第32話 魔拳

 俺とヤイロを背後に、アーシャは大剣を構えた。


 炎が揺らめく。

 アーシャ自身も限界まで魔力を絞っている上に、ラビとの結合合体クロスマージで底上げされている。おかげで、炎はとんでもないサイズになっていた。

 紅蓮の炎が巨大な翼のヘドロ化したモンスターたちを包み込む。


「行かせないわよ……一匹残らずここで焼けなさい!」

「お前じゃ相手になんねェよ! すっこんでろカス!」


 炎翼が全てを覆い尽くす。

 身体を火に炙られたモンスターたちが我先にと逃げ始めるが、炎の翼に囲われていて逃げる場所などどこにも存在しない。翼は優しく抱き締めるようにして包み込み、空間を縮めていく。


 少しでも炎から逃れようとモンスター同士で押し合いを始め、すぐに互いを傷つけ始めた。


 蠱毒こどくのような阿鼻叫喚の中心にいた誉田がわらう。


「けひひひひひっ……そォいうときは、こうすンだよ!」


 誉田の触手がヘドロ付きのゴブリンを持ち上げ、自らの頭上で雑巾のように

 血肉が弾け、内臓が飛沫となって降り注ぐ。


 子蜘蛛相手にやったことを、自らの生み出したモンスターでも行ったのだ。


 次々にモンスターを絞って全身を体液で濡らした誉田は、を取り込むとさらに次の一体へ、また次の一体へと手を掛ける。


「無駄よ……! アンタごと燃やしてやるッ!」

「この火力、いつまで保つか見物だなァ? 火消しのならいくらでも用意できンだぜ?」


 ぼごぼごと身体を波打たせた誉田から、新しいモンスターが飛び出す。

 明らかに自分の体積よりも多くのモンスターを産み出しているはずだが、誉田はまだ余裕がありそうだ。


「はははっ! 力比べと行こうぜお姫様!」

「臨むところよ……っ!」


 火力が強まり、炎の翼が輝きを増していく。

 が、集中するアーシャのすぐそばの地面がめくれ上がり、炎が掻き消えた。


「はははははははっ! 馬ァ鹿!!」

「……っ!」


 アーシャの腹部に、地面から鋭い何かが突き刺さっていた。


「……卑怯者……っ!」

「だからすっこんでろって言っただろォが! 俺は召喚士をブチ殺してェんだよ!」


 生えていたのは鋭い爪のついた触手だ。

 誉田は不定形の身体を使って地面を掘り進めていたらしい。

 愉悦に歪んだ表情を向ける誉田が、脳裏に焼き付いたガーゴイルの笑みと重なった。


 崩れ落ちるアーシャを、アレックスがすぐさま抱き上げた。そのまま俺とヤイロの元まで退避してくる。


「くっ……! 手が、足りないっ! 魔力、も、もうっ!」


 ヤイロはアーシャの治療に専念してくれ。


 そう告げる代わりに立ち上がった。立ち上がれるまでに回復させてもらった。


 ここからは俺がやる。


 アレックスの鎧を支え代わりにすれば、命じてもいないのに俺すら焼くような炎が内部で揺らめいているのを感じた。


「……悪鬼外道ガ……っ! 打チ首デスラ生温イ……!!」


 安心しろよ。

 だ。


 俺を庇うために立ち向かった人が、傷つけられる姿は俺のトラウマそのものだ。

 人の気持ちを逆撫でしやがって……お陰で最悪の気分だ。


 あの時と違うことが一つだけあるとすれば、俺は無力じゃないってことだ。


 こういう時のために力を手に入れたんだ。

 

「アキラ!? あなたも動ける怪我、じゃ、ないっ! 死んじゃうっ!」

「ァ"、レッグズ……」


 立ち上がり、焼けた喉で呼び掛けた。ヤイロが必死に追い縋ろうとするが、止まらない。止まるわけにはいかないのだ。


 俺から奪おうとする者がいたら。

 俺に理不尽を働く者がいたら。

 俺に害意を抱く者がいたら。


 そいつをぶっ飛ばす。


 そのための2年間だ。


「ら”、ビ……」


 アーシャの身体に結合合体クロスマージしていたラビが俺に吸い込まれる。


 誰かが助けてくれるなんて淡い幻想は抱かない。

 そんな幻想は叶った試しがない。

 手を合わせて祈る暇があったら、拳を精一杯握りしめてぶん殴った方がマシだと、この2年で死ぬほど実感させられた。

 いや、もっと前から……召喚士になったときから分かってたのかもな。


「ズラぼう”……」


 高田さんは手を出すつもりなど欠片もなさそうだ。ニヤニヤしながら事態を見守ってるところを見ると、介入するとしても俺たちが死んだ後に事後処理をする程度だろう。


 己の意志は己で貫けってことか。

 上等だよクソッタレ。誰かに頼らずとも、俺自身の力でぶっ飛ばしてやる。


 退くな。

 惜しむな。

 覚悟を決めろ。


三重、装”填”っトリ"プル・ジャングジョン"!!」


 全てを焼き付くす炎が。

 全てを切り裂く刃が。

 全てを蝕む猛毒が。


 三体の”魔”が契約に応じて俺に宿った。

 俺自身ですら制御しきれない、この世のことわりに反するほどの力を秘めた拳。


 ――人はそれを『』と呼ぶ。


「ガァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」


 獣のような咆哮とともに魔拳を振り抜いた。

 俺の腕が嫌な音を立てるのと引き換えに石畳を砕く衝撃と高熱が走り、誉田の身体を蝕んでいく。


「がぁ!? 焼、焼げる! ぢぐしょう! おでの身体がぁっ!!」


 新しくモンスターを生もうとするが、不可視の斬撃によって切り落とされる。傷口が沸騰し、血肉が蝕まれ、骨ごと焼き尽されていく。


「嫌だ! 嫌だァっ!!」


 何かをしようとするたびに動かした箇所に斬撃が迸り、炎が噴き上がる。周囲を侵食する炎が。


 すぐに誉田の身体全体が


「――っ! ――――っ!!」


 もはやモンスターを生む余裕などない。


 身体も、心も。

 罵倒や絶叫でさえも。

 すべてが切り刻まれ、焼かれ、蝕まれて消えていく。




 どれほどの時間が経っただろうか。


 業火が消えた。


 破壊の痕が残る石畳の上には、一握の灰すら残っていなかった。


 認識した瞬間に装填が解除されて崩れ落ちる。


「アキラっ!」


 泣きそうな顔のアーシャに抱き留められる。身体中の力が抜けていく。唇も、腕も、瞼でさえも、鉛のように重かった。

 誉田を焼き尽くすために自壊覚悟で三重装填を維持し続けたのだ。

 限界だった。


「アキラ! ねぇ、返事して! 死なないで! お願いっ!」


 死なねぇよ。

 それよか、お前も刺されてんだからじっとしとけ。


 泣きそうな顔で俺を抱き締めるアーシャを安静にさせるべく、必死に腕に力を籠める。


 果たして、俺は指の一本でも動かすことができたのだろうか。急速に薄れた意識ではそれすらも把握できなかった。


「どこ触ってんのよ、ばか」


 言葉とは裏腹にどこか嬉しそうな呟きを聞きながら、俺は意識を手放した。







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