第6話 マツのタマゴ・2


 奥の間に静かに入る。

 まだマツは寝ている。顔色は悪い。

 きっと、夢の中でも苦しんでいるはずだ。


(起こそう。子は無事だと聞かせよう。それから、もう一度寝てもらおう)


 マサヒデは、そっとマツを揺り動かした。


「マツさん」


「は!」


 マツはびくっとして、目を覚ました。

 そのまましばらく固まったように動かず、少ししてから、ゆっくりと、マサヒデの方を向いた。


「マサヒデ様」


「マツさん。あなたは、気を失っていました」


「あの・・・私・・・」


 土気色の顔。

 布団を掴む手が震えている。


「マツさん。聞いて下さい。あなたが寝ている間に、医者を呼びました」


「お医者様・・・? え!? ま、まさか!」


 マツは蒼白な顔で、布団の中に手を入れ、腹を押さえている。


「大丈夫です。マツさん、我々の子は、無事です。ちゃんと育ちます」


「それは・・・本当ですか? 私を安心させるために・・・」


「違います。本当です」


「ほ、本当に?」


「本当です」


「・・・」


 マツの目から、すーっと涙が落ちた。


「マサヒデ様・・・私・・・」


「さあ、喜んで下さい。もう、心配はいりません」


「うう・・・」


 マツは目をぐっと瞑って、しゃくり上げた。

 起き上がろうとするマツを、マサヒデはそっと押さえる。


「マツさん。今日はこのまま寝ていて下さい。明日には、もう普通に動いても平気だそうです」


「明日には? 大丈夫なんですか?」


「はい。医者が言うには、魔族のタマゴというものは、初日はともかく、1日もすれば恐ろしく固くなるそうです。それこそ、父上でも斬れないほどに」


「そうなんですか?」


「らしいです。タマゴで産まれるどの種族も、それほど固くなるそうです」


「どの種族のタマゴも? それは知りませんでした」


「ですが、さすがに今日は初日ですので、このまま大人しく寝ていて下さいね。今話した通り、明日にはタマゴはすごく固くなりますから、いつも通り動いても平気だそうです」


「はい」


「それから、タマゴは、早ければ2週間くらいで、長くても2ヶ月ほどで産まれるそうですね。これはご存知で?」


「はい。それは知っています」


「それから、数年から・・・長ければ100年以上の時間をかけて、タマゴから子が産まれる。今回は、私と、人族と魔族の混血だから、どちらの血が濃いかで、時間は大きく変わるそうです」


「はい」


 と答えた後、マツははっとして、手が震えだした。


「あ、あの・・・もし・・・もしも、100年となると・・・」


「はい。人族は、魔族と比べれば非常に短命。早ければ、30年、40年で寿命を迎えることもある。どんなに長くても100年といった所です。私は、この子の顔を見ることは、叶わないかもしれません」


「そんな・・・」


 マサヒデは、震えだしたマツの手を、両手で握った。


「マツさん。私はもう、覚悟を決めています。たとえ見ることが叶わずとも・・・生涯を賭けて、この命が続く限り、必ずこの子を守ります。マツさん。あなたも、守ってくれますか」


「もちろんです、もちろん・・・」


 マツはマサヒデの手を強く握り返し、祈るようにして、ぐっと顔につけた。


「マサヒデ様、ありがとうございます」


「私達の子なんです。当然ですよ」


「私達の・・・私達の・・・」


 マサヒデの手に、マツの涙がぽとり、と落ちた。


「・・・産まれるまでの時間については、今はとても予測がつきませんけど、マツさんのお母上に、マツさんがどのくらいで産まれたか尋ねてみれば、参考になるかもしれないと」


「お母様に・・・お母様・・・」


 きっと、母に妊娠の報告をすることに、喜んでいるのだろう。

 涙を流しながら、マツはとても嬉しそうだ。


「タマゴも、これから大きくなるかもしれません。小さければ鶏のタマゴほど、今とほとんど変わらない大きさですね。大きければ、少し小さい西瓜くらいになるのだとか」


「このタマゴが、そんなに大きくなるでしょうか?」


「こちらも、お母上に尋ねてみましょう。マツさんのお腹の中にいるのです。おそらく、マツさんがタマゴだった時と、同じくらいの大きさで産まれるでしょう」


「そうですね。聞いてみます」


「念の為ですが、1週間ほどしたら、医者に来るように、と。ちゃんと生きていると確認は出来ましたが、まだ初日。出来たばかりです。少し時間を置いてから確認しませんとね。マツさんのように長命な種族のタマゴは、早産とか死産とかの心配はないそうで、今無事だということは、もう大丈夫ということですけど」


「分かりました」


「さあ、今日はもう話は終わりです。このまま寝て下さい。私もここにいます。今日はギルドがメイドさんを送って下さるそうですから、家事の心配もありません。ごゆっくり」


「はい」


 と、マツが答えた所で、からからから、と静かに玄関が開く音がした。

 マサヒデが振り向くと、


「失礼致します。冒険者ギルドから参りました」


「あ、メイドさんですね」


「行ってきます。寝ていて下さい」


「はい」


 マサヒデは立ち上がり、玄関に向かったが・・・


「・・・」


 メイドがたくさん来ている。

 玄関に立つメイドの後ろに、ぞろぞろと並んでメイドが立っている。


「冒険者ギルドから、マツ様のお世話をなさるようにと、派遣されて参りました」


「あ、はい」


 後ろに6人いる。

 多い。いくら何でも、これは多すぎる。


 手伝いと言っても、食事だけで良いのだ。

 食事も、ギルドの食堂から弁当をもらってきてもらえば済む。

 後はせいぜい、マツの着替えを手伝うとか、身体を拭くとか・・・


「あのー・・・いや、まあ、まずは、お入り下さい」


 せっかく送ってくれたのに、断るのも気が引ける。

 「君たちはいらない」などと言われれば、彼女達も良い気はしないだろう。

 マサヒデは知らないが、妊娠直後は何か人手が必要なことがあるのかもしれない。


「お邪魔致します」


 ぞろぞろとメイドが玄関に入ってくる。


「あ、では・・・上がってもらって・・・」


「失礼致します」


「じゃあ、その、ちょっと、こちらへ」


 この人数は、奥の間には入らない。

 縁側の部屋へ、マサヒデはメイド達を連れて行った。


「こちらの部屋でお待ち頂けますか。茶でも・・・」


「でしたら私がご用意致します」


「あ、はい」


 気まずいが、ここは正面からはっきりと言おう。

 長く大勢の人を置いておいても、マツも落ち着かないはずだ。

 入れてしまったが、1人だけ残して、後は帰ってもらおう。マサヒデの知らない、何か人手が必要なことがあるのであれば、残ってもらえば良い。


「ええと、ですね。お手伝い、と言いましても、食事と、せいぜい、マツさんの身体を拭いて貰えればいいかな、という感じでして。何か、私の知らない、人手の必要なことがあるんですか? 1人で十分なことだと思いますが」


「はい。左様です」


「じゃあ、バッサリ言いますね。多すぎます。1人だけで結構です。後は帰ってもらえませんか」


「・・・分かりました・・・」


 何だか、皆がひどくがっかりしている。いつもと態度が逆だ。

 普段なら、彼女達はマツを怖れて、姿を見るだけで顔を青くするくらいだ。


 なんだろう、と考えていると、メイドの1人が「きっ!」と音がしそうなほど、真剣な顔でマサヒデを見上げた。


「トミヤス様。ご了解致しました。ですが、我らの願い、聞いて頂けますか」


「なんでしょう?」


「奥様がお目覚めの時に、ひと目で構いませんので、お目通りをお許し願いませんか」


「マツさんに何か用でも?」


「私共、マツ様に祝辞を送りたく、ご迷惑はご承知の上で参りました」


 あ、と、その時、マサヒデは思い出した。

 このメイドは、昨晩、マサヒデに『礼です』と怒ってきた者だ。

 よくよく見回してみれば、皆、昨晩マツを囲んでいた者たちだ。


 マサヒデがギルドに行った時の様子でも見て、察したのか。

 それとも、先程の医者から「手伝いを」と言われて、察したのか。


「うーん・・・そういうことでしたら・・・」


 と、マサヒデは答えたが、あまりマツの負担になってもと思い、


「ちょうど、奥の間で目を覚ましていますけど、早くから色々とありまして。マツさんは今、とても疲れています。1人ずつ、時間は短くお願いします。申し訳ありませんが、挨拶が終わったら、1人だけ残って、他の皆様はお帰りを願いますか」


「ありがとうございます」


 メイド達全員が、息を揃えたようにぴったり同じ動作で、畳に手を付いて頭を下げた。


「・・・」


 ふう、とマサヒデは息をついて、奥の間へ向かった。

 静かに襖を開けると、マツが不安げにこちらを見上げる。


「あの、何かたくさん人が来たみたいですが」


「ええ。あの、昨晩、マツさんの準備してくれたメイドの方々です。どうしても挨拶をと・・・」


「あら」


 ふふ、とマツは笑った。


「お疲れでしょうけど、1人ずつ、ここに通して構いませんか」


「もちろんですとも。私、嬉しいです」


 マツは満面の笑みで、ゆっくりと身体を起こした。

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