第44話 脇役

「華乃さん……頑張ったわね……」


 俺の部屋。ノートパソコンの前ですすり泣く京子。その肩を抱き寄せて、俺も頷く。


 セレスティア・ティアラの引退生配信。その勇姿を、俺と京子もリアルタイムで見届けさせてもらった。


 最初から最後まで号泣していたセレスティア・ティアラの声は聞き取りづらい部分もあったが、その思いは見る人の心を充分震わせたと思う。

 最後の一言となった『ありがとう』だけはハッキリと言ったところも立派だった。


 何だよ、ちゃんと言えるんじゃねーか、保科さん。バイト中もちゃんと言え。そうしてりゃ俺だって、初めからこの真相にたどり着いてたんじゃねーかな。


 当たり前だが、セレスティア・ティアラの『ありがとう』はセレスティア・ティアラの声だった。俺の隣にいる京子の声なんかじゃなく、中の人、保科華乃の口から発せられた声だ。


「しっかし、ホントに京子に似てるな……」

「ずっと前からわたしの物真似とか大好きだったから、あの子。からかいのつもりで始めたのかもしれないけれど……いえ、そんな謙遜、意味ないわよね。気付いていたの、あの子が私に憧れを持っていたことにも。その裏返しで妬みのような感情を持っていたことにも」

「そっか……」


 京子は遠い目をしてそう語る。


 ――俺たちは実のところ、セレスティア・ティアラの正体が保科華乃だということに数日前から気づいていた。

 もちろん状況証拠から導き出した仮説に過ぎない。

 でもそこに賭けるだけの価値があった。

 なぜならその仮説が正しければ、俺たちは大切な後輩二人の背中を押すことができるかもしれないから。

 逆にその仮説が間違っていた場合――もしもセレスティア・ティアラの正体が保科華乃ではなく、赤の他人だった場合――もはや俺たちに出来ることは何もないからだ。

 つまりどちらにせよ、この仮説に賭けるしかなかったのだ。


 だから俺たちは昨夜、この部屋にあの二人を呼び出した。結果的に、保科さんはその態度でほぼほぼ自白してしまった。そして今日、セレスティア・ティアラのこの配信である。


 もはや、答え合わせは済んだ。

 セレスティア・ティアラは、保科華乃だ。


 彼女の動機についても俺たちはおおよその仮説を立てている。大きく間違ってはいないだろう。

 一つだけまず間違いなく確定していることは、あの子にとって、俺は単なる手段であり道具でしかなかったということだ。

 今となってはそんなことも、保科さんらしくて微笑ましいと思えてくる。


 ただ、京子と、そして純君は違う。

 保科さんとの付き合いの長さは俺との比じゃない。彼女との間にはきっと、俺には推し量れないような複雑な事情と感情があって。

 それを俺が無理やり聞き出しても、してやれることなんて何もない。


 この物語において、俺は最初からずっと、脇役だったんだ。


「でも、私は大丈夫」


 しかし京子は涙を拭いて、そして力強く言い切る。


「私とあの子の繋がりは絶対壊れないから。今回のことも、一度思いっ切り叱ってやるけれど、それで終わり。また姉妹のような関係に戻るわ。あの子のイタズラくらい、昔から慣れっこだもの」


 そう呆れたように微笑む京子の横顔は、やんちゃな妹のことを思う、本物の姉のようだった。


「そうか。うん、大丈夫だ、きっと」

「ただ、阿久津君とのことは……このまま終わりだなんて、あまりにも可哀そうだわ」


 その話に戻ると、やはり顔を曇らせてしまう京子。


 先ほどのセレスティア・ティアラの配信がそういう内容だったのだ。大好きな人との別れを示唆する内容。他の視聴者にはわからなかっただろうが、俺と京子、そして何よりそのメッセージを向けられたただ一人の想い人――阿久津純、その三人には伝わってしまった。あの言葉の裏側にある意味が。

 京子が心配してしまうのもわかる。だが俺は、楽観的な気持ちでいた。


 だって俺はあの男を、信頼しているから。


「安心しろ。純君ならやってくれるさ」

「丈太……」

「正直、あの二人の間の細かい事情なんて全っ然わかんねーけどな。でも純君は俺に似てる。大好きな子が泣いてるのに、駆け付けることもできねぇような男じゃねーよ」

「そう、ね……分かった。あなたが認めた人なら、私も信じてみるわ。きっとあの二人なら乗り越えられる」

「ああ、そうに決まってるさ」


 話の区切りがついたところで俺はノートパソコンを閉じようとし、そして現在の時刻に目が行く。


「って、京子。今日はさすがにそろそろ送ってくか」


 昨夜も京子はこの部屋に泊まった。二日連続のお泊りはお父さんが許してくれないだろう。


「ううん、大丈夫よ。今日も丈太の家に泊まっていくって、お父さんにラインしておくわね」

「え? いいのか?」

「ええ。もう付き合って二年になるんだもの。私もあなたも一人の大人として信頼されているわ。それに、あんなこと言っているけれど、お父さん、あなたのこととても気に入っているのよ?」

「そ、そうなのか……」


 やばい。嬉しい。ちょっと泣きそう。


「あと……小説も完成したし、そんなに早く帰る必要がなくなったのよね。今は執筆よりもインプットの方が大事な期間だわ」


 結局それかよ。ていうか最近京子の帰りが早かったのも小説執筆のためだったのかよ。

 はぁ……ほんっと無駄な心配してたんだな、俺って。


「それで、ね? 小説の話が出たついで、ではないけれど……」


 京子は少し口をもごつかせながら、ハンドバッグから何かを取り出し、


「はい、これ。良かったら……いえ、いらなくても貰って。あなたに、読んでほしいの」


 頬を染めながら、そのハードカバーの書籍を俺に差し出してきた。


「え、これ……『伴みやこ作品集』って、まさか」

「ええ。製本してきたの。私の今までの三作をまとめて」

「マジか、お前……」


 ブクマ0件の長編射精管理小説二作と新作の短編射精管理小説一作をこんな立派なハードカバーに……。結構金もかかるだろ、これ。なかなかのクレイジー彼女である。


 でも、確かに。他の人間にとっては価値のない不人気ネット小説なのだとしても。俺にとっては替えのきかない代物だ。


「ありがとう、京子。でも、本当にいいのか? 今まであんな必死に隠してたってのに。そりゃ、お前がどんなもの書いてたのか気にはなるが、別に無理しなくていいんだぞ? 恋人相手だからって全てを晒さなきゃいけないだなんて、俺は思ってねーからな?」

「いいの。むしろ、知ってほしいの、私の好きなことを。好きな人に」

「京子……」

「もちろん、死ぬほど恥ずかしいのは今でも変わらないけれど……そこは我慢するわ。せっかくの記念日だもの。今日という日を、良いきっかけにしてしまおうと思って」

「そっか……って、え? 記念日? ………あっ!」

「うふふ、やっぱり忘れていたのね。二周年よ。今日で。私達が付き合い始めてから、ちょうど二年。だから、サプライズプレゼントよ。ビックリした?」

「…………っ」


 ああ、何だよ、もう。我慢できねーよ、涙。


 京子の小説全部ってことは、言ってみれば半年以上前から準備してくれてたようなもんだしな、この二周年サプライズ。

 どうだ、保科さん。結局、俺の言った通りだっただろ? これが俺の自慢の彼女だよ!


「今、見てみてもいいか?」

「ええ。まぁ、後でじっくりと読んでもほしいけれど」


 もちろん最初から最後までここで通読するなんてことはしないが、何というか、この質感を味わいたかったのだ。


 俺は適当に本をパラパラとめくる。

 いやに文字が多い。あと何かパッと見ただけでも不穏なワードが目に入ってくる。「盗聴」だとか「GPS」だとか「ハッキング」だとか。


「え? なに? 京子の小説っていろんな意味でこんなハードな感じなの? エロバカギャグじゃないの?」

「当たり前でしょう……私は真剣に射精管理と向き合っているのだから。三作とも硬派な射精管理小説よ」

「そんなジャンルあってたまるか」

「例えば、政府系裏組織から主人公の射精を守るヒロイン達の奮闘シーンをリアルに描くために、防犯対策については徹底的に調べたわ。主人公をある意外な場所に匿って敵を出し抜く展開が見どころなのだけれど、防音対策描写にも力を入れたおかげで説得力も高めることが出来たと自負しているの。その秘密の巣で主人公とヒロインが喘ぎ声を出す以上、そこら辺の設定が疎かになっていては読者も興ざめしてしまうと思って」

「射精を守るって何だよ。そんでやっぱりエロシーンはきっちりあるのかよ」


 ん? ていうか、京子が防犯や防音にやけに詳しかったってのはホントの話で、しかもその理由はこれだったのかよ……。


 まぁ、でも結果的にはよかったか。

 遅かれ早かれ、俺は京子が防犯対策について詳しいということに気づくことになっていたはずで。そんなとき、何の説明もなければ、やっぱり俺は京子がストーカーにでもあっているんじゃないかと不安になっていたことだろう。先に理由がわかっていたなら余計な疑いを持つこともなくなる。


「というかやっぱり私の前で読まれるのは恥ずかしいのだけれど……」


 ほのかに染めた頬を押さえて京子が言う。まぁ、それもそうか。

 そんで、そうだ。京子からのプレゼントを楽しむより前に、まずは謝らねーと。


「ごめん、京子。俺、何も用意してない……正直いろいろありすぎて、今日のこと忘れてた……マジでごめん」

「いいわよ、別に。記念日なんてこれから数え切れないほどあるでしょう?」

「京子……! 好き……!」

「でももし、今年も何かくれると言うのであれば、欲しいものは、あるのだけれど……」

「もちろん何でも言ってくれ! 俺に用意できるものであれば何だって、」

「え、じゃあ射精管理させてくれる?」

「じゃあ、とは一体」

「射精の自由をプレゼントしてもらう、的な? ……いえ、ごめんなさい。聞かなかったことにして」


 先ほどまで目を輝かせていた京子だったが、我に返ったかのように、気まずげに目を伏せてしまう。

 すぐ隣に座るそんな恋人の様子を見て、俺は思わず嘆息する。


「はぁ……あのな、京子。そんなの記念日なんて関係なく、いくらでも差し出すって」

「え……」

「俺が受け入れられないことなんて、浮気だけだよ。京子のどんな趣味嗜好でも、大好きな俺に求めたいっていうなら俺は喜んでやるよ。むしろ求められたい。大好きな京子を喜ばせることが、俺の生きがいだからな」

「丈太……! ありがとう……!」


 感激の涙を流して抱き着いてくる京子。

 ありがとう、か。礼なんて言われるようなことじゃねーんだけどな。本当に俺だって嬉しいんだし。

 しかし、こうやって耳元で聞くと、やっぱり京子の声は京子だけの声だ。似てはいるけどセレスティア・ティアラの「ありがとう」とは響きが違う。


 本当にアホな勘違いしてアホな七か月間、特にアホ過ぎる三週間を過ごしてしまったとため息をつきつつ――でもこんな日々も笑い話にできてしまうような、最高の彼女が今も俺の腕の中にいることが幸せでしょうがない。


 頑張れよ、純君、保科さん。次はお前らの番だからな。


 心の中で大切な後輩たちにエールを送って、俺は京子の唇にキスをした。

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