第2話 黒船投錨


「すごい! すごいね宇賀うがの! 何あれ、すっごく大きな船!」


 浜には村人がわらわらと集まっていた。沖に浮かぶ黒い船が気になって来たらしい。ひい、ふう、み、と数えるに、船は七隻いるように見える。

 弁天はそこにいる誰よりも興奮して良家の娘っぽさをかなぐり捨てていた。あきれた宇賀はそっと弁天の肩を押さえ後ろに引く。


「あん。なぁに、宇賀の」

「少し黙りましょうか」


 そっとそこを離れた。彼らはちゃんと人から見えているので、目立って話し掛けられでもすると面倒なのだ。

 だから一人で外出するのは危ないと言ったのに弁天には通じていないらしい。宇賀は舌打ちした。


「さっきはシュンとしていたくせに……」

「何か言った?」

「ええ。ずいぶん楽しそうですね、と」

「うん、楽しい!」


 弁天はにこにことうなずく。子どもだ。

 はああ、と嘆息し眉間を押さえた宇賀は、かみ砕いて言いきかせた。


「いいですか。あの船がどこから来たのか知りませんが、今の幕府には歓迎されません」

「徳川さん?」

「そう。これまでにも、いくつか異国の船が来ていますが幕府は門前払いしているそうです。それを押して江戸湾まで入り込んだのですから、それなりの戦支度はして来ているでしょう」

「ええ……」


 戦、と聞いて弁天の眉がへの字になる。いちおう戦いを守護する神として祀られたりもするが、歌舞音曲の方が好きだ。琵琶を奏でて呑気にしていたい。


「そんなの、嫌」

「どうなるかわからないんですよ。寺にだって武家が来たじゃないですか。近辺を守護する話かもしれません」

「あの船がこっちに寄って来たら、横濵村はどうなるの」

「さあ。その前にあれらを沈めてしまえれば良いのですが」


 冷静に物騒なことを口にするが、宇賀は本気だ。主たる弁財天が鎮める村を荒らされるのは我慢ならない。

 遠くから来た船ならばきっと、荒海を越えるために祈る神棚か何かが備わっているだろう。異国の神がどんなものやら想像もつかないが、国へ帰れと船の連中に言ってくれないものだろうか。


 ――だがこの時、すでに幕府と黒船の間で話がついていたのだった。

 横濵村に上陸を許し、そこで黒船を率いて来たペリー提督と折衝する、と。




「増徳院に、あの船の異人が来るところだったと!?」


 帰ってきた二人を僧坊に迎えて清覚せいがくが告げたことに宇賀は仰天した。

 先ほど訪れた武士は、浦賀奉行与力うらがぶぎょうよりき香山かやまという男。アメリカから来たあの船の者たちと話す場所を探していたのだとか。


「この寺ではちょっと、と肩を落として帰っていかれたわ。ボロ寺で申し訳ありませんわのぅ」


 清覚が呵々として笑い、弁天もコロコロと声をそろえた。

 増徳院は横濵村の百十戸余りを檀家に抱えている。だが半農半漁の村のこと、そうそう寄進もなく、本堂もすっかり古びたのに建て直すこともままならずにいた。


「でも大きな家なんて――徳右衛門とくえもんのところぐらいしか」


 与力を案内していた名主、石川家。弁天に訊かれ、清覚は首を横に振った。


「海から遠いし、大人数は入らぬと。せめて寺が立派ならと見に来たもののこの通り……まあ船を下りてすぐがよろしいでしょう。大勢の異人に村の内をぞろぞろ歩かれては」

「村の者らが恐れて逃げますね」


 そう言った宇賀だって、異人とやらがどんな姿なのか見たことがない。天狗のようだの赤鬼のようだのと聞くが、どんなものやら。

 だが今の清覚には、異人よりも怖いものが目の前にいた。与力の決めたことを伝えたら弁天は激怒するに決まっているのだ。それを考えると言いたくはないが、どうせすぐに知れること。肚を決めて口を開いた。


「……なので、応接所を作るんだとか。駒形こまがたの家を何軒か壊して場所をととのえ、普請すると言うておりました」

「こわす!?」


 ほら怒った。まなじりを吊り上げる弁天は立ち上がりそうな勢いだ。宇賀がそれを片手で抑える。


あざ駒形――あんな浜に黒船を寄せられますか?」

「いやいや、小舟を出して渡って来るそうな。あそこらへんの漁師なら、家を移しても舟さえ残れば暮らしはなんとかなろうし、畑をつぶすよりよほど良い……と申したのは私ではありませんでな!?」


 あくまで香山与力徳右衛門名主の導き出した答えだと言い訳したが、弁天はズイ、と膝を進めた。目の前に手を突きつけられて清覚は悲鳴を上げる。

 何をするつもりなのか。でこぴんか。なんなら頭にも毛はないが。


「あそこには水神くんのほこらもあるんだよ、どうする気なの?」

「水神のもりに手はつけませんで。徳右衛門どのもそこは譲りませんし、香山さまも罰あたりはなされません」


 でも弁天はぶすくれている。まだ清覚をにらみながら、ぶつくさ言った。


「こんど徳右衛門も叱っておかないと……」


 名主、石川徳右衛門。五十歳かそこらになる近郷の名士だが、弁天にかかれば赤子の頃から知っている鼻たれ小僧だ。宇賀はいちおう口をはさんだ。


「それは可哀想ですよ。奉行を相手に何も言えやしません。立ち退いた者たちの暮らしをきちんと面倒みなかったら締め上げるということでどうです」

「……ん。まあ、そういうことにしてやってもいいよ。締めるのは宇賀のに任す」

「承りました」


 しれっと怖い約束がなされていて、清覚は冷や汗をかいた。

 宇賀の本性は、蛇神。

 なのでこの場合の「締める」はおそらく文字通り。変化へんげして、巻きついて――と考えてぶるっと寒気がした。徳右衛門に後ほど注意してやろう、と清覚は心に決めた。


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