第13話

 大きなまぶたがおもむろに開く。

 私は身を乗り出して声を張り上げる。


「小雨! 気が付いた?」

「雪莉、華?」


 巨体が上体を起こす。

 私は補助しようとして腕を伸ばす。

 

「どうして、まだここにいるんだい?」


 大きな目が周囲を見渡す。

 公園はすでに暗がりに沈んでいる。まさか学生は暗くなる前に帰れと言うつもりだろうか。小学生の頃に何度も叱られたことを覚えている。


「小雨だけ残して帰れないよ」


 外には妖怪がうろついている。危険なのは分かるけど、それは小雨だって同じだ。いつ祓い屋がこの辺りを訪れるか分からない。気を失っている時に襲われたら対処の仕様がない。


 大きな口から嘆息がもれる。


「馬鹿だねぇ。思えば、昔からあんたはそうだったよ。妖怪が怖いくせに傘を差し出したり、一体いつになったら自己管理ができるようになるんだい?」

「だって……」


 私は足元に視線を落とす。


「分かってるよ」

 

 おもむろに顔を上げる。

 呆れが混じりながらも優しげな声色だった。


「寂しかったんだろう? 妖怪のせいで孤立させられても、妖怪とのつながりを欲してしまうくらいにさ」


 こくっと首を縦に振る。


 子供ながらに、矛盾していることは分かっていた。妖怪さんに追い回されたせいでクラスメイトに気味悪がられ、孤独な日々を送る羽目になった。


 私から妖怪さんにちょっかいをかけたことはない。迫ってくるのは、いつだって私をエサとしか見なていない妖怪達だ。そんな存在に歩み寄るなんて、自分のことながら可笑しいことだとは思う。


 だけど、それでも絆は絆だ。自分で壊してしまったつながりだけど、あの日傘をかざしたことを後悔したことは一度もない。


「私、ずっと小雨に謝りたかったの。あの時は感情に任せて酷いことを言ってごめんなさい」

「何が酷いものか。大切な友人を妖怪のせいで失ったんだ。同じ妖怪のワタシに八つ当たりするのは当然じゃないか」

「それは別の妖怪のせいであって、小雨のせいじゃなかった」

「どうかね、ワタシだって妖怪だよ。何が気まぐれで心変わりしたか分からない。下手をすればあんたを追い回す側になっていたかもしれない」

「小雨はそんなことしないよ。だって、ずっとワタシを守っていてくれたでしょう?」


 小雨の大きな目が丸みを帯びる。


「知ってたのかい?」

「うん。妖怪さんに襲われる頻度が減ったんだもん。誰だって気付くよ」


 気付いたのは偶然だった。小雨が小さな妖怪さんを追い回しているところを見た。止めるべきか迷った時、小さな妖怪さんが声を張り上げた。どうしてあの白い娘を守るのかと。


 私のことだとすぐに分かった。小雨が私を避ける理由は分からなかったけど、私のことを嫌いになったわけじゃない。それを知って安心したのを覚えている。


 小雨が小さく息を突く。


「そうかい。でも、それも今日で終わりだよ。ワタシはこの街を離れることにしたからね」

「どうして?」

「私達は関わるべきじゃなかったのさ。私はもう疲れちまったんだよ。これ以上面倒事に巻き込まれるのは御免なのさ」


 一理ある。

 今回だって、私を守ろうとしなければ小雨は怪我をしなかった。私に何かがあるたびに守っていたのでは小雨の身がもたない。


「そっか。寂しくなるなぁ」


 声が微かに震えた。目がじーんとして、上げた手で目元を隠す。


 せっかくまた会えたのに、私はまた独りぼっちに逆戻りだ。情けなさと虚しさが胸をきゅっと締め付ける。


「何て顔をしてるんだい。あんたには他に関わるべき場所があるだろう?」


 人と人が築く社会。同年代が通う学校。小雨はそう言いたいのだろう。

 私だって分かってる。

 分かってる、けど。


「でも、私はまた失敗したよ? 話しかけてくれたクラスメイトを置き去りにして、約束もすっぽかしちゃった。こんな私にお友達なんてできるかな?」

「できるさ。私にそうしたみたいに、謝ってまたやり直せばいい。あんたは過酷な環境の中、ずっと独りで頑張ってきた。あんた自身が思っている以上に凄い子なんだよ。これからは面妖なブタ猫もいる。きっと力になってくれるはずさ」


 大きな体が風船のごとく浮き上がる。


「じゃあ私はもう行くよ。これから先も失敗するだろうけど、くじけるんじゃないよ? 中には、ワタシみたいな奇特な奴がいるかもしれないからね」


 ひょっとして、私を慰めてくれたのだろうか。その考えに思い至って、ふっと口元が緩む。


 昔から変わらない。言葉や態度こそ素っ気ないけど、いつも小さな私を励ましてくれた。


 こんな私を案じてくれた妖怪さんがいた。

 だったら、私のことを想ってくれる人だっているはずだ。その希望を持って生きていこう。小雨との出会いを、良いものだったと肯定するためにも。


「ありがとう小雨。また会おうね」


 笑みをたたえて見送る。

 遠ざかる背中が、宙に縫い留められたように止まる。


「少しは警戒心を持ちなよ、まったく」


 ため息を残して、私のお友達は去っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る