせいで、その顔までは分からない。

「戦争だと? 終わったはずだろ! お前らは負けたんだ! これ以上この国に何をするつもりだ」

「終わった? 何を言っている。この戦争はあくまで前哨戦に過ぎない。お前ら蛮国は、新たな共和国の誕生に膝をつくはずなのだぞ」

(話が通じない。まだこいつらは戦争をしようと言うのか? しかし、現状を見ればこいつらは一体なんなんだ? レティシアのような人形兵器でもないはずなのに──何があった? それに、ユーマは?)

「ユーマはどこだ?」

「ユーマとは? この男のことですか?」

 男が、右腕から水滴をこぼした。靄と変わらず黒々としていて、ぽつぽつと滴り落ちて、やがて粘度のあるものに変わっていく。

 床に水溜りが出来ると、そこに男は手を伸ばして、ユーマを引き摺り出した。

 運良く、ユーマは気絶しているだけでかすり傷以外の大きな外傷は得られなかった。

「ユーマを返せ!!」

「この男は我々にとって有用だ。使わせてもらう」

「はいそうですかってなるかよ。共和国の人間が!」

「お前には我々からこの男を奪取することは不可能だ。マスクの男」

 そう言うと、男は靄に乗り込んだ。ユーマを引き連れて。

 すかさず追おうと、ヒバリは駆けた。が、もう一人の男が左腕をヒバリに伸ばして殴った。

 鳩尾に直撃し、その質量でもってヒバリは後方に吹き飛ばされる。

「ぐはっァァ!!」

 感じたことのない痛みだった。

 ヒバリは頭から一回転し、勢い余って床に打ち付けられた。べちゃ、と生暖かい感触で意識を保った。一人の修道女が溢した、紛れもない血だったからだ。ヒバリは慄いた。

──死がすぐそばにあるということに。

 直後、殴られた痛みがやってきた。息が出来ない。悶絶する。

(……ジャケットを探さなければ。……ジャケットがあれば……)

 最悪の事態を前に、ヒバリの意識の糸はぷつりと切れた。


 ヒバリの意識が切れたタイミングで、レティシアの方も押され始めた。レティシアの攻防は、完璧だった。

 しかし、それはいつもの戦場では──に限定される話だ。敵の巨腕は、密集した何かの物質で出来ており、レティシアの見えない弾丸を弾き、また物質間の隙間に吸収されてしまう。

 防戦一方のレティシアだったが、敵がヒバリや味方に注意を払っていたお陰でなんとか均衡は保たれていた。

 それが、今決壊した。

 敵の二本の腕が連続攻撃をしかける。その速度は、シールドの展開速度を若干上回り、その差でレティシアがじりじりと後方に追い込まれた。

 敵の顔は、腕を覆っているのと同様に、物質で覆われておりお面のようになっている。さながらマスクのように相手の意図は掴めぬままだった。

 レティシアの意識は、ここにはない。覚醒して以来、あの時の悪夢に囚われたままだ。

 幸運だったのは、今戦っている相手が、まさしくレティシアの敵だったことだ。

 殺傷をしても厭われない、幸運な相手。しかしそんな余裕は一分もない。

 ただ飄々と、敵の緑髪は靡いているだけだ。涼しい顔をして、レティシアを殴っているに違いない。

 レティシアは徐々に退がっている。聞くに耐えない踏みつけた音がした。それは、倒れた修道女の手だった。死んでいるのもあって悲鳴を上げることはない。

 薄い肉と細い骨が、ただ押しつぶされるだけの音。

 レティシアの背中が壁に当たった。

「──終わりだな」

 間髪入れずに敵が距離を詰めて、レティシアはなんの攻撃も繰り出せない。

 敵は物質を右腕に集中させ、極大化した腕でもってレティシアの首を絞めた。

 絞める行為がレティシアの死に直結するわけではない。生物の体とは異なるレティシアの肉体は、しかし活動を停止させるには十分なダメージだった。

 その事実は、はっきりと相手にも伝わった。

 自分の勝利を感じると、敵は手の力を緩めた。

 これは、敵の完勝を意味したわけではない。

 手負いのレティシアだったが、最初敵は四人だった。そのうちの二人を苦戦しつつも撃破し、負けたのはその後の戦闘だった。だから、そもそもレティシアにはエネルギーが足りなかったのだ。

 戦闘の苛烈さを物語るように、敵の残酷な肢体が教会右方に転がっている。

「安全確認をした後、こちらに来てくれ」

 敵が左耳につけられたデバイスで通信を行う。伝達を行いそれが繋がると、ふっと息を吐いて厳戒な緊張を弛緩させた。

 それが決定的な隙になったわけではない。惜しくも、敵に攻撃出来るような人間は誰一人として存在していなかったのだから。

 敵に誤算があるとすればレティシアが闘っていたのは、敵ではなく、自分自身だということだけだ。


 *

──悪夢は終わらない。その幕開けはとても静かだった。

 管制塔から照らされる光だけが、戦場の灯りだ。帰還命令が出るまで、兵士は退却が出来ない。

 その光は、退却時に目指すべき場所を示してくれる。

「レベッカ」

 レティシアは戦友の名前を読んだ。意味なんてない。意味なんて、あとからついてくる。

 レベッカはそれを聞くと、同じく「レティシア」、と呼んだ。互いに見つめると、

「行くぞ!」

 気合いを入れて、レベッカが吠えた。

 レンジャーの登場により、皇国軍に士気が上がる。戦況は押し返せる状態まで来ている。先に出動した先輩たちの活躍によるものだった。

「すごいね、これは」

 目の前の敵を狙撃した後、身の丈に余るほどの銃を片手にレベッカが感嘆した。その感激には自分自身の成長の実感と、先輩たちの畏怖が籠っていた。

「私たち要らないんじゃないの?」

 レティシアが自虐する。しつつも、敵兵を一、二、と屠っていく。横で「それはないだろ」とレベッカが一笑する。

 皇国の科学力は圧巻の一言だった。共和国の戦い方に対し、皇国では二十年も三十年も進んだような戦力を誇る。

 なぜ皇国はそこまで進んでいるのか? そこには独自に仕上げた裏の仕組みがあった。孤児院のような。

 自分たちの努力が無駄ではないと、確信する。

 敵兵はすべからくなす術もなく射殺されていく。

 敵兵の戦闘用ヘルメットの下に浮かぶのは畏怖だけではなかった。レンジャーによる蹂躙が続いているのに、退くどころか構わず攻めてくる。レティシアは怖くなった。

 畏れず突き進んでくることが命令だとしたら、何か裏があるのではないか、と勘繰ってしまう。杞憂ならそれでいいのだが──。一抹の不安が過ぎる。


 少ししてやはり気色悪い、という感想が浮かんだ。共和国兵の軽装な装備だけではなく、洗脳されたかのような冷静さを欠いた行動。理性がないのではないかとさえ思った。

 レティシアとレベッカは、単純作業のように殺していく。さながらお膳立てされたゲームのように。しかし猛攻は続く。

「掃射」

 痺れを切らしたレベッカが、担当するエリアを超えて、戦線を押し進めた。

「掃射完了」

 一瞬の弾幕に、攻めかかる敵兵は薙ぎ払うように悉く絶命した。

 血と火薬の匂いにむせかえりそうになりながらも、レティシアは立ち続けた。

 その時だった。

 敵陣の中央から一つの影が現れた。レベッカの弾幕が引き起こした砂塵によって二人のいる位置からは誰なのか特定出来ない。

 他のエリアにいる味方の動揺が伝わった。

「あれが敵官か?」

 察したレベッカがレティシアに尋ねる。ヘルメットの下には剣呑な表情を浮かべている。

「レベッカ、気をつけて」

 緩んでいた緊張が一気に引き締まる。

「わかってる。レティシアも自分のことに集中しな」

 自分のことより人のことに意識をやりがちなレティシアをレベッカはよく知っている。もとより、二人に言葉は要らない。

 先刻の異常事態は新兵である二人にも分かっていた。奇妙な現象のあとには必ず何かが起こると体が警鐘を鳴らしていた。

 煙幕が晴れると敵の行動が明瞭になった。

「私は、ルル・ブランカ。これ以上の言葉は要らないな。死ね!!」

 男は右腕を晒し、注射を打った。体に巡るのが速い劇薬なのか、男は途端に苦しみ出す。

「ふふふ、」

 このまま銃を打ち込めばいいのに、味方は全員釘付けになって動けない。射程距離が長いので届くことはないが、果たしてそれに気づいた人間はいるだろうか。

 敵は不敵な笑いを溢すと、戦場に轟くような声量で吠えた。

 うおおー! という怒号に孕んだ殺気に、レティシアの体は凍てつく。

 ルル。ブランカは大きな隙を晒しているのに、その間に敵が攻撃することはなかった。それを考慮した上で予備動作が組み込まれていた。

 粒子が、それは親指の第一関節ほどの大きさの物質が男の周囲を囲んだ。咆哮とともに粒子は拡散して、敵兵にまとわりついていく。

 体を侵食されているようだった。意図したものでない攻撃に、敵兵は喚く。

 刹那、敵兵の一人の体が膨れ上がった。

 膨張、というよりは骨格が上等なものに変化し、その身長は二メートルに達していた。

 纏わりつく粒子を払い除けるも、なんの意味も為さない。想像を絶する痛みを感じるのか、暴れ回る。

 そうした行動をするものが敵兵に多数現れた。

 冷静になった先輩のレンジャーが、弾を打ち込む。正確な射撃だった。技術は敵兵に慈悲を分け与えた──かに見えた。

 急所を撃ち抜いたはずなのに、敵は依然と立っている。

 粒子が極度に密集し、弾丸から身を守ったと気づいた時には、そのジャケット兵は別の敵兵の爆発に巻き込まれた。

 レティシアの聞いたことのない爆発音だった。事実、その爆発は火薬由来ではない。

 皇国は確かに大陸でもずば抜けた科学力を持っていた。しかし、共和国は科学力とは別の力を手にしていた。まさしく未知の力に、対処の仕方を知らない皇国軍は多くが犠牲になった。

 先ほど爆発に見舞われた先輩は、かすかに息の根を繋いでいた。パワードスーツの持つ治癒力と防御力に間一髪のところで助けられたのだ。パワードスーツの性能を瞬時に引き出せたところは流石に経験を積んでいるだけはあった。しかし、助かったものの虫の息であることに変わりはない。

 断続的に襲う自爆とも言える敵兵の爆発に結局は巻き込まれて戦死した。

 戦線の後方にいるレティシアとレベッカは、単純に恐怖した。

 自らの力に溺れ、自分たちが死ぬ心配は消え失せていた。だからこそ、今まで感じたことない死の感覚にレベッカはえずいた。

 間隔の短い時限爆弾のように、既に連綿と続く暴力を前に、皇国軍は敵前逃亡をし始めた。それは命令に含まれていない許されないことだった。それが許されたのは現地で指揮権を執る官が率いる一部の部隊だけだった。

 ──爆発が止む。弾丸を撃ち終えるとマガジンが空になるように、自爆攻撃は出切ったようだった。

 しかしそれは、次の攻撃が始まることの前触れに過ぎない。

 適合者が現れた、と気づいたのは元凶であるルル・ブランカと皇国の老兵だけだった。

 粒子の侵食を受けきり、自身の体と一体化した敵兵の適合者たちは、粒子を体表に纏い、体を膨らませ、のろのろと前進しだした。それが適合であることを意味するのは、なにより自爆攻撃ではなく、装備済みの銃火器と鋭利に尖った粒子による攻撃を主としたからだった。

 敗走しかけていた皇国軍は再び共和国の攻撃に応じた。殆どは無惨に殺されるも、レンジャーの隊員たちはなんとか応戦していた。

 さながら敵国兵は獣のようだ。その特徴を人間は有さない。


 未知の攻撃に皇国軍が落ち着きを取り戻した頃、レティシアとレベッカもまた、互いに息を合わせて向かい撃っていた。

「──どうなるかと思ったが、これはなんとかなりそうなんじゃない?」

 レベッカが喜色を浮かべてそう口にした。レベッカのそれは生きている、という実感そのものだった。

「油断は禁物だよ、レベッカ」

「はいはい、わかってますよ」

 敵の見せる粒子の防御面がいくら優秀であろうと同じところに集中砲火すれば防ぎきれないことは目に見えて分かった。

 弾切れになる寸前に、レンジャーの特性である二人一組を活かしたスイッチで撃ち倒していく。敵の穴はそこだ。


 誰も予想出来ない戦局は最終展開を見せる。これこそ真の悪夢の始まりであり、また悪夢の終わりでもあった。

 

 戦場は膠着状態と化していた。皇国の一般兵は為す術もなく殺されていくが、卓抜したレンジャー兵はなんとか適合者を処していた。適合者による殺人は残虐の限りを尽くしている。獣じみた習性が、ここを狩場と思っているのか一息で殺すことはない。殺すまでに時間差があることで、レンジャーはなんとか拮抗しているのに過ぎなかった。

 まだ体力の残っているレベッカは、迫り来る敵の一人を銃でぶっぱなした。反動で体力を持っていかれる。

「このままじゃジリ貧だが、私たちが死力を尽くすんだよ!」

 弱気になっていた同期を鼓舞すると、レベッカはさらに敵陣へ押し込んだ。レティシアも続いて、彼女の補助の役目を果たす。

 レティシアはレベッカのことを誇らしく思った。初めて会った時、戦場で一番戦績を残すのはあたしだと言っていたこと、「死ぬ」なんて自分から言う人間が、言ってしまうことが嫌いだと言うこと。不意にそれらの記憶が思い出された。

 レティシアはたまに思い出して、こう考える──もしかして、あの時私が代わりに走馬灯みたいなものを見てしまったから、彼女は死んでしまったのではないか──と。

 ようやく勢いづき出したレンジャー達は、ここで急速に失速する。

 人間の形を模した適合者たちが、異形の姿へと変貌し始めていた。

 遠くからルル・ブランカはため息を溢した。

「なッ! こいつらまた何かする気だぞ!」

 いち早く気づいたレベッカだったが、しかし既に変化を終えていた敵個体の、レーザー光線のような攻撃を喰らってしまう。

 すぐ後ろで連携していたレティシアは、その個体に気づいていなかった。結果レベッカは身を挺してレティシアを守ることになった。

「え!」

 レティシアは驚きに言葉が漏れる。ダメージを負ったのは脇腹だった。幸い瀕死の状態には至っていない。このまま放置すれば致命傷になりうるが、パワードスーツで応急処置は施してくれる。

「私は、なんとか大丈夫だ。それよりこのことを皆に伝えないと……」

 かろうじて残っていた体力で起き上がると、しかしレベッカは戦局を察した。各地で、変異体が攻撃を浴びせ続け、更なる敵の変化に味方も動揺していた。しかし、慣れがそれを上回り適応し始めていた。

「必要ない、か……」

 それを知ると、レベッカは傍に落ちていた自分の愛銃を拾った。もう体力は残っていない。パワードスーツは重さのある戦闘服であるから、普段立っているだけでも力を要する。

「レベッカ、あなた、でも……」

 身を案じたレティシアが、その先の言葉を途切らせるもレベッカに言葉を投げた。

「ごちゃごちゃ言ってらんねえんだよ!」

 レベッカは反駁し、もうレティシアに持てる言葉はなくなってしまう。彼女の意思は尊重したい。けれど──。

(あなたに死んで欲しくなんてないのよ……)

 口に出すことを封じられた言葉を胸中に留め、それでも最後まで一緒にいると決めたレティアシアもまた、己の武器を掴んだ。

 ほんの数瞬のことだったのに、敵に包囲されていた。

「チッ、面白いじゃあないか」

 切れた唇を舐めて、レベッカが言った。レティシアに視線を寄越すと、レティシアは何も

言わずに頷いた。

「うおおお!」

 レベッカが雄叫びを上げる。特定の動作を行うと、その銃の持つ隠し機構が目を覚ました。銃槍を振り回し、多数に枝分かれした触手状の波状攻撃を裁断していく。極限状態の集中に、レティシアは息を呑む。

「レベッカ、今度は私が……!」

 本来ならスイッチして、レティシアが武器を振るう番のはずだった。しかし、同期の中でも随一と言われた連携が、今は発揮できない。

 その時だった。レベッカの攻撃の網からそれた敵が、一瞬の隙をついて、爆発した。それは一度目の自爆と変わらなかった。

 レベッカはそれをまともに食らう。レベッカがレティシアの方へ飛ばされ、さらに爆風でレティシアも自陣まで引き戻される。

 それはまさしく重傷だった。幸運にも、レティシアを下敷きにしたおかげでまた息があるというだけの。

 パワードスーツは大破し、腹部には風穴が空いていた。

「ねえ、レベッカ……」

 レティシアの目尻に雫が溜まり、間もなく決壊した。コキューコキューと、不規則で絶え絶えの呼吸をしつつレベッカは応えた。

「何も言う、──な」

「でもさ、ねえ……レベッカ、そんなこと──言ったって! 死なないで!」

「ごめんな……こんな無様な姿を見せてしまってよ……なあ、お前は死ぬなよ。最後まで生き残って帰るんだ」

「何言ってんの、二人で約束したじゃん。嘘つかないで。逝かないでよ。私だけじゃ無理だよ。レベッカも、」

「レティシアには、帰りを待ってくれてる彼氏がいるんだろ? 彼の為にも頑張らなきゃ」

 嘘でもいい──それが最後の言葉になるかのように、強く意味を含めて言った。

「嘘でもいいからさ、最後に何があっても必ず帰るって言ってくれないか。嘘も突きつければ本物になる──」

「レベッカ……わかった。私、帰るから。何があっても、必ず」

 レティシアが気づいた時には、レベッカは絶命していた。

 レティシアは絶叫する。自らの力不足に。盟友の死に。

 それが、悪夢が映す最後の記憶だった。

 カチ、とそして悪夢はまたループする。


 *

 先に目覚めたのは、ヒバリだった。しかし、すぐにレティシアのもとへ駆け寄れたわけではなかった。未だ敵が駐留し、動けばレティシアに危険が及ぶ可能性を考慮したからだった。

 気を失う前に貰った鈍痛が、今はなによりも訴えかけてくる。

(レティシア……)

 最愛の人は壁に打ち付けられて、意識がない。ヒバリは這いずりながら、レティシアの方へ寄った。

 敵の男はヒバリの存在を認めるが、取るに足らない存在と考え、何もしない。

 ヒバリが気を失っていた時間は、明確にわからない。一分か、五分か、それより少し長いか。

 男は左耳のデバイスで再度連絡をとった。戦闘は幕引き、他に脅威となる存在は確認出来ない。

 引き上げの際には、ユーマを拉致した味方を呼び寄せる。彼が来れば、ここでの仕事は終わりだ。

 安い仕事だったと男は思う。部下をやられたのは痛手だったが、あの頃より適合者はごまんといる。

 ふっ、とこの場に自分以外立つものがいない現状を嗤う。

「──レティシア、負けるな! 負けるな!」

 ずるずると這い寄るヒバリを男は一瞥すると、すぐにヒバリのとった危険行動を察した。

 活動を止めたはずのレティシアの体が僅かに震えた。

「何をしている?」

 見過ごされただけの分際で、勝手な行動をするのが男はなによりも許せなかった。

「はっ、何も」

 ヒバリは男の問いかけを一笑に付す。

「しょうがない、遊んでやるよ。と言っても──」

 男はヒバリの横腹を蹴り飛ばした。その衝撃を殺せず、ヒバリは何周か転がる。

「ゴミのように扱うだけだがな」

 ヒバリを乱雑に扱い、どかっと上半身の上に乗った。がは、と声にならない声を上げ、さらに肺を潰され思うように息ができない。それでも──。

「レティシア、目を覚ませ、俺にまた笑いかけてくれ──!」

 それでも、レティシアにかける思いは変わらない。自分が死んでも、ヒバリはレティシアを愛し続けるのだから。

「いい加減にしろ!」

 ゴミを見るような目で、男は再びヒバリを足蹴りにした。

 その時だった。

 神速の速さでレティシアは詰め寄り、男にパンチを見舞った。

「ぐっっ──!」

 男に出来たのは、防御の姿勢をとることだった。それでも、間に合わずもろに攻撃を喰らってしまう。

「ヒバリくんに触るな! ヒバリくんに触っていいのは私だけだ。誰にも、指一本許さない! だからお前は──!」

 男はバックステップで距離をとり、レティシアを観察した。

 レティシアの肉体の三割は損傷していた。腕が折れているとか腹に穴が空いているとか目に見えた損壊ではなかったが、綺麗な肌はボロボロになり、半人半械の様相を呈していた。ダメージを負った体表は削れ、時たま火花を散らす。

 そして、人で言えば充血した瞳で男を睨みつけた。

「出来るのか、そんなこと? もうボロボロじゃないかお前の体。さっきと同じ目に遭わせてやるよ」

 男の周囲に粒子が集まった。それが形作るのは、さきほどの巨腕だ。

「名前は何と言う? その威勢の良さを買って聞いといてやるよ」

 レティシアは息を吸い、そして言った。

「レティシア。家名はない」

「そうか、覚えといてやる。無様に死んでいくお前の名を。そして、俺は──」

 男が駆け出した。粒子の纏っていない両足にも関わらず、およそ人間技ではない跳躍を見せる。

「ルル・ブランカ……! お前を殺す者の名だ」

 レティシアは詰め寄る相手に銃撃を見舞った。しかし先ほどと変わらず巨腕に吸収されるように防がれてしまう。

 だが──。

「なっ!」

 水を含んだ粉物のように、粒子は爆散した。べちゃ、と似た音をあげて。

 予測していない事態に、男はまた距離をとる。

「ルル・ブランカ、覚えているぞ。三年前のあの日、私たちに屈辱を与えた名前だ」

 にや、と男──ルル・ブランカは口角を上げた。

「あの日のことは、いまでもたまに思い出すぞ。私たちの実験が始まった日だ」

 しかし、どうかな、ブランカは続けた。

「あれから三年も経っている。あの日から何も変わっていないと思うなよ」

 レティシアは銃撃を続けるが、レティシアの首を締めた要領で極大化した左腕に防がれてしまう。その間にブランカは次のアクションに移ってしまう。

「これはヴィシーと言ってな。ある日、共和国に落ちてきた生命体だ」

 落ちてきた、というのは少し不適切だがな。ブランカは呟いた。

 あの日と同じように、ブランカは右腕に注射した。

「レティシア、お前のそのボディが皇国の科学力によるものなら、共和国はヴィシーによる異能の力を使う。これからの戦争は軍隊によるものではない」

 ──一人の卓越した人間の個人戦だ!

 ブランカが叫んだ。注射で打ち込んだヴィシーが、彼の肉体と反応し、眩い光を放つ。

 レティシアの脳内に埋め込まれた攻撃AIが、ナイトビジョンに切り替えた。

 標的はルル・ブランカ。AIは確実に敵を殺す手段を確立し始めていく。

 一瞬の隙が生死に関わる攻防の最中、レティシアは平静を崩すことなく乗り越えた。しかし、それゆえに自身の枠組みからはみ出たヒバリのことに注意を向けるのは、苦手なことだった。

 彼に何かあれば、と一目散にヒバリの安否確認に向かう。

 敵も敵で、慣れた痛みではあるものの身動きがとれなかった。目指したのは、今までにない最高の同調率。

 人と化け物の狭間。

 彼は本能的に察していた。今までの対人戦闘とは違うと。

 レティシアがヒバリを安全圏まで運び出すのとブランカが融合を果たすのはほぼ同時だった。

 ブランカの容姿は、全身を粒子で覆われた完全な化け物だった。遠くから見れば獣ともとれる、粒子で出来た厚い装甲は全てヴィシーから成っている。


 戦闘はみたびレティシアの攻撃から始まった。

 見えない弾丸は、ブランカの意図をして弾かれる。

「──何?」

 今まで、敵はレティシアの攻撃を認識出来ていなかった。レティシアが向ける人差し指、または四本指が放つ擲弾発射機の、指先の角度から推測してそこに盾となる粒子──ヴィシーを配置していたに過ぎない。

 今のブランカにはそれが感じられた。見えない弾丸は、もとより見えないが、それでも殺傷能力を持つ攻撃を防ぐ手段は存在した。そもそも製作者は防衛手段があることを知らないが。

「お前のやることはそれだけか……?」

 人間を超えた身体能力と動体視力をもってレティシアの初撃を防ぎ切ると、ブランカは嘲笑を浮かべた。互いに余裕はなかったが、経験の分があるブランカは言葉を交わすだけの余地があった。

「残念ながらあんたを殺す算段はもう整うわ」

 脳内で同調したAIは既に計算を始めている。その結果ももう出そうという頃あいだ。

『───エラー………』

「──なっ……」

 レティシアの頼みの綱が切れて、驚きが顔に出る。ポーカーフェイスは昔から苦手だった。

『サンプルが足りません』

 よくよく考えればそれは至極当然のことだった。AIからすれば、相手の切り札に即座に対応しろと言われているようなものなのだから。

「はっ。ポーカーフェイスは苦手なようだな。バレバレだぞ。なにか、あてが外れたのか?」

 レティシアにとってそれは失態だった。しかし、まだ策はある。過去を克服して得た、力が。

 ブランカはバカにしたように笑ってくるが、レティシアは意識を改めた。

(勝たなければならない……。全てを投げ打ってでも、命を捨てても。今度こそ、大切なものを守る為に)

──レベッカ。

 亡き友人のことを思い出して、祈った。

(……私に力を貸して)

 少しの沈黙の後、ブランカは遠くを見据えてはっきりと言った。

「私の味方が来るまでおよそ五分。それまでに終わらせるぞ」

 緑髪を靡かせて言った。

 教会内は高熱に曝されている。それを払うかのごとく、ブランカはぶんぶんと肩を回した。

 刹那、床に穴を掘る強さで、踏み込み一気にレティシアの間合いへ入った。

 それを予測してか、レティシアは銃器を使うのをやめ、シールドで形成したブレードで拳を受けた。

 ソニックブームが発生した。互いに爆風が吹き荒れ、床が摩擦力で溶け、じりじりと後退る。

 ピキ、とレティシアのブレードに亀裂が入った。ブランカも同様に、粒子に切れ目が入る。

 次の段になり触れていた面を離すとすぐさま修復した。ブレードは、シールドを新たに展開することで、拳は切れ目を粒子が覆うことで。

 二度三度、同じことが続いた。

 高速の撃ち合いはすなわち体力勝負を意味していた。

 先に限界が来たのは、やはりレティシアの方だった。戦いが続き、エネルギーはもう空だった。いくら覚醒したと言っても、無尽蔵とは言えない。

(命を賭けると誓ったもの。最後の最後まで、私はやるわ)

 AIの警告を無視して、生命エネルギーを変換した。これで幾ばくかの猶予が出来た。それはとても虚しいことだが、レティシアはまだ戦えるということが嬉しかった。

「いくぞ」

 予期したようにブランカが言った。レティシアは無言で肯定する。

 男は半歩下がった。ついで、腕に纏わせていた粒子を下半身に移動させた。彼の狙いはスピードでレティシアを圧倒することだった。

 レティシアはもうガス欠に近い。然らば無駄にエネルギーを使わせてペース配分を狂わそうという考えだった。

 彼の読み通り、レティシアはAIの計算から推測される場所にシールドを展開した。

 シールドの面を縫うように、ブランカは刺突の構えをとる。鋭利に伸びた粒子状の爪が、レティシアの横腹をえぐった。

 加速された思考の中で、レティシアは体をよじり致命傷を避けた。

 そこからは防戦一方だった。側から見れば弱者の延命行為に過ぎない。が、ブランカ自身は拳を交えた同士に、哀れみよりも同情の念を寄せた。

(しかし敵同士、死んでもらうしかない)

 レティシアがなにをもってそこまで生に拘るのか。身を守るだけでは勝てないはずなのに、攻撃に転じないのは何故なのか、彼はその意図を読み切れなかった。

 肉体の損壊は酷たらしいものに変わっていく。レティシアの数少ない生身の部分は、肉を裂く感覚がある。機械の部分は、ロボットたらしめる配線が垣間見えていた。

 ブランカは勘案する──そして心の中で笑った。

「その姿、ヒバリくんとやらに見られたらどうする? 困るか?」

 弱みを握ったと思った。

 今までの行動からヒバリという人間に囚われているのは気づいていた。それが愛する者に対してなら、心理的な負担になると思った。

 確かにレティシアは大きく動揺した。ブランカを酷く睨みつけ、怒髪天を衝く勢いで絶叫した。

『──対象の解析完了。迅速な処理を開始します』

 レティシアはそこではじめて、不敵な笑みを浮かべた。

 ブランカは一層攻撃の手を強めた。無惨にもレティシアの肢体に裂傷が増えていく。

 次のタイミングで、レティシアは右腕で攻撃を受けた。スパ、と腕に切れ目が入る。合金で繋がった腕の先がぷらんと垂れ下がる。

(……何をやっている?)

 ブランカは諦めたのだと思った。しかし、その考えはすぐさままやかしだと知る。

 間合いに近づき過ぎたブランカは、レティシアのシールドに阻まれて動けなかった。

「──くそっ!!」

 ブランカが押しのけ抵抗したことで、首の皮一枚繋がっていた右腕がぷちんと切れる。

 腕の断面は、見たことのない機構をしていた。

 その断面から、眩い光が、閃光が発される。

(──まさか、自爆⁉︎)

 ブランカは直感的に死を悟った。

 レティシアの切断された断面からワイヤーが伸びてブランカは拘束される。

 刹那、教会が全壊するような爆風と爆音が襲った。


──ヒバリくん、さようなら。あなたのことをずっと愛しているよ。


 安全地帯まで運ばれたヒバリが再び意識を取り戻し、無意識に立ったのは、教会の爆破があったからだった。

「レティシア!!!」

 痛みのことなど忘れて、燃え盛る教会内部に着いた時には、もう事は終わっていた。

 黒焦げになった何かと、傍には四肢のもげた、愛する人が横たわっていた。

 泣き叫びながら、レティシアと呼んだ。

 無論、反応してくれるわけもない。

「なんで、なんで……」

 レティシアの体を起こすと、彼女の半分もない体重が重くのしかかった。

 半身しかないにも関わらず、成人女性の体重よりずっと重かった。

「レティシア、レティシア……!」

 ヒバリは、彼女の顔を撫で何度もその名前を呼び続けた。

 乾いた唇から、掠れた声が漏れた。

「ヒバリ、くん……」

「レティシア⁈」

「私、ヒバリくんのこと守れたよね?」

「ああ、君は俺のことを守ってくれたよ……。だけど! この命は君の身体を投げ出してまで守ってもらいたいものじゃない!」

 レティシアの股関節からなんらかのオイルが漏れ出して、ヒバリは嗚咽を零した。我慢のしようがない、気持ち悪さを覚えて、実際これは自分の愛するレティシアなのかと疑った。

「これからは、ロトと一緒に暮らしてね」

 ロトの無邪気な顔が浮かんだ。

 それがもう一つの希望なのだと、レティシアは言った。

 そして──、

「私、レベッカと約束したの……」

 聞き慣れない人名に、ヒバリは耳を疑った。が、かつて戦場にいた誰かのことだと推測した。

 ヒバリは相槌を打つ。

「ヒバリくんを、守るって。戦争が終わったら、私たちが家族を守るんだって」

 枯れた体から一筋の涙が頬を伝った。

「でもね、その約束はもう守れないみたい……。ごめん、ね」

「……っ」

「私、ヒバリくんに好きだよって言って欲しい。私の愛したヒバリくん──」

 ヒバリはだらだらと鼻水と涙を流して、一瞬の我慢の後、言った。

「愛してる! レティシアのこと、誰よりも世界で一番、愛してる! 愛してる、愛してる。愛して──ッ……」

 その瞬間、三年前の記憶が蘇った。あの時の誓い。


『俺は、ティアを健やかなる時も病めるときも愛すと誓うよ。だから、結婚してください』

 婚約を決めた時、順風満帆とは言い難かったが、幸先のよいスタートを切ったあの時。

 付き合って以来の告白だった。必ず守ると誓った約束──。

 レティシアはヒバリの誓いに、ひとつ条件を付け足す。

 ヒバリは、覚えていた。

『私を愛して。私が死んでも、私が私でなくなったとしても」


「君を愛します。病める時も健やかなる時も、そして君が君でなくなっても──最後まで、最後の瞬間まで、愛し尽くすと」

 微かに愛する人の声を聞きながら、悪夢は幕を閉じた。

 ──レティシアはもう何も言わなくなった。

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