第9話 虚の抜き打ち


 イマイが刀を納め、マサヒデの隣から数歩離れる。


「じゃあ、応用編。横からの攻撃への対応。

 ええと、ごめん、応用とは言ったけど、これはまだ基本かな?

 もうひとつのタネを、分かり易いように見てもらうから。

 トミヤスさん、刀を納めて、僕の方を向いて」


 マサヒデが刀を納め、イマイの方を向くと、イマイは前にいるカオルの方を向く。


「今、トミヤスさんは僕の右手にいる」


「はい」


「この状態だと、当然、僕は不利だよね。

 トミヤスさんは横から僕を見てる。

 僕の刀は左の腰。全然不利だね」


「はい」


「じゃあ、トミヤスさん、まずは刀から手を離して、普通に立って。

 横から、僕を抜き打ちで斬っちゃう感じで。

 これだけ離れてれば、刀も当たらないよね。

 じゃ、トミヤスさん、好きな所で」


「はい。では・・・」


 マサヒデが柄に手を掛けた瞬間、くる、とイマイがこちらを向いた。

 だが、これなら斬れる。

 す、とマサヒデの刀が抜かれた。


「う!?」


 イマイが縦に抜いた刀が、既に置いてある。

 マサヒデは離れたイマイの刀と自分の刀が重なった所で、ぴたりと止めた。

 離れていなかったら、刀がぶつかってしまっていた。


「さ、トミヤスさん。刀を納めて。

 抜く前、僕は不利だったけど、これで五分まで持っていけた」


「・・・」


 皆、呆然としてイマイを見る。

 五分とは言っているが、五分ではない。

 イマイの手はマサヒデの下。

 間合いの内だったら、このまま振り抜けばマサヒデの右手は飛んでいる。


「速い・・・」


 ぽつん、とカオルが言って、イマイが刀を納めながら、カオルの方を向き、


「違うんだなあ。速いからじゃない。

 多分、抜く速さ自体はトミヤスさんと同じか、少し遅かったかも」


「は!?」「遅い!?」


 マサヒデとカオルが驚いて声を上げた。


「じゃあ、もう一度やるよ。

 トミヤスさん、刀を納めて、最初と同じように普通に立って。

 カオルさん。次はトミヤスさんの動きの速さを、よーく見てて」


「はい・・・」


「トミヤスさん、まずは力を抜いて。

 ちゃんと抜けなくなるよ」


 驚いて身体が固くなっていたが、マサヒデは肩の力を抜いて、


「すうー・・・ふうー・・・」


 と、ゆっくり深呼吸。

 がっくりと肩を落とすように、力を抜く。


「うーん、上手く力を抜くね・・・流石、トミヤスさんは違うな。

 じゃあ、好きな所で、今と同じように抜いてね」


「はい」


 柄に手を掛けた瞬間、くる、とイマイの顔がこちらを向いた。

 身体はこちらを向いていない。刀は向こう側。

 間違いなく、これなら斬れるはず。


 しゃ、とマサヒデの刀が抜かれた。


「ううっ!?」


 抜かれたイマイの刀に吸い込まれるように、マサヒデの抜き打ちが走る。

 だめだ! と、ぎりぎりで、ぴたりと止めた。


「・・・」


 イマイがカオルの方を向いて、


「ほらね、こうなる。カオルさん、ちゃんとトミヤスさん見てた?」


「は、はい」


 くい、と鞘を前に出し、イマイが刀を納め、


「じゃあ、今度は僕の方を良く見てて。

 言った通り、動きの速さ自体はそう変わらないはずだよ。

 さ、トミヤスさん、もう一度」


「はい」


 刀を納め、ふうー・・・と息を深く吸って吐き、脱力。

 おかしい。動きの速さ自体が変わらないなら、なぜ負ける?


 確かに、先程並んで抜いた時は、あの抜き方の方が速く抜けると分かった。

 だが、こちらは真横から。

 速さが同じなら、自分の方が速いはず・・・


「むん!」


 やはり、イマイの刀が抜かれ、マサヒデの抜き打ちがぴたりと止まる。

 分かっているのに、負ける。


「う・・・く、く・・・」


 イマイが刀を納め、マサヒデも刀を納めた。


「ほらね、こうなって五分。カオルさん、ちゃんとトミヤスさん見てた?

 動きの速さは、多分、そんなに変わらないよね?」


「はい・・・殆ど変わりません」


「これは、抜く時の拍子の違いがタネなんだ」


「拍子の違い?」


「そう。今、トミヤスさんは普通に立ってたね。

 ここから普通に抜く時はこう・・・」


 イマイが腰を落とし、


「1、腰を落としてー、構える・・・

 2、右手を刀の柄に手を掛けるー・・・」


 と、ゆっくり柄に手を掛ける。


「で、3で抜く、と。こうだね」


 すー、とイマイが途中まで刀を抜いて、マサヒデとカオルに顔を向けた。

 2人が頷いて、イマイは身体を起こして、す、と刀を納める。


「と、この1、2、3を、三傳流は、1、2で抜く。

 1で柄を前に出してー・・・」


 鞘が出され、右手の上に柄が置かれる。


「2で、鞘を引いていくー・・・」


 左膝が落とされ、腰が回り、ぴん、と刀が抜かれる。


「ね? 2の鞘を引く時の動きで、左膝を落として腰を回してる。

 普通に抜く時の、1の所。腰を落とす、構える、がないの。

 鞘を引けば自然と腰は落ちるから、抜くまでの1拍が速くなるわけ」


 イマイは首を少し傾げ、


「うーん、普通の抜きで言う、2で始まって、3、かな。1がないんだよ」


「む・・・?」


 マサヒデもカオルも首を傾げる。


「聞いただけじゃ良く分からないと思うけど、もう一度やってみよう。

 今説明したから、もう一度見れば、これかって分かるよ。

 さ、トミヤスさん。もう一度」


 マサヒデが柄に手を掛けた瞬間、くる、とイマイがこちらを向く。


「・・・」


 また、抜かれたイマイの刀の前でマサヒデの刀が止まった。

 マサヒデは刀を止めたまま頷き、少し離れて見ていたカオルも頷いて、


「ううむ・・・なるほど・・・」


「分かりました・・・」


「こういう事。1拍速いから、同じ速さの動きでも、こっちが勝つ。

 相手が有利でも、五分にはなれる」


 マサヒデは刀を納め、身体を起こした。


「質問があります」


「何でしょう? 僕に分かる事なら良いけど」


「抜いた時、そこに刀があると分かっているのに、向かっていってしまうような感じがしました。何故でしょうか・・・?」


「ああ、そこも拍子の違いって所。拍子が違うから、動きがずれちゃう感じ?

 同じ1、2、3の拍子なら、ただ速い方が勝つ。そうだよね」


「はい」


「でも、こっちは1、2の拍子でしょ。トミヤスさんには分からなかったかもしれないけど、身体の拍子がズレちゃうんだ。こっちは棒立ち。トミヤスさんはもう構えてる。どうしても拍子が違ってきちゃう」


「それで拍子が崩されてしまうんですね」


「そういう事。これで、横から攻められても平気になったよね」


「はい」


「じゃあ、ここで注意点がある。速すぎちゃあ駄目って事。

 相手に合わせて、後出しにする。そうすれば、こっちが必ず勝つ」


「相手に合わせる?」


 イマイがマサヒデの手を取り、柄に乗せる。

 そして、イマイが刀を抜く。


「例えば、トミヤスさんが手を掛けた時。

 こんな風に、既に相手に抜かれていたらどうする?」


「抜かずに、下がります」


「当然、そうだよね。だから、相手に合わせるわけ。抜かれたら、抜く。

 抜き出しちゃったら、もう止められない。避けられない。そこに持ってくんだよ。

 でも、後出しじゃないと、相手は抜かずに後ろに避けちゃうかもしれない。

 もし先に抜いちゃって相手に避けられたら、勝ちにはならないんだ」


「先に抜いたら、勝ちにならない?」


「まあ、相手が抜かずに下がって、こっちが抜ければ、それは有利には違いないよ。

 たださ、こっちの方が速いんだから、後出しで良いってわけ」


「ううむ・・・」


 マサヒデもカオルも、感心して唸った。

 全てが合理的だ。


「もし相手の方が速くたって、五分までには持っていける。

 見えないくらい速くても、一分は必ず取れている。

 ということは、完全な負けは無くなる。一分の勝機は残る」


「一分が必ず?」


「この、棒立ちから抜くって所だよ。変に構えるといけない。

 そうすると、相手も構えてしまう。拍子が抜けないかもしれない。

 棒立ちのまま、抜きたい方向に右手をふっと上げるだけ。

 所謂、虚実の虚をわざと突かせるから、それで拍子が抜けるんだ」


「虚実の虚、ですか」


「そう。こっちは棒立ち。相手は構えた時点で、もう完全に虚に誘われている。

 抜いた所で気付いても、もう遅い。

 身体の方は、虚に誘われて動いてしまった後なんだ。

 これ、生き物として、どうしても出ちゃう反応なんだね」


 マサヒデもカオルも頷いて、


「それで、誘われるように・・・」


「わざと虚を突かせている時点で、既に必ず一分は取れている訳ですね」


「そういう事。で、一分は必ず取れている。まあ、手品と同じかな?」


「なるほど」


「手品・・・虚実の、虚、ですか」


 マサヒデもカオルも腕を組んで唸った。


「これで基本は終わりだよ。タネさえ分かっちゃえば、どんな風にも使えるでしょ。

 じゃあ、本当に応用にいこう。

 ただし、これはあくまで『僕ならこうする』っていう応用だよ。

 トミヤスさん、カオルさんなりの応用がきっとあるはずだから、注意してね」


「分かりました」


「はい」

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