第13話 オードブル、スープ、ポワソン


 一方その頃。


「何者か」


 暗闇で、カオルは何者かに囲まれていた。

 姿は見えない。声だけが、静かに闇に響く。これはおそらく・・・


「情報省技術局、スパイ養成学校所属、仮教員、カオル=サダマキ」


「養成所の者か」


「此度は主トミヤス様の元で、最終試験を受けている。護衛だ」


「動くな。確認する」


 音もなく1人の気配が消える。

 少しして、気配が戻ってきた。何か呟いている。


「行け。トミヤス様の護衛を続けろ」


 囲んでいた気配が消えた。

 カオルは、ふ、と少し肩を落とした。


(これは失点かな)



----------



 テーブルについた4人。

 マツの身分に気付いた執事は、少し緊張気味だ。


「さ、お嬢様」


 執事がハンカチを差し出し、クレールは目を拭った。

 まだ、ぐすぐすと泣いている。

 マツとアルマダは、クレールを微笑んで見ている。


「お持ちして下さい!」


 給仕がワゴンに酒を乗せて運んできた。

 マツは腹にそっと手を当て、軽く頷いてグラスを引く。

 マサヒデとアルマダにはワインが、マツには葡萄ジュース注がれる。


「どうぞ」


 アルマダはグラスを手に取って、軽く匂いをかぎ、


「ハワード様、素晴らしい香りでしょう?」


「ええ。爽やかで、かぐわしい」


 マサヒデも同じようにグラスを取って匂いをかいでみたが、よく分からない。

 色と匂いからして、ワインだということは分かる。

 オオタに散々呑まされたものだ・・・


「?」


「こちら、レイシクラン家の領地の葡萄農園の・・・」


 なんたらかんたらと執事が説明を始めたが、なんのことだかさっぱり分からない。

 レイシクランの酒らしい。


「おお、これがあの高名なレイシクランの・・・

 実を言いますと、私、レイシクランのワインは初めてなんです。

 お噂はかねがね聞いておりましたが、中々手に入らず。

 一度で良いから飲んでみたい、と思っておりました。これは楽しみです」


「ハワード様。レイシクランのワインは正に絶品ですよ。

 私も何度か口にさせて頂きましたけど、それはもう」


「是非、お楽しみ下さい。ハワード様も、お気に召しましたら、是非ともご贔屓に。

 我らも鼻が高くなるというものです」


 2人の口ぶりからして、美味しいワインのようだ。

 あまり強い酒の匂いはしないので、マサヒデにも飲めそうだ。

 思い切って、一口入れてみる。


「???」


 やはりワインだ。

 だが、それ以上はさっぱり分からない。


「トミヤス様。いかがでしょう」


「え! ええ、すごく美味しいですね。

 実は私、酒はほとんど知りませんけど、これは美味しいと分かります」


 他との違いが全く分からないので、適当に褒めておくが・・・


「それはそれは。お気に召して頂けて、光栄です」


 これは見抜かれたようだ。

 にこ、と執事が笑顔を見せたが、軽く片目を瞑って、小声でマサヒデに囁いた。


(後はお任せ下さい)


 マサヒデは恥ずかしくなって、こく、と頷いて、俯いてしまった。

 執事は顔を上げ、


「さあ、料理をお持ち致しましょう! お願いします!」


 と、声を上げた。


 給仕がワゴンを運んで来たが、違う。

 ひとつのワゴンだけ、乗っている物の大きさが・・・


「オードブルの鶏とレバーのパテでございます」


 小さな皿が差し出される。

 切られた肉の塊のようなものが乗っていて、横に何かの葉が添えてある。

 見たことのない葉だが、おそらく香草だろう。


 ちらっとアルマダを見ると、ナイフで一口大の大きさに切っている。

 マサヒデもナイフとフォークを手に・・・


「・・・」


「わあー! 素敵!」


 先程まで泣いていたクレールだったが、料理を前に声を上げた。


 クレールの前には、大きな皿の上に乗った、肉の塊が置いてある。

 あの大きさを食べるのか?

 冒険者ギルドで、大きな冒険者が、がつがつと食べているような大きさだ。


 慣れた手付きで、しゅっと横にナイフを通し、次に縦から切って一口大に切っていく。


「うん! うん!」


 と言いながら、次々と肉を口に放り込んでいく。

 そしてまた、しゅっと横にナイフを通し・・・


 驚いて2人が固まっていると、マツが声を掛けてきた。


「マサヒデ様、ハワード様、どうです?」


 さすがに、アルマダはすぐ体勢を立て直した。

 元の笑顔に戻った瞬間、素早くハンカチで額の横の汗を拭き取り、さっとポケットにしまい込む。

 手以外は一切動いていない。

 その動きはまるで居合の達人が怖ろしい速さで抜刀、納刀するようだ。


「言った通りでしょう? 『驚きますよ』って」


「ええ、いや、さすがに国に名を轟かせるレストラン。

 ふ、ふふふ。オードブルから驚かされましたよ」


「はい・・・」


 あの小さな身体で、あの肉の塊を・・・

 たしかによく食べるとは聞いていたが、ここまでとは。


 しかし、マサヒデ達の前の皿は普通だ。

 ちゃんと、合せてくれている。


 マサヒデも肉を口に放り込んだが、味が分からなかった。

 アルマダも「素晴らしいですね」などと言っているが、笑顔がこわばっている。

 マツとクレールだけが笑顔だ。


 気を落ち着かせるためか、アルマダがくい、とワイングラスを傾ける。

 静かに食が進み、前菜が終わった。



----------



「ほうれん草とオリネオ豚のポタージュでございます」


 3人の前に、底の浅い、薄く緑色の汁が垂らされた皿が置かれた。

 向かいのクレールの前には、どんぶりのようなものが置かれた。


「・・・」


 今度はどんぶりで飲むのか?

 ついさっき、あれだけ大きな肉の塊を食べたばかりなのに・・・

 驚いて見つめるマサヒデに、マツが声を掛けた。


「マサヒデ様。オリネオ豚は、この国でも有名な豚なんです。この地方の名産ですよ」


「へえ・・・私すぐ隣村なのに、知りませんでした」


「さ、どうぞお召し上がりを」


 ちら、とアルマダの方に目を向けると、スプーンでちびちびと口に運んでいる。

 これか、と同じスプーンを取って、マサヒデもずずっと口に入れてみる。


「お」


 先程は驚いて全く味が分からなかったが、今度は分かる。


 美味い。

 色からして、もっと青臭い感じかと思ったが、青臭さがない。

 豚、と言っても、肉の脂っこいの感じもしない。

 肉の脂と、ほうれん草がちょうど良く混ざり、どちらの癖も消している。

 だが、ちゃんと野菜の香りがする。ちゃんと肉の香りもする。

 癖は消しつつ、野菜が肉の、肉が野菜の、互いの長所を引き立てている。

 肉の脂のように舌に柔らかく絡みつくのに、飲み込むと口の中はさっぱりとして、後を引かない。


「うわあ! これは美味い! 美味しいです!」


 ぱっとマサヒデが執事の方を向いて、声を上げた。


「それはよろしゅうございました。シェフも喜びましょう」


 にこにこと執事が笑う。

 もう一口、と皿に向かってスプーンを・・・


「・・・」


 向かいのクレールは、どんぶりのような物を両手で掴み、ぐいぐいと飲んでいる。

 静かにそれをテーブルに置いて、


「ふう! これは美味しいですね! もう一杯お願い出来ますか!」


 あの小さな身体で、どんぶりのような食器に注がれた、このポタージュを一気飲み。お代わりまでしている。

 たしかによく食べるとは聞いていたが、ここまでとは。


 だが、元気になって良かった、と思う。

 今度は味がしっかり分かる。たしかに、聞いた通り素晴らしい味だ。


 スープが終わる。次はポワソン。



----------



「鮭のムニエルです」


 皿が置かれる。

 見たことのない焼き方で、上にタレのようなものがかかっている。


「おお、鮭ですか。私、大好物です」


 もう落ち着いてきた。

 こちらの皿は、ちゃんとこちらに合せてくれた量だ。

 多いのはクレールだけだ。


 そうだ。アルマダさんも言っていたじゃないか。

 見た目に驚いているだけだと。


「マサヒデ様もですか! 私も鮭は大好きなんです!」


 と、クレールが声を掛けてきた。目がキラキラしている。

 皿には山盛りの鮭が載っているが・・・

 もう大丈夫。こちらの皿は一切れだけだ。

 クレールの顔を見て、マサヒデも自然と笑みが浮かんだ。


「ふふ。先程まで泣いてらっしゃったので、心配しました。

 でも、もう大丈夫みたいですね」


「あっ・・・」


 真っ赤な顔になって、クレールは下を向いてしまった。


「あの・・・あんなに泣いてしまって、お恥ずかしい所を・・・」


「恥ずかしがらないで下さい。私に会って、喜んでくれて。

 それで、嬉しくて流してくれた涙なんです。私も嬉しいです」


 クレールは「はっ」と顔を上げて、マサヒデを見つめる。

 また、目尻にじわじわと涙が溜まってきている。


「もう、マサヒデ様ったら、お上手ですこと」


「ふふふ。文字通り女泣かせですね」


 アルマダも落ち着いたようだ。

 いつもの冗談が出てきている。


「もう、またですか。ただ、自分の気持ちを正直に言っただけです」


 と、ナイフとフォークを手に取り、切ろうとしたが、


「うむ?」


 上手く切れない。

 アルマダの方を見ると、普通に切って食べている。

 マツも同じだ。

 特に力を入れている風でもない。


 崩れてしまった部分を見て、ああ、と気付いた。

 フォークで軽く押さえ、魚の身に沿ってナイフを入れてみる。


(なるほど)


 今度はきれいに切れた。

 口に入れてみる。


(おお)


 食感は油で揚げたような感じで、表面がサクサクしている。

 塩と胡椒の味がするが、塩鮭のような味ではない。

 表面の、薄い衣のような部分に塩が付いているのだ。中の身は甘い。

 上にかかったタレのようなものから、柑橘類の香りがする。

 表面と、鮭の脂っこさを、そのタレが消している。

 鮭の脂が口の中に広がるのに、飲み込むと口の中がさっぱりしている。


「わあ、この鮭も美味しいですね! サクサクしてて・・・

 しっかり脂が乗っているのに、タレがさっぱりしてて、進みますよ!」


「おお、さすがトミヤス様。このソースの重要さが分かりますか」


「いや、そんな、さすがだなんて・・・

 私も貧乏舌ですけど、この美味しさは誰だって分かりますよ」


 正面のクレールは、怖ろしい速さでムニエルを食べていく。

 マサヒデも、ムニエルに舌鼓をうつ。

 このまま、最後まで楽しく食事を食べられれば良いのだが・・・

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