第9話 内弟子志願・後


 庭にカオルとエミーリャが立つ。

 カオルの得物は訓練用の小太刀とナイフ。

 エミーリャは短弓、今回はナイフも持っている。どちらも本身だが・・・


「じゃあ、参ったとか降参とかで一本と言う事で。

 口が開かなくなったりしたら、私が一本と思った所で止めます。

 お二人共、それで構いませんか?」


「は」


「はい・・・」


 エミーリャの心臓が高鳴る。

 まずい。このメイドは絶対にまずい。

 庭に立った瞬間、空気が冷たくなった。

 これは絶対に手を出してはいけない相手だ。


「マツさん、エミーリャさんは弓が得物です。

 念の為に、クレールさんに防護の魔術をお願いします」


「はい」


 す、とレイシクランの娘に薄い膜がかかる。

 防護の魔術・・・聞いた事はないが、あの黒髪の女の独自の魔術か。

 名前からして、身を守るような独自の術だろう。


「ああ、カオルさん。せっかくですから、気付いたコツ、見せてもらえますか」


「は」


「エミーリャさん。この庭から出たら負けです。屋根の上はありです。

 あ、そうだ。流れ矢が外に飛んでいかないようにだけ、気を付けて下さい」


「は、はい」


 屋根の上はあり。

 飛んで上に乗れば、いける・・・気がしない・・・


「じゃ、エミーリャさんは、下がって下さい」


 壁の少し手前まで下がる。

 まずい。これは絶対にまずい。

 全く勝てる気がしない。


「じゃあ、はじめ」


 メイドは立ったまま。

 きり、と弓を引く。

 軽く走って来る。よし! 矢が飛ぶ。

 これは当たる!


「あれ?」


 当たった・・・と思ったのだが・・・

 メイドがゆっくり横に動く。

 弓を引く。

 メイドが軽く横に走り出す。

 この速度なら当たる!


「え?」


 こんなに近くで、2度も外すなんて?

 まずい。

 マサヒデはまだ手で受けていた。

 このメイドは、こんなにゆっくりな動きなのに、なぜか当たらない・・・


「う、嘘!?」


 次々と矢を射るが、ゆっくり動いているはずの的に当たらない!


「あ・・・」


 矢筒に手を伸ばすが、ない。矢が無くなった。


「く、くそ・・・」


 ナイフを抜いて、メイドに向かって走る。

 ふ、と小さくメイドが笑った。

 ゆっくりと小太刀が振られる。

 振りは遅い! 跳び込む隙はある!


「あ」


 ぐ、と身体を沈め、跳び込もうとした矢先、目の前に小太刀が止められた。


「う・・・ぐ!」


 跳び込む隙は、十分ある速さだったのに?

 は、と気付くと、にやにやとメイドが笑っている。

 完全に手玉に取られている。

 だらだらと身体中を冷たい汗が流れていく。


「う、う」


 す、と小太刀が引かれ、メイドが頭を下げる。


「どうぞ、弓と矢を拾いになって下さいませ。お待ちしております」


「ま・・・ま・・・参りました」


「そこまで!」


 すたすたとマサヒデが笑顔で歩いて来る。


「カオルさん、よく分かりましたね。それがコツですよ」


「ご主人様、ありがとうございます。

 あのゆっくりの素振りのおかげです」


「振りか身体の動きか、どっちか一方にしか気付かないと思ってました。

 見事、両方に入れられましたね」


「まだまだ荒くて、とてもです」


「ははは! カオルさんなら、荒くても大抵には通用しますよ。

 さて・・・エミーリャさん」


「は・・・はい」


 マサヒデの顔から笑顔が消える。


「ん・・・厳しい言い方ですが、はっきりと言います。あなた、弱いです。

 面と向かっての戦いでなければ、と言いたいかもしれません。

 しかし、こちらのカオルさんも、本来は正面切って戦う方ではありません。

 それでも、手も足も出ませんでしたね」


「・・・」


「強くなりたいなら、道場に行って父上にしごいてもらいなさい。

 私に稽古をつけてもらうより、ずっと早く強くなれます。

 その気がないのなら、武を捨てなさい」


「はい・・・」


「では、矢を片付けたら、お暇を願います」


 とさ、と膝を付き、エミーリャは泣き始めた。


「う、う・・・ぐす・・・」


 マサヒデとカオルは、泣き崩れるエミーリャを少し見てから、家に入って行った。



----------



 居間に戻り、縁側に座る。

 エミーリャはまだ泣いている。

 マツがエミーリャを見て、


「マサヒデ様、あの言い方は少し・・・」


「いえ。武人を志すなら、優しいくらいの言い方です」


「あの、まだ、あんなに泣いてますよ?」


 クレールも小さな声でマサヒデに話し掛ける。


「構いません。放っておいてあげて下さい。

 ここで折れるか折れないかで、彼女の先が決まります。

 折れなかったら、彼女はすぐに強くなります。

 私だって、アルマダさんだって、ああやって・・・」


 す、と空を見上げた。ゆっくりと、流れていく雲。

 しばしの沈黙。

 ちりん、と小さく風鈴が鳴る。


「・・・あの、マサヒデ様も、ハワード様も、すごく強いじゃないですか。

 なのに、ああいう風に泣いたんですか?」


「はい」


 それきり、マツもクレールも言葉が出なくなってしまった。

 しばらくして、シズクが肘枕をしながら2人に声を掛けた。


「マツさん、クレール様、二人共、すごく強いから、ああいう事なかったかもしれないけど、誰だって1回はああいう感じになるよ。私だって泣きに泣いたもん。壁ぶん殴って、木、ぼこぼこ蹴ってさ、疲れてばったり倒れて、朝まで泣いたよ」


 クレールも、すぐマサヒデに負けた後の事を思い出した。

 呆然として、泣くどころか涙さえ出ずに・・・

 マツもカゲミツに自慢の術を破られ、泣き崩れてしまった事を思い出した。


「そうでした、私、マサヒデ様に負けた後にすごく・・・」


「そういう事」


 す、とカオルが入ってくる。


「どうぞ」


 静かになったところで、皆に茶が置かれた。

 ちいん・・・ゆったりした風が、小さく風鈴を鳴らす。

 湯呑を持ったが、口に運ばず、マサヒデはもう一度空を見上げた。

 エミーリャの嗚咽だけが、小さく庭に響く。

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