ふふふな味のするもの

 図太く、なったものである。

 私のことだ。

 小説を書いたり、このようなエッセイを書いたり。Web掲載したり。

 仕事では人にあれやこれやと指示を出し、じゃぶじゃぶと会社の予算を使い、コミュニケーションお化けと呼ばれながらゴリラのような男たちを叱ったり。

 けれど私自身は解っているつもりなのだ。図太くなっても、小心者で人見知りな小さい頃のままの私も未だ何処かにいて、ふとした拍子に、私の袖や裾を引っ張り、まずはちろりと上目遣いにこちらの様子をうかがって、僅かな隙を見つけようものならば瞬時に襲いかかって仮面を引っぺがしに来る。

 仮面を剥がされたら最後。途端にどうしたら、どんな顔をしていたら良いのか解らなくなって、息が浅くなり体が硬くなり、声が出なくなる。

「あんた、ここに座んな」

 西新井の伯母さんのその言葉は、小さな頃の私の魔法だった。


 父方の親戚が多く集まるのは、結婚式か伯父の声がけだった。伯父一家の誰かの誕生日なのか、誰かの何回忌なのか、それとも記念とは全く関係なく、お正月だとか、子供の日だとか、単に親戚が集まる祝日だったのか。

 父が末っ子のせいもあり、父方の従兄妹たちの中で、私は一番年下だった。従兄妹たちは十五歳程も年上で、私にとっては父方の親戚の集まりは、「大人の中でご飯を食べる会」だった。

 父も母も兄も一緒にいるのだが、会場に入った途端に両親が何を話しているのか私には解らなくなり、一切人見知りしなかった兄は私にとっては宇宙人のように見えた。

 自分がどんな風に立っているのか、わからなくなり、どんな顔をしてどこを見ていたらいいのかも、わからなくなる。とても優しい人たちばかりなのに、来た途端に帰りたくなる。

「志野ちゃん、あんた、ここに座んな」

 西新井の伯母さんはいつも、私にそう言った。父と母がどこにいようと、私は伯母さんの隣に座ることになった。後で席替えがあったりもするのだが、ひとまず、私は伯母さんの隣に座るのだ。

 西新井大師の近くに住んでいる、伯母さん。だから西新井の伯母さん。私はこの伯母さんが、いつも、会った時の始めだけ、ちょっとだけ、こわかった。

 伯母さんは父の姉だが、父とはあまり似ていないように思えた。はきはきと早口で大きめの声で話し、子供に向かって「ここに座んな」と言っているのにそれほど笑っていなかった。そして私を「あんた」と呼ぶ人は、私の日常にはいなかった。

 言われたとおり隣に座ると、伯母さんからいくつか質問がある。どんな事を聞かれたのかはあまり覚えていないのだが、それほどぺらぺらと話した記憶がないので、子供が「うん」とか「ううん」とかで答えられる、簡単な質問だった気がする。

 いくつか質問されているうちに、その時によって伯父のスピーチになったり、食事が運ばれてきたり。

 スピーチがあるときは、それが伯父であっても、他の人であっても、伯母さんはいつも、少しずつ文句を言っていた。さっぱりとしたとても歯切れの良い文句で、その人が心底嫌いな訳ではなくどちらかと言うとちょっと愛情のこもった、聞こえた人がくすりと笑ってしまうような、子供でも笑っちゃいけないと解っているのに笑ってしまうような、そんな文句だった。

 会が進むと大人はちょっとお酒が入って、場は賑やかになり、私は食べるという作業が発生したために所在のない気持ちが薄れ、従兄妹たちが構ってくれたり、伯父がからかってくれたり。父と母も私が理解できる言葉を話す人たちに戻り、兄も無事地球人に戻り。

 よく隣にいたので、他の大人たちよりも伯母の服や、アクセサリーについて覚えている。大人の多くは黒を基調とした服を着ていたのだが、伯母さんは黒だけではなくて、グレーやシルバー、紫なども良く着ていた。アクセサリーは金よりも銀色の物を多く身につけていた。銀色の物には「銀」だけでなく「プラチナ」と呼ばれる物があると、伯母さんから教えてもらった。

 伯母さんの、くっきりとした黒い髪、深い黒い瞳に、銀色はとてもよく似合っていた。

 更に会が進むと、大人たちがあちこちと移動を始める。料理は席に人がいようがいまいがお構いなしに運ばれてくる。一人分ずつ運ばれてくるコース料理の時は早々にテーブルが所狭しと埋まっていき、中華のように大皿料理のコースだったとしても、特別においしい物は個数が決まっていて、やはりテーブルの上はお皿でいっぱいになっていく。

 席にいない人のおいしい物が乗ったお皿をひょいと取って、伯母さんは、

「あんたこれ食べな」

 と、私の前に置く。

 小心者の私は、ぴっ、と固まる。

 それは誰かの物であって、誰かはいつテーブルに帰ってくるかしれず、その時はきっと私が誰かのおいしい物を食べてしまったことが知られ、おそらくはこの場にいるみんなにも知られ、大変なことになる。

 私が「うん」とも「ううん」とも言えずにいると、母が横から「それは誰某さんの分だから」と私の遠慮を促す。

「いいのよ、どうせ食べないんだから。あたしはね、これ食べる」

 伯母さんはおいしい物を切り分けたり、もう一皿、別の席から取ったりして、そして、さもおいしそうに、私に食べて見せる。

 ステーキ、ローストビーフ、フカヒレ煮、お造りやお寿司、茶碗蒸し、デザートのマスクメロン、ケーキ、胡麻団子。

 そう、それは、特別においしい物なのだ。

 共犯者ができた。それもこの場にいる人の中で、父よりも母よりも大物だ。私は安心して、そっと、特別においしい物に手を伸ばし、口に入れる。

 特別においしい物は、やっぱり、おいしい。

 伯母さんの顔を見て、私は、ふふっと笑う。

 伯母さんも、ふふふっと笑う。

 希に、「俺のが無い」と言い出す人がいる。私はどぎまぎしてしまうのだが、伯母さんは黙っていたりしない。

「数が足りなかったんじゃない?」とか、食べてしまったのが知られても「席にいないのが悪い」と大きな声ではっきりと言うので、私が罪に問われる事は絶対に無かった。

 いなかった人のせいにして、伯母さんはまた、私を見てふふふっと笑うので、私もふふっと笑った。

 こんなことがいつも起きていたということを、多分、親戚一同、みんな知らない。


 こういった会の中心に、伯母さんがいることはなかった。伯父が中心だったせいもあるかもしれないけれど、伯母さんは親戚の中では大物のはずなのに、いつもすこし、斜めなところにいて、私を呼び寄せてくれる。

「志野ちゃん、あんた、ここにおいで」

 少しずつ、私は、自分がどんな場所に、どんな風に在るのかを知る。



 伯母さんのお骨はとても軽いのに、形はしっかりとしていた。

 お骨壺にはいくつかの銀色の石座の指輪も、従兄たちの手によって納められた。

 今日はとても良く晴れていて、何もかもが美しかった。


 2024年1月30日







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