任務:貴妃の手綱を引き締めよ⑤

試合を終え、拍手喝采はくしゅかっさいを浴びながら紅貴妃コウきひは再び会場を闊歩かっぽする。

長い髪を風になびかせる優美な姿は、性別を越えた麗しさだ。


「おい通訳。あの女将軍はどこを守っている?」


ショウ殿下は私へそうたずねた。

彼が負け惜しみを言うより先に自国の為に頭を働かせたのは意外だった。まぁ腐っても鯛というか、彼も一応王子なのだ。


「いえ、あの方は貴妃でございます」


「貴妃……?後宮の妃か?」


「はい。城から出ることはありませんのでご安心を」


微塵も安心できていない表情の章殿下。横で臣下が声を上げる。


「なぜ貴妃があのように強いのだ?」


「それは───……」


私は拱手し頭を下げた。


「それは、国王陛下をお守りするためにございます」


そして息を深く吸ってから顔を上げ、お腹から声を出す。


「我が国の後宮は、ただ女が遊び暮らす場所ではございません。陛下をお守りするとりでなのです」


私の言葉は覇葉人にも伝わるので皆の視線が自然と集まってくる。


「覇葉城には高い城壁がございますが、たとえそれが破られても、その奥にある後宮にて女達が盾となり矛となって陛下をお守りいたしましょう」


言い終えると、眉間に皺を寄せた章殿下が私の体を下から上へ観察するように視線を動かした。


「では……お前もあのように強いというのか?」


その言葉を待ってましたと言わんばかりに私は口角を上げる。


「ええもちろん。ご覧になりますか?」


厨二っぽく上げてみせた私の右腕には、無意味な包帯がぐるぐるに巻かれている。


それを合図に周囲の女官たちも一斉に袖をまくり片腕を上げた。もちろんそこには無用な包帯が。

実際は包帯の在庫が足りず、ただの布切れを巻いている者が大半なのだが。


それに気づくはずもない千涛国せんとうこくの男たちは、周りを不気味な厨二女子たちに囲まれて顔を青くする。


向こうで李宰相リさいしょうが「なんだこの茶番は」と困惑している。隣で青藍さんは諦めたようにため息をついた。



「────陛下!」



広場の方から声がしたと思えば、紅貴妃を乗せた馬がこちらへ駆けてくる。

馬が観覧席へ近づくと、陛下は何事かと立ち上がった。

すると貴妃はまたあぶみに足をかけたまま身体を横へ大きく倒し、左腕で陛下の身体を抱き上げた。


「え!?」


周囲が思わず驚きの声を漏らす。


あっという間に陛下は馬のくらへ上げられ貴妃の前にちょこんと横向きで座る。

一瞬の出来事に、陛下は自分の身に何が起こったか分からないという顔で目をしばたたかせている。


2人を乗せた馬は数歩進み、章殿下らの前で足を止めた。


貴妃は陛下の腰を後ろから抱え、声を張り上げた。


「このように、守るべき陛下のお側でなければ私はただのか弱い女でございます!今日は仮の戦であるゆえ、七割方の力はお見せできたように思いますが。しかし陛下の御身おんみに危険が及んだ時には容赦いたしません。本物の戦など起こった際には、さらなる手腕をお見せいたしましょう!」


向こうから陛下を追って青藍さんら臣下たちも集まってくる。


唖然あぜんとした顔で馬上の貴妃を見上げていた章殿下は慌てて立ち上がり、両手を叩いて言った。


「さすが覇葉国。このような国と友好関係を結べるとはありがたい!」


イヤミな臣下が続ける。


「我が国の有事ゆうじの際には、貴妃様にもぜひお助け願いたいものですな!」


胡散臭い笑みを浮かべる2人に、陛下が静かに口を開く。


「有事がないように尽くすのが、我々の役目かと思いますが……」


馬上の姫のような座り方さえしていなければ、さぞかし格好良く決まっていただろう。


「……それに、若さとは弱みではありません」


続く陛下の言葉に、章殿下が何かを察したようにぎくりと肩を震わせた。


「新しい制度や改革は、若さ故に為せるもの。貴妃を戦わせるという今回の戦略もそうです」


「……は、はは」


章殿下はただ乾いた笑い声を漏らし、臣下は手を揉みながらうなずく。


「全くその通りですな」


2人の顔に脂汗が浮かび、章殿下の額はいっそうテカテカと黒光っている。


彼らがなぜこんなに焦っているのか、他の人には知り得ない。


憂炎陛下は離れた距離にいながら、章殿下たちの話を全て聞いていたようだ。さすが聖徳太子の耳だ。


微妙な空気は流れているが、ひとまずこの様子ならば明日の会談で不利な条件を突き付けられることはなさそうだ。



*   *   *



「紅貴妃、今日は助かった。感謝する」


「いや、あんな清々すがすがしい思いをしたのは久しぶりだ」


馬から降りた貴妃と陛下は観覧席で改めて対面する。


「陛下が宰相を説き伏せ、私の願いを叶えてくれたと聞いた。こちらこそ感謝する」


ブーツを履いた貴妃の顔を、陛下は軽く見上げて答えた。


「試合には興味がなかったのだが、そなたらの戦略が面白そうだったのでな。おかげで愉快なものが見られた」


淡々と話す陛下に貴妃は目を細めてクッと笑う。

側で見ていた私も思わず章殿下らの顔を思い出して笑いそうになった。


「陛下、私は今日初めて思ったよ」


先程とうって変わって聖母のごとく柔らかい笑みを浮かべた貴妃が、右手を差し出す。



「……女に生まれて良かったと」



固い握手をかわした2人を見て、私はほっと胸を撫で下ろした。

初めて本当の意味で任務を達成できたように思う。


大衆に見守られる中、貴妃は握手したまま自分の頬を陛下の顔に寄せた。


「───っ!?」


金国流の挨拶らしいが、陛下は目を見開き顔を真っ赤にした。そして行き場のない片腕を中途半端に上げたまま体を硬直させる。


貴妃はそのまま腰を屈めると、陛下の身体を米俵こめだわらでも担ぐように自分の肩へ乗せて立ち上がった。

陛下の幞頭ぼくとうが地面に落ちる。


「このまま清龍宮までお送りしましょう」


「いや、いい」


頬を赤らめたまま陛下は小さく答えた。


「分かりました」


貴妃は陛下を抱えたまま馬のあぶみに足をかける。


「違う。いいというのは要らぬという意味だ。早く下ろしてくれ」


「はい?何ですか?」


「トウコ、早く伝えてくれ」


陛下に言われて私はようやく自分の役目を思い出す。


「あっ!はい、お待ちくださ」


「まぁ後でゆっくり聞きましょう!馬はそう長々と待ってはくれませんから」


くらに腰を下ろした貴妃が陛下を前に下ろす。

その背後から手綱を握り足を動かせば、馬はすぐに走り出す。


「しっかり捕まっててください」


「トウコ……」


貴妃に背後からホールドされた陛下は、こちらへ助けを求める様に手を伸ばしたまま運ばれていく。


「あー……行っちゃいましたね」


早々に諦めた私の横を李宰相と青藍さんが通り抜ける。


「何をしている!早く陛下を追いかけるのだ!」


「落馬でもしたらどうする!」


2人はそう叫んで駆け出す。走る後ろ姿は親子そっくりだ。

その後ろから宦官たちも追いかけるが、いつものちょこちょこ歩きのため全く追いつかない。


そのうち2人を乗せた馬は砂煙を上げながら梨園の外へと消えていってしまった。



「あの様子だと陛下、年上好きなのバレちゃいそうですね」


聞きなれた声に振り返ると、幞頭を被った紫雲さんが立っていた。

外廷の行事で彼が前に出ることはほぼ無いので、今日顔を合わせるのは初だった。


「そうなんですか?」


「年齢というか『甘えさせてくれたり、叱ってくれる人が好き』ってこの前こぼしてたんですよ。酔った勢いで」


「へえ」


国王ともなると叱ってくれる相手もいないからだろうか。

そんなことを考えながら、既に日が落ちかけ茜色に染まる梨園を眺めた。


陛下と貴妃の握手を交わした姿を思い出す。

スキルのない私が提供できるのは、ああして2人を繋ぐきっかけにすぎない。

それでも時々何か、とてつもなく大きな力に突き動かされている気がするのは、やはり聖人の力なのだろうか。


何はともあれ、陛下が桂花宮へ通う日も遠くないのかもしれない。



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お読みいただきありがとうございました。


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今後もよろしくお願いいたします。

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