宦官の秘密①

仏殿の執務室で事務仕事をしていた紫雲さんに、私は思いきってたずねてみた。


「紫雲さん、ちょっと聞きたいんですけど……」


「はい」


「あの、だいぶ失礼な質問なので……答えたくなければ無視してくださいね」


「わかりました」


聖人としての依頼がない時、私は仏殿で書類整理などの手伝いをしている。

書類といっても紙が普及しだしたのは最近なので、木やら竹でできたものもあり、重いしかさばって大変だ。


ちなみに仏殿には他にも僧侶や修行中の坊主くんがいる。

読経など表の仕事は彼らで、妃の内情や国王陛下に直接関係することを紫雲さんが担っているらしい。



「えっと。後宮で働く男性陣は皆さん宦官なんですよね?」


「ええ、そうですよ」


宦官とは、後宮に仕えるため生殖器を切り落とした男性のこと。

その存在を中学の授業で初めて聞いたときは大変驚き、現実にそんなことが行われていただなんて信じられなかった。

いつも授業中やかましい男子達が、その時ばかりは一様に下を向いていたのをよく覚えている。



「紫雲さんとか青藍さんもそうですけど、ここの男性の皆さん、宦官にしては背も高くて、声も……普通の男性っぽいなと思ってて」



切除をすると男性は声が高くなり、筋肉もつきにくくなるらしい。

幼いうちから宦官になるほどその特徴は顕著で、身長もあまり伸びなくなるという。


覇葉国の後宮には、華奢な男子もいるけれどそうでない人も多い。特に門番を務める兵士なんかはがっしりした体格の男ばかりだ。


そこがイメージと違うのでずっと気になっていた。

とはいえ、かなりデリケートな質問なので、今まで聞けなかったのだが……。


「私はこれまで宦官を見たことがなかったので、実際はそこまで変化しないのかなあ。なんて、気になってしまって…」


ばつが悪そうに私が笑うと

「ああ、」とようやくに落ちた声をもらす紫雲さん。



「宦官が生殖器を切除していたのは、昔のことですよ」


「────ええ!?」



思いもしない言葉が返ってきて、私は手にしていた竹簡ちくかんを落としそうになった。


紫雲さんは机に筆を置いて私の方を見る。


「元は罪人の極刑ですし、時には命の危険も伴います。その分優秀な人材が集まりにくいのが難点でした。

それに、後宮へ召喚された聖人が男性だった場合、彼らを"本物の宦官"にするのはあまりにも酷。これがこのシステムを撤廃させた一番の決め手になったそうですよ」


「じゃ、じゃあ今の皆さんは……」


私は竹簡を置いて長椅子から身を乗り出す。


対する紫雲さんは穏やかな笑みを浮かべながら答えた。


「代わりに今は、宝具パオジーと呼ばれる器具を装着しています」


「……ぱおじー?」


聞いたことのない名前だ。頭の中で翻訳されないのでこの世界にしか存在しないものなのだろう。


紫雲さんが手元の紙に「宝具」と字を書いて見せてくれた。

なにやら高価な装飾具だろうか、けどそんなもの着けている宦官は見たことないけど…と私は頭をひねる。


そんな私を見て紫雲さんはふっと笑み執務机から立ち上がった。

そのままこちらの長椅子まで移動し、私の左隣へ腰を下ろす。

なぜか無言で、やけに距離の近いのに私の心拍は跳ね上がる。


「な……何ですか?」


おもむろに紫雲さんは左腕を伸ばし、目の前のテーブルの端から火の消えたロウソクを引き寄せる。


宝具パオジーとはこのようにして………男性機能を物理的に抑え込むものです」


溶けたロウソクの先端を、紫雲さんはみずからのてのひらでそっと握りこむ。そしてにこりと微笑んだ。


「………」


私の目はロウソクに釘付けになり、しばらく瞬きをわすれた。


そのあとは紫雲さんの顔、ロウソク、紫雲さんの顔、ロウソク、紫雲さん───

交互に2秒ずつ眺めては視線を動かした。


物理的に、抑え込む────……


「こ……ここの宦官は、全員それを?」


思わず声が上ずった。


彼らの身体には、無いと思っていたものが有って、無いはずのものが有る……。


あまりの衝撃に、心臓が縮み上がりそうだ。



その一方で何だか現実味がない気もする。

まるでファンタジーの世界に迷い込んだような。

まあ異世界転移した私はまさしくその状況にあるのだが。


目を白黒させる私を前に、紫雲さんは顔色一つ変えず微笑みを絶やさない。


「昔から後宮に従事している者や元罪人は既に切除してありますから、宝具は着けていませんね」


「……はあ、」


女の貞操を守る(主に男が無理やり装着させる)ための器具なら聞いたことがあるが、男に着けるものがあるなんて知らなかった。


「宝具には黒いひもが結んであります。それを腰から垂らしているのが、装着の証です」


紫雲さんの衣装をよく見ると、帯を締めた腰の左側から黒のリボンのようなものが二本垂れ下がっている。


宦官に限らずこの国の男性は皆腰にベルトのような帯が締められており、そこから佩玉はいぎょくと呼ばれる飾りをぶら下げている人もいる。


宦官の黒い紐は一見すると帯の一部か、もしくは佩玉から玉の部分を取っただけのようで、まさに「玉無し」である。いや実際はあったわけだが。


「ちなみになぜ黒色かといいますと、汚れが」


「そこは結構です」


"白い汚れ"が付着していたらすぐ分かるからだろう。


コホンと咳払いをして紫雲さんは続ける。


「なので後宮では常に、宦官の腰が厳しく監視されているのですよ?もし外していたら極刑ものです」


「すごい……そんなに大事なものなんですね」


「まあ宝具は自ら脱着するものなので、機能抑制といっても外面的なものですけどね」


話しながら紫雲さんは可笑しそうに笑った。


それでも目の前の男が"それ"を装着しているという事実は、女にとって大きな安心材料になる。

当の男にとっても"そんな状態"で女に迫ることなんかできないだろう。メンタル的に。



ちなみに宝具の装着に加え「ひげを生やすの禁止」も宦官のルールだそう。


この世界の男性は髭を生やしているのがカッコよさの象徴で、朝廷で働く大臣たちは皆アゴ髭をたくわえているらしい。

本当に切除してしまえば自然と髭は生えなくなるが、今の宦官らはまめに剃っているようだ。



「私なんかはこの見た目なので、切除済みと思われることも多いんですけどね」


「あー、紫雲さんすごく綺麗ですもんね。年齢不詳だし」


紫雲さんは20代後半らしいが、見た目はずっと若い。

20代前半の青藍さんと並んでも紫雲さんの方が若く見えるくらいである。


「ええそうですね。肌もツルツルだし」


紫雲さんは食い気味にそう言うと、頬に手を添え美人画のような憂いの表情を見せる。


「………」



彼は自分に髭が生えないことを嘆いているのか、それとも美貌を自慢しているのかどちらだろう。


できれば前者であってほしい。後者だったらなかなかにヤバい性格である。


彼の性格が後者寄りだと気づき始めているからこその願望だ。



このように、たとえ言葉が分かっていても理解できないことが世の中には多い。

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【こぼれ話】


宝具は、もとは聖人として召喚された男性のために作られた器具でした。それが後に宦官にも採用され今に至ります。

その前は聖人であっても後宮で働くには去勢が義務付けられており、他に生活手段をもたない聖人たちはそれを受け入れるしかありませんでした。


ちなみに宦官は結婚することもできます。

"本物の宦官"の時代であってもある程度の地位であれば結婚や世襲(養子)が許されており、国王の手がついてない妃を下賜される宦官もいました。


宝具の採用とともに家庭を持つ宦官は圧倒的に増えました。

それが結果的に、長年問題視されていた宦官による弊害(後継者がいないので当人の権力欲が強すぎる)の抑制に繋がったのです。

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