第20話 生ける死人 

「マッキンリー准将」


 アレックスが幽霊を見たような顔で、一歩前に出る。


 陸軍を象徴する深緑色の軍服を纏ったその男は、体の前にステッキを持ち、その身の左半分をアレックスらに向けていた。美しい、というよりは隙のない立ち姿である。寸分の狂いもなく整えられた角刈りには、白いものが混じり始めているものの、全身から溢れる覇気のようなものには、若い兵士では及びもつかない圧倒的な迫力が存在している。眉間に深く刻まれた皺と、きつく下がった口角からは、厳しい人柄が伺えた。


「生きてる死人だ」


 アレックスの左隣で、ラスが謎の呟きを口にする。


 三人が入室すると、ドアマン役の兵士が扉を閉めた。


「久しいな、フォード中佐。再会できるとは思っていなかったが」


 口角を下げたまま、マッキンリーがアレックスに話しかけた。アレックスとアボットは、敬礼を取る。

 マッキンリーがくるりと体を回し、アレックスに向き合った。その全貌を目の当たりにしたアレックスは、思わず目を見開く。マッキンリーの右目に相当する部分は、大きくえぐれて眼球を失っていた。


 ラズアの戦いで、マッキンリーが指揮官を務めた部隊は、プロイセン軍から毒ガスをはじめとした猛攻撃を受け、部隊は全滅したと、アレックスは聞いていた。奇跡的に一人生き残ったマッキンリーは、終戦後退役したという話だったが――


「まさか、サピリヌス計画に携わっておられるとは思いませんでした」 


 驚きのあまり、本心が口からついて出る。

 マッキンリーは「さよう」と短く応じると、戦後、やはり前線で指揮をとることは不可能と判断し、退役するつもりだったと明かした。しかし上層部から、今後は死人の研究に心血を注ぐよう命じられたのだという。


モルトス相手の研究など、気持ちのいい仕事とは言えんが」


 マッキンリーは残った左瞼を伏せると、口髭の下でぼそりともらした。


 マッキンリーの言う気持ちのいい仕事とは、あくまで戦場における働きをさしている事を、アレックスは承知していた。前線で部下を指揮し、敵兵を葬り、敵陣を制する。アレックスは、根っからの軍人であるこの男の、戦場に対する強い執着を知っている。航空部隊へ転属になる前は、マッキンリーの部隊に所属していたからだ。少しでも早く身を立てたいと、昇進に専心するアレックスとは、別のタイプのエリートであった。

 戦場でのみ己の価値を見出していたマッキンリーにとって、この研究所への移動は左旋同然だろう、とアレックスはかつての上官に同情する。

 そんな状況で、次にラスが発した言葉には、アレックスも耳を疑った。  


「あ、あなたは死にとりついているから。死が死を呼んで、ここに来たんだ」


 次の瞬間、マッキンリーの眦が鋭さを増す。

 アレックスは肝を冷やした。マッキンリーが腰の銃で、ラスの額を躊躇なく撃ち抜く映像が頭に浮かんだのだ。それほどに、マッキンリーが放った殺気は強烈だった。しかし殺気を向けられた本人は、マッキンリーの足元に視線を固定させたまま、目の前の男の変化には気づいていないように見える。


「おい貴様!」


 ラスの身を案じたアレックスは、ラスの肩を掴んで後ろへ引こうとした。しかしラスはぴくともしない。先程、扉の向こうで突き飛ばした時の反応を含め、ラスの体幹が鍛えられた軍人並みに強い事を、アレックスは知った。


「とりつかれている、の間違いでは?」


 アボットが、遠まわしに訂正を求めた。それでも失言には違いないが、とりついている、よりは幾分好意的だと考えたのだろう。しかしラスは、間違いを認めない印に首を横に振った。


「し、死はそこにあるだけ。とりついたりは、しない。とりつくのは、人間の方だ。あなたは死を目の当たりにして、離れ、られなくなった。気力だけで、そこにいる。本当はもう、眠りたいのに」


 やはり視線を下げたまま、追い打ちをかけてゆく。

 死にとりつかれているのはお前の方だろう馬鹿ものが、と命知らずな男を怒鳴りつけたい思いはあるものの、アレックスは「よせ」と低い声でラスに警告を与えるだけで精いっぱいだった。猛将の殺気に、すっかり圧されてしまっていたのだ。そしてラスは、決定的な一言を口にしてしまう。


「だ、だからあなたの目は、凶屍きょうしよりも、かばねよりも、真っ暗なんだ」


 マッキンリーの殺気に、闘気が加わった。杖を握っている両手に力がこもる。

 脳内映像が銃殺でなく撲殺に切り替わり、アレックスは任務失敗を覚悟する。しかし、マッキンリーの杖がラスを打つ前に、意外な人物が口を挟んだ。


「違うよー。凶屍フェロックスモルトスも、眼球は黒じゃなくて白っぽいんだ。角膜の脱水と血管の収縮が起こるから。でしょ?」


 ジャンである。口を挟んだ目的は案内人の命を救う事ではなかったが、彼の横槍は、杖のグリップを握りしめていたマッキンリーの手を緩ませた。


「案内人」


 唸るように呼びかけたマッキンリーが、大きく体を揺らしてラスに歩み寄る。ずい、と身を乗り出しラスに顔を近づけると、「来い。腕試しだ」と歯をむき出した。


「え、なに? まさか、あそこに連れてくの?」


 ジャンが嫌そうに顔をしかめたが、マッキンリーは答えず、扉へ向かう。右手の杖で体を支え、左膝を過度にロックして前進するその歩様を見たアレックスは、愕然とした。

 マッキンリーは、ラスを殴らなかったわけではない。殴れなかったのだ。義足に不慣れだったために。

 マッキンリーは、左大腿部から下を喪失していた。



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