第7話 ストーカー被害疑惑

 空は最高の秋晴れだというのに、俺の心は厚い雲に覆われていた。


 大学のカフェテラス。

 まだお昼前なこともあり混んではいないこの場所で、俺は恋人の京子と向かい合って座っていた。さっき現代日本文学の講義を受けてきたので、さっそく天気で自分の感情を表現してみた。


「丈太、昨日、華乃かのさんと同じシフトだったのでしょう? 私のこと、何か言っていた?」

「えっ!? かのさ、って、あ、保科ほしなさんか! 保科さんのことな! おう、バイトで会ったけどそれが何か!?」

「何でそんな動揺しているのよ……。浮気している人のそれじゃない」

「してるわけないだろ」

「知ってるわよ。浮気していないのに浮気している人の反応したから驚いているのよ。お茶こぼれたわよ」


 呆れつつも、俺のコップを持って、無料のお茶を注ぎなおしてきてくれる京子。

 暖色のセーターにタイトなデニムパンツ。シンプルな服装で颯爽とキャンパスを歩く後ろ姿が今日も世界一綺麗だ。あの子、俺の彼女なんすよ。


「すまんすまん。で、保科さんが京子のこと話してたかって話だっけ? あー、もうめちゃくちゃはしゃいでたぞ。ヤバい美人が来たって。勤務中にもずっと騒いでて店長に怒られてたわ」

「もう、あの子ったら……」


 幼いころからさんざん美人だと言われてきただろうに、京子は未だに自分の容姿を褒められることに慣れていない。今も染めた頬を押さえている。普段の余裕あふれる姿とのギャップがまた愛らしい。


 まぁ、とにかく、おかげで話を逸らせたみたいだ。俺の動揺も落ち着いてきたし。


「にしても、ずいぶんと懐かれたみたいだな。どうせ保科さんが一方的に言ってるだけだと思ってたけど、何かお前も満更じゃなさそうだし」


 あの子ったら……とか、知り合ったばかりの奴に言わないだろ、普通。


「仕方ないじゃない。可愛いんだもの、あの子。何ていうか……小さい頃から慕ってくれている近所の女の子、みたいな? うん、そんな感じなのよね。出会ったばかりなのに、妹分が出来たみたいで嬉しくて……実は昔からそういう存在に憧れていたのよね」


 おいおい、マジで保科さんが豪語してた通りじゃねーか。完全に懐に入り込んでやがる。京子相手にこれとか、あいつマジでスパイの才能あんじゃねーの?


 いや、というより、そもそも元から二人の相性が良かったのかもしれない。

 昔からその溢れ出る気品ゆえに、周りからも一歩引いた距離を取られていたであろう京子には、グイグイ距離を詰めてくる人間に対する免疫がないだろうからな。俺が付き合えたのもそのおかげだろうし。


 しかし、その免疫力の低さには危うい面もある。いや、むしろ、俺という彼氏ができたことを除けば、京子に危険しかもたらさないだろう。


 そんな危険から京子を守らなければならない。ならない、はずなのに。


 俺は今、行動を縛られている。


「でも、少し華乃さんには悪いことをしてしまったかもしれないわね。丈太を狙っているだとか疑ってしまって」

「あー、そういやそんなこと言ってたよな、お前。で、実際会ってみてどうよ」

「うーん、私と丈太の関係に興味津々って感じではあったけれど……まぁそういう恋愛話が好きなだけなのよね、きっと。青春のキャンパスライフに憧れているというか、恋に恋する女の子って感じなんでしょうね。ていうか、こんな風にこそこそ探り入れてくるお姉さんなんて、バレたら幻滅されてしまうわよね……今回はさり気なくやったから気付かれてはいないけれど、これからは控えるようにするわ」


 うん、思いっきりバレてたけどな、保科さんに。さすがの京子にもあいつのような潜入捜査官の才はないようだ。なくていいけどな、そんなもん。


 そう、普通はないのだ、そんな能力は。そして京子よりも普通の人間である俺に、さり気なく相手から情報を引き出すテクニックなんてあるはずもなく。


 だから俺は、聞けない。

 聞きたくて、確認したくて、相談に乗りたくて、何とか助けになりたくて仕方ないのに、やってはいけない。調査の邪魔になるから余計なことはするなと、厳命されている。


 いや、でも。確認するぐらい良くないか?

 だって俺は京子のことが心配なのだ。京子が大変な目にあっているかもしれないのに、それを知らないふりしながら隣に立ち続けるなんて我慢ならない。俺にできることをしたい。


 だって、だって京子はもしかしたら、今――


「おい、いい加減、白石を解放しろ、ストーカー野郎」


 葛藤する俺の耳に、殺気立った声音が飛び込んでくる。


「ストーカー!? どこだ!?」


 とっさに振り替える俺。

 その目に入ってきた、先ほどの声の持ち主は、


「お前だろーが。この束縛ストーカー自称彼氏」


 俺の顔を見るが否や、毎度お決まりのビンタを入れてきた。痛い。


「何だまたお前かよ、いま俺と京子は恋人同士の大事な話をしてるんだ。邪魔しないでくれ」


 しっしと手を払ってあしらう俺に、そのボーイッシュな女――別府べっぷは顔をしかめる。


「何が恋人だよ。あたしは認めてないって言ってるだろ」


 そう言ってまたビンタをしてくる長身女。あれ? こいつ確か漫研だったよな? 確か女子同士がキャピキャピしてるだけの漫画書いてるとかいう。何でそんな腕力あんの? 漫画描きってそんな鍛えられるの?


「ちょっと、別府さん。私の恋人に暴力振るわないでっていつも言っているじゃない」

「し、白石……そんな……」


 いつもの光景に呆れ果てたような京子と、相も変わらず絶望したように崩れ落ちる別府。はい、俺の勝ち。


「白石、何でこんなストーカー野郎と交際なんて……! 男になんて興味ないってずっと言ってたじゃんかよ!」


 そうだ、そういや俺、別府を始めとした女子高時代からの京子の友人には、ストーカー扱いされてるんだったわ。もう京子の旧友3、4人くらいにはビンタされてるし。

 そんな中でもこの別府は特に京子にご執心なようで、未だに俺と京子が付き合ってるということを受け入れられずにいるようなのだ。まぁ、気持ちはわかるが。


「でも、この後の講義が別府さんと一緒なのは事実だものね。では、そろそろ行きましょうか、別府さん」

「白石……! ついに、あたしを選んでくれるんだな!」

「あなたがそう捉えるのは自由だと思うわ。じゃあ、丈太、またお昼に」


 俺も笑顔を作って、別府の手を優しく引っ張っていく京子の背中を見送る。


 危なかった。ある意味、別府に助けられた。

 あのままだったら、衝動のまま、要らないことを口走っていたところだったかもしれない。

 それにあの女が傍についていれば、ある程度はボディガードとして機能してくれることだろう。


 ――京子がストーカー被害にあっているかもしれない――それが保科さんが現段階で考えている、問題Xの最有力候補だ。


 もちろん、その説を完全に支持しているわけじゃない。保科さんの言うことを鵜呑みにする気など毛頭ない。


 だが、確かに彼女の言う通り、最近の京子は妙に深刻そうな顔でスマホを眺めていることがあったり、以前よりも外出を渋るようになったりと、何かを警戒しているような雰囲気はある。

 宿泊を要するデートができなくなったり、家に帰るのが早くなったりしたのに関しては、俺との交際を伝えてから父親の過保護っぷりがさらに強まったからだと言ってはいたが……それもストーカーを怯えての行動だと考えれば、辻褄は合ってしまう。

 あの健康管理に厳しい京子が最近寝不足気味だったりするのも、ストーカー被害のせいだとしたら……心配と怒りで体が震える。


 とにかく、完全に信じるつもりもないが、とても全否定することはできない仮定だ。

 何より、京子が犯罪の被害者になっている可能性が僅かでもあるなら、それを無視することなどできるわけがない。


 ただし、今はまだ、何もできない。

 保科さんの調査を邪魔するような真似は避けなければならないからだ。


 今、京子に直接、ストーカー被害について問い詰めたって京子のためにはならない。そんなのは、俺が安心したいがためだけの行為に他ならない。仮に本当にストーカー被害にあっているのだとしても、これまで隠されてきたのだから、聞いたところで、はぐらかされるに決まってる。


 本当に、情けない。自分の無力さが不甲斐なくて仕方ない。今の俺には、せいぜい祈ることくらいしかできないのだ。


 俺は京子と可能な限り長い時間一緒に過ごしているし、俺以外にも別府だったり、あのご両親だったりと、過保護な人間が京子の周りに集まっているのは不幸中の幸いではあるが……。


 それでも、万が一にでも何かがあってはいけない。保科さんには出来るだけ早い真相究明を約束させている。


 頼むぞ、保科さん、早く成果を出してくれ!

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