第2話 ガーゴイル

 ガーゴイルはゲッゲッゲッ、と笑いながらシュンさんの遺体に近づいた。ぺちゃぺちゃと脚でそれを踏みつけるようにしかき回していた。


「野郎……!」

「シュンから離れやがれッ!」


 パーティメンバーがそれぞれの得物を振りかざして殺到する。

 前衛ジョブで人外の膂力を得ていたはずの二人の攻撃を、ガーゴイルは防御すらしなかった。


 蝙蝠型の羽根に武器がぶつかるが、ガーゴイルは身じろぎすらしない。


「なっ!?」

「ノーダメージ!?」


 驚愕する二人に、こてんと首をかしげて見せた。

 それから、ガーゴイルの腕が掻き消えて、一人は両足を膝から切断され、もう一人は両肘から先を失った。


 絶叫が響く。


「アキラ、逃げろ!」

「カズマさん!」

「さっさと逃げろ! 俺が時間を稼ぐ!」


 ガーゴイルは手足を失った二人を相手に、指でつつくようにして胴体に穴を開けたり、攻撃を尻尾や腹、尻などで受けて大笑いしていた。


「遊んでやがる……俺らじゃ相手にならねぇってか?」


 ぎり、と歯を食いしばってハンマーを構えたカズマさんだが、動かない。

 動けば他のメンバーと同じように嬲り殺されるのが分かっているからだ。

 俺はと言えば、カズマさんの指示に従って扉まで這っていき、しかし押しても退いても微動だにしなくて半泣きになるだけだった。


「あ、開かない……!」


 俺が呟くと同時、両脚に強烈な熱が走った。


「あっ!?」

 

 バランスを崩して倒れた俺の目に、切り離された足首が映った。

 ガーゴイルの笑い声が、すぐ近くで聞こえた。


「ぐっ……あ、アキラぁ!」

「クソがぁ! 俺らはまだ、死んでねぇぞ……!」


 満身創痍の二人が無理やり立ち上がった。挑発系のスキルを使っているのか、魔力が弾け、ガーゴイルの視線が二人へと向く。


「今助ける! 刺激するなよ!」


 巨大なハンマーを握りしめたカズマさんがガーゴイルに突撃する。

 ハンマーはやはり一番壊れやすそうな翼を思い切り叩いたが、甲高い金属音とともに火花が散るのが見えた。


 ダメだ……来ないで……。

 それだけの言葉を絞り出すことが出来ず、ガーゴイルの蹂躙劇が始まった。


 手足を引き抜かれる。

 眼を潰される。

 舌を引き抜かれ、顎を砕かれる。


「ゲギャギャギャギャ!!」


 俺なんかを助けようとして、みんな死んでしまった。


 痛みと怒りと恐怖と悲しみで頭がおかしくなりそうだった。


 何で。

 何でこんなことになるんだ。


 ガーゴイルはまだカズマさんで遊んでいた。

 ……皆良い人だった。

 俺なんかに優しくしてくれた。


 ふつふつと怒りがこみ上げた。


 俺も死ぬだろう。

 脚からはとめどなく血が流れているし、視界がぼやけてきた。


 ――一矢報いたい。


 皆がダメージを入れられなかった相手に俺なんかに出来ることはない。だから、せめて、をしてやる。


 こいつが現れたのはシュンさんが鎖を攻撃しようとした瞬間だった。

 しかも今みたいに遊ぶことなく、全力で殺しに来た。


 鎖の先にある”何か”。あれに刺激を与えたくないんだろ?


「スラぼう……頼むぞ」


 俺はスライムを”何か”に向けて放り投げた。

 ガーゴイルはスライムではなく俺の目の前に現れ、両腕を切り飛ばした。


「がぁぁっぁぁっぁあぁ!!」


 自分から流れ出た血だまりにべしゃりと崩れ落ちる。

 ガーゴイルの哄笑が聞こえる。


 ……俺の推理が正しければ、ほえ面かくぞ。


 一矢報いるまで、と歯を食いしばって意識を手放さないように堪える。

 スライムは”何か”にとりつくと、びっしりと表面を覆っていたを溶かし始める。


「ゲッギャッ!?」


 ガーゴイルが慌てたのが分かった。

 急いでスライムの元に飛ぼうとしたガーゴイルだが、広げた翼の片方がボロリと取れる。

 皆の攻撃で弱ってたんだろう。


「ざまぁ……みろ……!」


 ”何か”の中に何があるのかは知らない。

 だが、あの慌てぶりを見る限り、ガーゴイルは”何か”には触れても欲しくなさそうだ。


 だったら。


「スラぼう! 全力で溶かせ!」


 スライムに溶かせないものはない。

 時間はかかるが、ゴミだろうが金属だろうが溶かしてくれる。

 どのくらいかかるかは分からないが、せいぜい肝を冷やしやがれ。


 ガーゴイルがぴょんぴょん跳ねながら必死に手を伸ばすところを見ていると、愉快な気分だった。

 一秒でも長く意識を保ち、一枚でも呪符を溶かしてやりたい。

 でも、それほど長くはもたなかそうだった。


 ……カズマさん達に、良い土産話が出来たな。


 俺にもっと力があれば、脚を引っ張るようなこともなかった。

 しっかり謝って、最期に一矢報いたことを報告しよう。


 そう考えて目を閉じようとした時だ。


 ――バァンッ!


 ”何か”を縛っていた鎖の一本が勢いよく弾けた。

 呪符が次々に燃え落ち、残る鎖もどんどん切れていく。


 ”何か”から青白い光が漏れ、そして


 燃え散る呪符は空中で止まり、ガーゴイルも不自然な姿勢のまま固まる。

 弾けた鎖は鎌首をもたげる蛇のような状態だ。


「……は?」

「封印を解いてくださってありがとうございますぅ」


 ”何か”から場違いな、眠気を誘うような声が響いた。

 透明感のある女性の声は、春の木漏れ日のような暖かさを感じさせた。


 燃えたまま止まった呪符を手で払って、誰かが出てくる。


 緩いウェーブの掛かった金髪に、どこまでも深い蒼の瞳。染み一つない体を包むのはギリシャ神話の彫像が着ているような一枚布の白いワンピースキトーンと、精緻な細工が施された金の腕輪。

 

 慈愛に満ちた笑みを浮かべた、清冽さを感じる端正な顔立ち。


 シンプルなワンピースからはメリハリの効いたシルエットが伺える。


 俺は、自分が置かれた状況を忘れて見惚れていた。


「私はリリティア。時空を司る神です……アキラさん。私の封印を解いてくださってありがとうございました」

「お、俺の名前を……?」

「ええ。時間がないので自己紹介をしてもらった未来を視てきました」


 何を言っているか分からなかったが、リリティアは話を続ける。

 時々リリティアにノイズが走る。まるで高度な立体映像をみているかのようだった。


「私は新世代の神を僭称する”アスラム”によって肉体と精神を分かたれ、封印されていました」

「アスラム……?」


 聞いたことのない名前に眉をしかめる。

 何を勘違いしたのか、リリティアは「気づかずすみませんでした」と指を振った。

 血液と足首が動画の逆再生みたいにうごめいて、傷口にぴったりと張り付く。


「アキラさんに開放してもらったのは精神だけですが、時空を操る力も多少はあるんですよ」

「ッ! なら、カズマさんたちを助けてくれ! 頼む!」

「……ごめんなさい。他の方はすでに魂が肉体から離れています。巻き戻しても、自分では呼吸すらできない抜け殻になるだけなのです」

「ふざけんな! 嘘つくなよ! 俺の脚は治っただろ!」


 治してもらった脚で立ち上がってリリティアに近づいていく。掴もうと手を伸ばすが、俺の手は彼女にめり込んで空を切った。


「そうですね……それでは、私の依頼を受けていただけませんか?」

「依頼を受ければカズマさん達は助かるのか!?」


 俺の問いかけに、リリティアはゆっくりと頷いた。


「依頼を受けていただけるならば、報酬の先払いをしましょう」


 

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