任務:太后の手紙を解読せよ②

覇葉国はようこく13代国王の時代。

当時国王からの寵愛を最も受けていたのは、十八嬪のうちの昭儀しょうぎという位をさずけられていたリュウという女性。子がいない上に後宮の中では出自が良い方ではなかったために昭儀へ留まっていたという。


劉昭儀リュウしょうぎには、バオ族の血筋の侍女がいた。侍女はよく働き、劉昭儀からの信頼も厚かった。


侍女は数年仕えたのち後宮の外で結婚。子供を生んだが残念ながら死産だったという。


ちょうど同じ頃に、後宮で劉昭儀も男の子を出産した。

男児は他の妃の所にも何人かいたが、その出産によって劉昭儀は四夫人である德妃とくひへと昇格した。

その時の男児がのちの憂炎ユーエン陛下である。


バオ族の元侍女は、かつてのあるじ劉德妃リュウとくひの代わりに男児へ乳を与え養育する乳母として再び後宮へ上がることになった。


乳母として3年がすぎた頃、バオ族の女は何と国王に見初められてしまい後宮で娘を産んだ。


バオ族の女の名はコウ。康氏はかつての主が德妃に昇格したことで空いていた昭儀しょうぎのポジションを与えられ、康昭儀コウしょうぎとなった。


「……あれだけ未婚女性が沢山いて、既婚者に手を出すんですねえ」


「無くはない例ですよ」


私が思わず感想を漏らすと、紫雲さんが答えた。


国王が乳母や侍女へ手を出すのが珍しくないのは本当らしい。

主と侍女から、寵愛を競い合う妃嬪ひひん同士へ───立場が変わっても劉德妃リュウとくひ康昭儀コウしょうぎの仲は良かったという。

まだ幼かった劉德妃の息子憂炎ユーエンは、康昭儀や腹違いの妹である姫とよく遊んでいたという。


そんな憂炎が11歳の時、彼の腹違いの兄である当時の王太子(国王の後継者)が亡くなった。

憂炎は次の王太子に据えられ、その母である劉德妃は、最高位の王妃へ昇格した。


憂炎が13歳の時に父である国王が亡くなり彼が十四代目国王となる。

母の劉王妃は劉太后リュウたいごうとなり、摂政せっしょうとして幼い憂炎を支えた。

劉太后は大変聡明な女性で、その政治手腕から覇葉国の情勢は安定していた。


忙しいながらも平和だった状況が急転したのは、憂炎の即位から半年もたたぬ頃────


劉太后は突然、康昭儀に前国王の王陵おうりょうの管理を命じたのだ。いわゆる墓守りというやつだ。

王陵は覇葉城の外、王都の外れにある。実質的な左遷だ。

かつての侍女であり息子の乳母でもあった康昭儀に対して、あまりにも非情だと誰もが驚いた。


その結果、康昭儀は命じられるまま覇葉城を出て王陵へ向かった。その際、同じくバオ族の血筋の女官や宦官、そして10歳だった康氏の娘も同行し、後宮からバオ族の血を持つ者は一人もいなくなった。


それから約5年が経ち、太后は病によって崩御した。その遺品として見つかったのがあの康氏からの手紙。




「───遺品である以上、後宮で保管するか処分するかを判断せねばならない。しかし手紙の内容が分からないので判断のしようがない、というわけだ」


言い終えた青藍さんが丸眼鏡のふちを撫でる。


「えっと、確か康氏ももう亡くなってるんでしたっけ?」


「ええ。実はその知らせが入ったのが今朝でして…」


「───え、そうなんですか!?」


「はい。この手紙はトウコさんの身の回りが落ち着きしだい読んでいただこうとは思っていたのですが……」


「今朝の康氏の訃報を受け宮中でも改めて取り沙汰され、解読を急がねばならなくなった」


「なるほど。だからこんなに早く仕事が回ってきたのですね」


経緯はよく分かったが、やはり当事者2人がいないとなれば解読はかなり難しいだろう。


「……太后様はなぜ康昭儀を後宮から追い出したのでしょう?2人に何かトラブルが?」


「分からない。宰相である父ですら理由は知らなかったそうだ」


表の朝廷と違い、後宮の出来事は国史などの書物に詳細が記録されることはない。


しょせんは人間同士のことなので、晩年の太后と康昭儀に何か確執があったのかもしれない。

しかし何の関係もない女官らまで追い出す、というのは腑に落ちない。同じ血筋を一掃するほど康昭儀が憎かったのだろうか?


「バオ族の方々を同行させたのも太后様の命令ですか?」


「そうだと聞いている」


私の質問に青藍さんが粛々と答える。


「そのバオ族の方たちは、後宮での立場はどうだったのですか?元から差別されてたとか」


「真面目で働き者が多く重用されていたそうだ。だが、そもそも彼らは血筋というだけで、れっきとした覇葉人。差別どころかそこでくくられることすら無かった」


彼らは見た目も言葉も生粋の覇葉人と変わらない。バオ語は単に文化継承の一環として代々伝えたしなんでいただけだったそう。


「う~ん……」


これは……詰んだかも。


「当時の関係者に何か聞ければいいんですけど……。噂レベルでもいいから」


「それは既に我々が行っているが、何もつかめなかった」


「そうですか……」


「………」


しばらく沈黙が流れる。


私の脳内に、また某公共放送のテロップが浮かぶ。



「……これは、あくまで噂なのですが……」


考えあぐねたのち、少し言いづらそうに口を開いたのは紫雲さん。

紫雲さんはちらりと一瞬、隣の憂炎陛下を見やる。


「当時の後宮では『康氏が乳母時代、幼かった憂炎陛下に辛くあたっていて、太后様はその罰として康氏を追い出した』という話が流れていました」


「陛下、そんなことあったのですか?」


「あり得ない。彼女は口数少なかったが、決して厳しい人ではなかった」


私がたずねると、憂炎陛下は珍しく顔を上げはっきりと喋った。

それだけで彼がいかに康氏を慕っていたのかが分かる。


「私もそのように聞いていますので、根も葉もない噂話と思い敢えて言いませんでした」


「ただ……」


紫雲さんが言い終わるのと同時に陛下が再び口を開いた。


「ただ?」


凛々しく前を向いていた陛下の瞳が、また物憂げに伏せられる。


「康氏が私を叱ったのは一度だけ。あれは……私が5歳のときだったと思う。すでに私の乳母ではなく昭儀だった康氏と、その姫と3人で遊んでいた時だ。私は康氏を間違えて『母上』と呼んでしまった。すると、さっきまで穏やかに微笑んでいた康氏の顔が急に引きつって───」


その時だけ彼女は憂炎陛下を厳しく叱ったそうだ。


『二度とそのように呼んではなりません』

『言葉は間違えてはいけません』

『王族は、一言で誰かの首が簡単に飛びます。何かものを申すときは、よく考えてから口にするのです』


「……そのせいだろうか、私は、今でもあまり話をするのが得意ではない」


陛下がいつも口数少ないのはこのせいか。

まだ王太子にもなっていない、5歳の子供にはかなりショックな出来事だっただろう。


この話は宦官2人も初耳だったようだ。


「そんなの、子供の可愛らしい言い間違いではないですか。ましてや公の場でもない。なぜそんなことを?」


憤慨気味の紫雲さんが、幼き陛下の気持ちに寄り添うように、頬に手を添え頭をひねる。


「………」


康氏の態度、何か引っ掛かる────


私はもう一度手紙を読んだ。


『これが最後の手紙になるでしょう、バオ族の忠誠心を侮らないでください』


太后からの仕打ちを考えると、やはり一族共々追い出された恨み言のようでもある。


だけど、そんな恨みの手紙を太后が大事に持っていた理由は?


"最後の"ってことは、何度か手紙のやり取りを?


急に陛下を叱ったのはなぜ?




「───もしかして……」


「トウコさん、何か思い付いたのですか?」


「この手紙、最初に読んだ時とはまるで違う。全く逆の意味が込められているのかも……」



でも、これはあまりにも、彼にとっては辛く悲しい────


私は恐る恐る彼を見た。


長い前髪の隙間からのぞく瞳が、幼子のように不安げに揺れていた。

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