第7話 鬼のノブタメ


 マサヒデ達がげらげら笑っていると、後ろに人が立った。

 これは『出来る』者だ。

 マサヒデもカオルも気付いていたが、笑ったままだ。


「おお・・・これはなんと大きな・・・見事な馬だ」


「お」


 3人が振り向くと、着流しの男が感心した顔で黒影を見ている。

 殺気はない。気配も丸出し。害意はないようだ。

 派手でもなく、地味でもなく。

 こざっぱりとした感じで『粋』という字をそのまま人にしたような印象。


「これはすごい。このような大きな馬は見た事がない」


 うむうむ、と頷きながら、馬を見ている。


「おお、これはこれは。ゴロウの旦那」


「うむ、元気か」


「ええ、おかげさまで」


 マサヒデが馬屋に目を向け、


「こちらは?」


 と聞くと、男が軽く頭を下げ、


「あ、これは失礼した。私、ゴロウという浪人です。

 暇を持て余して散歩しておりましたら、この見事な馬が目に入りましてな」


「マサヒデ=トミヤスです」


「カオル=サダマキです」


 2人はぺこりと頭を下げた。


「マサヒデ・・・トミヤス。と言いますと、あの御前試合を行ったトミヤス殿?」


「いやその・・・ええ、まあ・・・」


 ゴロウという浪人はにっこり笑い、


「おお、お目にかかれて嬉しいですぞ。この馬がトミヤス殿の?」


「いえ。こちらのカオルさんの馬です」


 え! とゴロウが驚き、カオルを見る。


「なんと!? あなたの馬か!?」


「はい」


「いや、これは驚いた・・・ううむ・・・

 あなたのような女性が、このような大きな馬にお乗りか・・・」


「先日捕まえてきたばかりで、先程初めて乗りました」


 ゴロウは腕を組んで、カオルと黒影を見ている。


「この馬、名は」


「黒影と名付けました」


「黒影・・・」


 にやっと馬屋が笑って、


「ゴロウの旦那、黒いから影ってんじゃないんですぜ」


「というと」


「こちらのカオルさんが、この馬を捕まえた時にですね。こう西日の逆光でこいつをゆっくり引っ張って来て・・・そりゃあ綺麗な見栄えだったそうで。で、その時の影の美しさをもって、影と名付けたんですって」


「ほう・・・それで、影か・・・うむ、なんと美しい名だ・・・」


 目を細めて、ゴロウは黒影を見る。


「旦那、こちらのトミヤス様の馬も見てって下せえ。そりゃすげえ馬なんだ。

 トミヤス様、よろしいですか?」


「ええ、もちろん」


「へへへ。きっと旦那も腰を抜かしますぜ」


「それほどか? この黒影でも腰を抜かしそうだが・・・では失礼して」


 馬屋は黒影の手綱を預かり、4人は厩舎へ歩いていった。

 厩舎の入り口で、ゴロウが足を止め、口を開ける。


「これは・・・なんと」


「へへへ、旦那、驚いたでしょう」


 見るも大きな馬が3頭並んでいる。

 黒影が馬房に入って、大きな馬が4頭も並ぶ。


「見事な馬ばかりだ・・・」


「こいつらあ、全部このトミヤス様とお仲間が捕まえてきた馬なんでさ」


「・・・あ! あの奥の馬は!?」


 ファルコンを見て、ゴロウが目を見開く。


「どうです。すげえ馬でしょう? 腰を抜かしましたか?」


「尾花栃栗毛の馬・・・おお・・・この目で見るのは初めてだ・・・」


「トミヤス様のお友達の、ハワード様がお捕まえになってきた馬です。

 名前はファルコン」


「おお、あの闘将ファルコンか!」


「ええ。ガタイの形こそ違いますが、こいつも名馬になりますよ」


「ううむ・・・」


「で、この青鹿毛がトミヤス様ので。黒嵐て名前です」


「こくらん・・・黒い嵐?」


「ええ。花の蘭とかけて、嵐の『らん』と」


「うむ・・・この艶のある姿・・・蘭・・・黒嵐。良い名だ・・・」


 ゴロウはすたすたと歩いて、黒嵐の前に立つ。


「なんと腹の座った馬だ。全く驚いていない」


「でしょう。初めて見た時は、驚いたもんで」


「む、すごい肉の付き方だ。これは走る・・・走るだけではない。曲がる。

 足も頑丈だ。蹄の形も良い。これは必ず名馬になる・・・」


「ゴロウの旦那もそう思いますか。こいつは間違いなく名馬になりますよ」


「ううむ、素晴らしい馬ばかりだ・・・いや、これは参った。腰を抜かしました。

 トミヤス殿、良い馬を見せて頂きました。お礼申し上げます」


 ゴロウが頭を下げる。


「いえ。ゴロウさんのお目に適ったようで、光栄です」


「良い物を見せて頂きました。おっと、しまった。

 急ぎの用を思い出しました。では、『急ぎます』ので」


 急ぎます、という所に力を入れて、ゴロウは軽く頭を下げ、去って行った。


「・・・」


「カオルさん、そろそろ私達も行きましょうか。

 このりんご、食べさせてやって下さい」


 マサヒデとカオルはりんごの入った袋を馬屋に渡し、厩舎を出た。



----------



 日も落ちかかってきた町中、マサヒデとカオルは厳しい顔で歩く。


「カオルさん。あれは奉行所の方ですね」


「そうです。奉行所も、我らに危険が及ぶ可能性がある、と見たのでしょう。

 それで、なるべく急いで解決します、と伝えに来たのでは」


「同心ではありませんよね。上の方では」


「ご主人様、あの方が『鬼のノブタメ』です」


「あの方が鬼の・・・わざわざ、お奉行が自ら急ぐと伝えにきてくれたんですね」


「奉行所も、うっかり助けを求めたせいで、ご主人様が危険な目に合うかもしれぬ、と引け目を感じているのでしょうね」


「鬼のノブタメ・・・噂通りの人物と見ました。

 きっと、早く解決してくれるでしょう」


「ふふ。大捕物になりそうですね」


「あの方に任せておけば、大丈夫でしょう。

 さて、夕飯のおかずでも買っていきましょうか。今日は何がありますかね」


「私はご主人様と帰り道で一緒になった、という感じでよろしいでしょうか?」


「そうしましょう」



----------



 それからしばし後。

 居酒屋、縞屋。


「ハチよ。今日は忙しかったろう。ま、軽く1杯ひっかけていけ」


「は」


 2人とも、軽い着流し姿。

 同じ着流しでも、やはり艶はノブタメが上だ。


「おおい!」


「分かってますよー!」


 女将の大きな声が、店の奥から聞こえてくる。

 かちゃかちゃと音を鳴らし、女将が酒を運んでくる。


「さ、どうぞ」


 ちょん、ちょん、とお猪口を置いて、2人の前に酒が注がれる。


「肴は何だと思います?」


「お、肴まで用意してくれたか。すまんな」


「ええ。ありあわせですけど。狸汁ですよ」


「狸汁か・・・うむ。よい肴だ」


 ノブタメの目が懐かしさを浮かべる。


「おお、狸の肉ですか。久方ぶりです」


 ハチの目も懐かしさを浮かべるが、ノブタメも女将も吹き出してしまった。


「ぷ! はーっははは! 狸の肉ではないぞ! ははは!」


「え」


「蒟蒻を乾煎りにしてな。思い切り水を飛ばして、味噌汁に入れるのだ。

 この水を飛ばした蒟蒻が、汁を吸ってなあ。

 噛むたびに、じわりじわりと汁が口の中に・・・そりゃあもうたまらんぞ」


 ごくり、とハチの喉が鳴る。


「ふふ、女将、頼む」


「ははは! はいよ!」


 女将が勢いよく返事をして、店の奥に入って行った。

 にやにやしながら、ノブタメはお猪口を手に取る。


「・・・トミヤス殿に会ってきた。まだまだ若造かと思っておったが、一目で良い御仁だと分かった。あれは人が出来ておるな。まだ16とは、とても思えん。厳しい修行を重ねておったからであろう。おお、それとな、それはもうすごい馬を持っておってな。あれには驚いた」


 くい、とお猪口を傾け、口に入れる。

 甘く、酸味のある香り。

 これは狸汁と合うな、とノブタメが小さく頷く。


「タニガワ様が驚くほどの馬ですか」


「おお、それは驚いたぞ。思わず、口を開けたまま、厩舎の入り口で足を止めてしまったほどだ。片付いたら、お前も見せてもらえ。きっと驚くぞ」


 ノブタメは、空いたお猪口に手酌で酒を注ぐ。


「さ、お前もいけ」


「頂きます」


 ハチもお猪口を傾ける。


「ご友人の馬もおってな。これがなんと尾花栃栗毛よ。これもまた、大きな馬であった。あれほどな馬、この目で見たのは初めてだ」


「おばなと・・・ちくりげ?」


「尾花、栃栗毛だ。千頭に1頭も生まれぬほど、貴重な馬だぞ」


「なんと! 千頭に1頭も生まれない!? それほどの・・・」


「その馬に驚いてしまって、最初はトミヤス殿の馬には目がいかずにな。で、トミヤス殿の馬を見てみれば、これが見事。色艶、肉の締まり、頑丈な足。近付いて見たが全く驚きを浮かべず、腹も座っておる。あの艶やかな立ち姿は見事であったぞ。気高い、とは正にあの馬の為にある言葉よ。間違いなく名馬となるな」


 店の奥から、小さくじゅうじゅうと炒める音が聞こえてくる。

 胡麻油の良い香りが漂ってくる。


「うむ、良い香りだ」


「狸汁、早く食べてみたいものです」


「で、どうだった。店は見つからなかったろう?」


「はい。屋台まで調べましたが、どこにも」


「トミヤス殿に会いに行く途中、町中を歩いておって、気付いた事があってな。

 なぜこんな簡単な事に気付かなかったのか、と、己を恥じてしまったわ」


「と、いいますと・・・」


 そこに、女将が鍋を運んできた。


「さ、どうぞ!」


 鍋が置かれ、女将が鍋から汁を椀に移し、2人の前に置く。

 胡麻油の匂いがたまらない。


「おお、これは良い香りだ」


「美味しそうですね」


「酒が足りませんでしたら、お呼び下さいね」


 女将はさっさと引っ込んでしまった。


「さ、ハチ。食べてみろ」


「は」


 ハチはぱらりと小さく刻まれたねぎを乗せ、口に運んでみる。


「む・・・?」


 確かに、蒟蒻からはじわりと汁が出て美味い。

 味噌汁も、ただの味噌だけでなく、胡麻油で炒めた具が入っており、美味い。

 だが・・・


「ふふ。酒の肴としては、少々味気なかろう?」


「は・・・その、正直言いますと、少々物足りず」


「酒と合わせて食べるのだ。酒は、少しで、な」


 ハチが少し酒を含む。


「む、むお」


「どうだ。美味かろう」


 甘く、やや酸味のある酒と、この狸汁の味。

 ぴったり混ざり合うという感じではないが、味が喧嘩をしているわけではない。

 互いに出過ぎる事もなく、味が消えてしまうこともなく・・・

 蒟蒻からじわりと出る汁を飲み込む。

 この酒と合わせて食べると、味気ない、と思ったその味が、じっくりと舌の奥に腰を据えて残る。残るが、その地味な味はくどさを全く感じさせない。

 この酒があってこその、この狸汁なのだ。


「なるほど・・・これは確かに、酒の肴・・・ううむ」


「ふふふ。どうだ、狸汁。美味いであろう」

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