余桃の罪

後日、尚服局しょうふくきょくにて出来上がった衣装が桃華宮に届いた。陛下の代理という形で届けてくれたのは紫雲さんと陛下の宦官たちだ。


「な、何ですかこれぇ!?」


宦官たちが数台の荷車に乗せて運んできたのは、大人2人でようやく持ち上がる大きさの箱が20箱ほど。

中には水色や緑色の宦官服がぎっしり詰め込まれている。

いったい何百着あるんだろうか。


「え、まさか使い捨て?宦官服って洗濯しないの?」


目の前で次々と積み上げられる箱にうろたえていると、紫雲さんが笑った。


「あれは女官たちの分ですよ。トウコさんのはこちらです」


そういって布でくるまれた宦官服を差し出した。


「女官たちに同じものを支給していては、トウコさんへの恩賞にならないですから。いったん全てトウコさんへ下賜かしする形をとって、それをトウコさんからという名目で女官らに配るのです」


「ああなるほど」


当たり前だがこの衣装も全て国民からの税で賄われている。これだけの量を作るならば全て私への恩賞とした方が何かと都合が良いのかもしれない。


「てっきりまた桃饅頭100個みたいな事態になったのかと……」


まぁその饅頭も結局食べきれなくて他の宮の女官さんらに配ったので、結局同じことではあるが。


紫雲さんが笑いながら答える。


「そもそも今回の功績を考えれば、恩賞が宦官服の一着二着なんて割に合わないですからね」


「………」


私は何も返さず衣を受け取った。

うつむく私の顔を大きな瞳が不思議そうに覗いてくる。


「どうしたんですか?」


「いや。私はこの恩賞に見合う働きができているのかな、と思って」


確かに紅貴妃の件は結果的に大きな恩恵をもたらした。

しかし今回私自身がしたことと言えば、ただ貴妃と茶を飲んで気づいたことを紫雲さんらに話しただけ。あとは陛下や緑狛さんの協力、何より紅貴妃の実力があってこそだ。

それらが全て私の功績のようにされるのは疑問が残る。


「それに妃の皆さんはともかく、陛下はあまり変わってない気がして。聖人の役目を果たせている実感がわかないんですよね」


先日「女の好みがわからない」と頭を抱えていた陛下の姿を思い出しながら、私は受け取った衣を女官の鈴玉ちゃんに渡す。

ちょうどお茶の用意ができたとのことで私たちは屋敷の中に入った。


席に着くと茶杯の中に黄色い花が咲いていた。今日は菊花茶だ。


「先ほど実感がないとおっしゃっていましたが、トウコさんの働きは少しずつ実を結んでいますよ」


紫雲さんは茶杯を両手でそっと持ちあげ、窓越しに庭の桃の木を見つめる。

そして、ここ数ヶ月間の陛下と妃たちの交流について話してくれた。


「まず橘賢妃ジーけんひとは、何度か手紙のやりとりが続いたのち陛下が東櫻とうおう宮を訪れました。賢妃はとばりから出て、うちわで顔を隠しながらお話をされました」


『橘賢妃は、欲しいものはあるか?』

『……いえ何も。大変良くしていただき十分にございます』

『トウコは……』

『はい?』

『トウコは何が欲しいのだろうか。恩賞が……』

『……恩賞?』

『桃の実は傷みやすいゆえ、砂糖漬けか……』

『………』


会話が途切れたところで、見かねた紫雲さんが陛下へ耳打ちしたそうだ。


『(陛下、トウコさんが聖人だというのはここでは内密に。それに、他の女性への贈り物について話すのは失礼ですよ)』

『……そうなのか』


その場に流れる微妙な空気を想像した私はただ苦笑いするしかなかった。


「やらかしちゃってるじゃないですか、陛下」


「まあ、賢妃も手紙のやりとりで陛下の人柄は知っておられたようですから。逆に緊張がほぐれたとおっしゃっていました」


紫雲さんが尚子様の様子を語りながら微笑む。


「陛下は後日茉莉花まつりか宮にも訪問されました。燕淑妃イェンしゅくひは例の椅子に陛下と青藍を並んで座らせ、お茶と桃の実を出しました。形ばかりの毒味として青藍がかじった桃を後から陛下が食べる様子を眺めながら、淑妃は嬉しそうにお茶を飲んでいましたね」


あの夫婦椅子(?)に2人が並んで桃を……。

何とも奇妙な光景が私の頭に浮かぶ。


「……それってもしかして『分桃』の再現ですか?」


私がたずねると紫雲さんが意味深に目を細めた。


「おや、さすがよくご存知で」


『分桃』とは、この国に古くから伝わるBL話だ。

とある君主に寵愛されていた美少年が、自分の食べかけの桃を君主に与えたところ君主は感激したという。そこから男同士で桃を分け合うのは愛し合っていることを暗喩あんゆしている。


それにしても目の前で推しカプを絡ませそれを鑑賞するとは……何という贅沢な遊び。さすが姫。


「とりあえず淑妃の男性嫌いは治ったようで安心しました。紫雲さんも一緒に行かれたんですよね?」


かつて淑妃のお気に入りだった紫雲さんも、宦官の秘密を知られて以降しばらくは「顔も見たくない」と避けられていた。

今では普通に話せる仲だという。


「ええ。ただ淑妃は青藍たちに夢中で私は蚊帳の外。もはや"過去の男"状態でした」


そう言って茶杯の中で揺れる菊花を眺める瞳はちょっと寂しそう。

その姿はまさに『分桃』の美少年の顛末てんまつのようだ。とはさすがに口にしなかったが。

私もまさか淑妃が青憂沼に落ちるとは思わなかった。


「しかし陛下たちも完全に淑妃のオモチャにされてますよね」


14歳の若さで後宮の男たちをこうももてあそぶとは、淑妃もなかなかやる女である。

そう感心しつつも、これに関しては彼女をこちらの世界へ引きずり込んでしまった私も責任を感じた。


「まあ当の陛下はどちらの宮でも『良き交流ができた』と満足しておられましたから」


「それなら良いですけど……」


全く交流のなかった頃に比べてかなり前進している事は間違いないが、果たしてそれらが良き交流なのかは疑問である。


「たしか紅貴妃とは馬術の稽古をしているんでしたっけ?」


「ええ。陛下はあまり乗り気ではありませんが、稽古終わりに出される金国の菓子が気に入っておられ何とか続けているそうです」


えさで釣られてるわけですね」


手綱は完全に向こうに握られているようだ。相手があの紅貴妃ならば仕方あるまい。


「うーん……。やはり皆さん根本は変わってないというか。しょせん言語能力だけの私には限界があるんでしょうか」


私が彼らにもたらした影響は、想像していた聖人のチート能力には程遠い。


「そんなことありませんよ。トウコさんの役目は、陛下や妃の心を変えるのではなく結ぶことですから」


「それは、そうなんですけど……心を結ぶためには多少なりとも変えていく必要があるのでは?」


私がそう投げかけると紫雲さんは一瞬間をおいて、「そうでしょうか」と曖昧な返事でお茶を濁された。


「ちなみに夜のお渡りは、残念ながら無いようですね」


そう言って目の前に顔を寄せられると、口に含んだ茶を吹き出しそうになる。が、今回は何とかこらえた。

国宝級の顔面に茶を吹きかけるわけにはいかない。

私は何とか茶を胃に流し込んだ。


「っ……ま、まあ陛下たちもまだ若いし、そんなに焦らなくても」


紫雲さんはおおむね同意しながらも、どこか煮え切らない顔をして再び窓の外を眺める。青空には薄いうろこ状の雲がかかっている。


「先月大きな嵐が立て続けにあったでしょう?北部で橋が崩壊して大変だったんです。これも陛下にお世継ぎがいないせいではという諫言かんげんが朝臣から出たそうで。それで青藍も焦っているのです」


ちなみに王妃様との子は王女様なのでお世継ぎにはならないそうだ。

それにしても、何とも的外れな諫言に私は呆れる。

天災を国王のせいだとするのはこの国の悪習だ。


「秋口に台風が頻発ひんぱつするのは普通の事では……」


天気図のない世界では台風という概念はないのかもしれないが。


とりあえず陛下には妃たちとの交流を続けてもらい、私たちも四夫人の残る一人、徳妃への対面を急ごうということで話はまとまった。



「────ああ、そうだトウコさん」


桃華宮からの帰り際、紫雲さんは思い出したようにこちらを振り返って言った。


「あの宦官服を着る際は、一緒に渡した青い帯をつけてくださいね。宦官らと同じ赤い帯をしていると大変なことになりますからお気をつけて」


「大変なこと?」


男装が許されるのに、帯の色ごときにそんな厳格な決まりがあるのだろうかと私は首をかしげる。

すると紫雲さんはにっこり微笑み、軽い足取りでこちらへ戻ってきた。


「トウコさんたち女性陣は宝具パオジーをつけていませんよね。それなのに男の宦官と全く同じ格好をしていたら……」


妖しげな美貌がじわじわとにじり寄ってくる。

恥ずかしさに耐え切れず私は視線を下げる。


「────は!」


紫雲さんの腰から下がる黒い紐を見て私はすぐさま察した。

長髪の男性も珍しくないこの後宮で、服装以外で男女を区別するのは至難の業である。


「不届き者と判断され、その場で丸裸にされて身体検査ですよ?」


「………」


想像して背筋がゾッとする。とんでもない恩賞を貰ってしまったのかもしれない。

言葉を失う私を残し紫雲さんは再び軽い足取りで去っていった。



その後、私からの贈品という名目で宦官服は女官たちに配られた。

ちょうど後宮では先日の騎兵試合で活躍した紅貴妃の影響で男装がブームとなっており、一時期後宮は男の園のようになっていた。



「あちこち宦官服だらけでまぎらわしい。宝具の監視が追い付かん」



とばっちりを受けた青藍さんは四六時中、丸眼鏡を指で押さえ眉間にシワを寄せていた。



【余桃の罪】

君主の寵愛の気まぐれなことのたとえ。衛に弥子瑕という少年がいて、主君から非常にかわいがられ、主君とともに果樹園に遊び、桃の食べかけを主君に献じたところが、大いに喜ばれた。しかし、その後主君の寵は薄れ、そのことを理由に罰を受けたという「韓非子」説難の故事による。────『デジタル大辞泉』

************************************************

お読みいただきありがとうございました。


もし気に入っていただけましたら、ブクマいいね感想評価などいただけると大変ありがたいです。

今後もよろしくお願いいたします。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る