第13話 逃走劇

 

 息切れ切れに振り返るが女王蜘蛛アラクネたちの姿は見えず一度足を止める。


「撒いたか」

「はぁはぁあーもう! 今日だけで絶対に痩せたよ。これ以上痩せたくないのに」

「そうなの? あ、でも。リヴはすごくスタイルがいいからそうかも」

「むっ。それ嫌味ぃ? あたしはスっーじゃなくてルナみたいに胸がほしいの! おっぱいがほしいの! おっぱいのない女なんて男じゃん!」

「その思考が既に男だよ」

「アディルのえっち」

「黙れ貧乳」

「あー‼ また言った! 今度は許さないから。アホバカめんたいこ!」


 どうやら貧乳なことが相当コンプレックスのようで、ルナは自分の胸に触れてみるが果たしてこの大きさがいいのか悪いのかはよくわからなかった。

「絶対に胸を大きくする薬を作ってみせるんだから!」と息巻くリヴにアディルは嘆息しルナは苦笑。今のリヴでも充分綺麗だと思うがルナは敢えて何も言わなかった。


 そんな馬鹿な話の合間にそれは着実を近づき、アディルが警戒の眼差しを向けたことで足音の正体は奇襲を仕掛けることなく姿を露わにした。


「な、なに? だれ?」

「なんでここに……?」


 黒の軍服の胸には剣を持った歌姫を抽象的に描かれた紋章が縫いつけられており、同じ組織に所属する二十人弱の彼らの手には各々の得物が一つ。黒の軍服の者たちに守られるように最後尾に白の模様を腕と胸に入っている女が一人。ざっとアディルたちを囲むようにそれらはしげみから出てきた。


「軍の騎士様方が休暇中の下級兵士になんのようだ?」


 軍服の襟に騎士の紋章が彫られており、一等騎士の金色の精悍な顔立ちの男が答えた。


「それは失礼。貴方がたを連れ戻すよう軍令をうけたまわり我々はここにいる。この意味、わかりますよね?」


 威圧の一つもないというのに有無、否定をさせない圧が確かにあった。まったく笑わなそうな顔でこの圧を醸し出せば女、子供は逃げることだろう。次いでに先の蜘蛛も逃げることだろう。

 軍令、その言葉一つで彼らのような上級騎士が動いたのか察することはできた。上級騎士を動かせる者はごくわずかだ。それこそ軍司や司令官、将官や佐官などの役所を持つお偉い方だ。つまり絶対遵守の命令というわけだ。

 つい先刻の総司令官に呼び出された内容がわらいだしアディルは小さく舌打ちをした。


「早すぎだろ。それに暇すぎるだろ」

「ええ、我らに暇など一切ない。要件を理解しているのなら早急そうきゅうに従え。処罰を受けたくないだろ」

おどしか? 俺らなど余裕だとその鼻は長くなっちまってんのか?」

「そのおごりこそ傲慢ではなくて。貴方の鼻の方がよっぽど長いようだな」

「黙れ隷従の賢者ども。平気で兵を皆殺しにする奴のどこに言えた口がありやがるか」

「あるとも。なぜなら我らが平和を守り民を救い秩序ちつじょを保っている。貴方の行いはそれらに反する蛮族蛮勇愚行の享楽きょうらく紛いだ。これ以上の弁論に意味はなさない。さあ、我らに従い、彼女をこちらに引き渡していただこう」

「わ、私⁉」


 そう指名されてようやくルナは現状に一定の理解を示した。

 これまでリヴとアディルに何度と説明されたこと。歌姫ディーヴァの素質を持つルナを軍がどんな手を使ってでも引き入れ隷属させようとすると。今ようやく実感を持ってしてそれらが眉唾まゆつばでも偏見でもなく事実なのだと、心歌術エルリートを使ってみて理解が深まった。

 いつの間にか感知できるようになったエレメントとナギの存在。それをどう使って心歌術エルリートを発動させるのかも。その力で傷を癒しギルタブリルを討伐したのだと。

 力の理解が軍の真実に直結した。


「貴女の力は世界を平和にする。その力で民を助けられる。悪を成敗し秩序を保つことができる。貴女の歌一つで救える命がある。貴女の真価はエゴのはらわたではなく、天使の指先こそ相応しいのです」


 秩序、平和、民の命。揺らぐ言葉。良心に訴える言葉。人たらしめる言葉。

 されど、彼らは知らないのだ。『ルナ』がであり、ことを。

 そして、ルナにとって平和は既におびやかされており、秩序なんて見当たらなくて、けど救いたい命だけはあった。民なんてその他大勢じゃない。


「私が救いたいのはこの二人だけです。私にはそれ以外にできることはありません」


 そう、ルナにとって守りたい命はアディルとリヴの命だけ。記憶を失い目覚めたルナを優しく受け入れてくれた二人だけ。

 事前情報一つの欠落でここに大きな齟齬そごが生じた。

 騎士たちは動揺する。軍に逆らう愚かさに。道徳、倫理に欠けたその戯言に。


「…………既に毒されていましたか。仕方がありません。無理矢理にでも拘束させていただきます」


 そう、屈強な男が確かな戦意を剣へと伝染させルナへとねめつけた。二十の騎士が同じように得物に戦意を宿す。白模様の入った歌姫ディーヴァの女は歌う準備を始め、ルナは悟る。勝ち目などないと。けれど、諦める心は湧かなかった。

 決意を決めたルナの戦意を受け取った男は喉を膨らませ――


「や――」

「あたしたちを忘れるなんて酷いから、言うこときいてあーげない」


 視界を白く埋めるほどのスパークが弾けた。三つの電想天石エルバナイトにライトバットの電球を接続させたことで電流の過多を引き起こし耐えられなくなった電球が破裂。電流が弾けたのだ。人間を死に至らせるほどの電力はリヴの土によって防ぎ、アディルが「よいしょ」とルナを担ぎ、風に乗ってその場を離脱する。


「え? えぇえええええ⁉ な、なんで⁉ 私どういう状態なの!」


 片腕で腹から腰へと腕を回された形で抱きかかえられたルナは悲鳴を上げてアディルの首に腕を回して必死にしがみつく。


「変なとこ触ったらめんたいこにするからね」

「なんでオマエなんだよ……触ってねーよ」


 風を付与されたリヴが疑似的に風の速度にあやかり隣を走る。背後からは騎士たちが追いかけてくるのが強大な気配となってルナにも感じ取れた。


「どうして……」

「なに?」

「どうして、こんな危ないこと。二人はおとがめなしだったはずなのに」

「うーん。ま、あれだね。ね、アディル」

「……そうかもな」

「相変わらず素直じゃないなー。そんなんじゃモテないから」

「知るか」


 背後から無数の魔術が放たれては四方八方に着弾。リヴは着弾する本命を打ち落とし、アディルがリヴの身体ごと風で持ち上げ運びながら速度を落とさずに森の中を駆け抜ける。


「しつこいなー。しつこい男は嫌われるよー」


 黙れ、おまえには言われたくないなどと、ちらりと声が聞こえた気がしたが気のせいだろう。あと、オマエにはモテたくないや、貧乳は論外とかもきっと気のせい。うん。


「あたし、あいつら沼に沈めてきてもいい?」

「いいわけあるか。殺されんぞ」


 命拾いしたな!と、リヴは舌を出して「童貞のひがみ」と叫んだ。


「そう言えばどこに向かってるのこれ?」

「さーな。恐らく北西だと思うが……あれは」


 森の中を何かが駆けていくのが見えた。直ぐに草木に隠れ見えなくなったが、もしもその正体がアディルの予想するパンテオンであるのなら。


「…………行くぞ」

「どこに? ってどこに⁉」


 有無言わせずに引きずっていく。


「奴ら左手に曲がったぞ!」

「『虎徹こてつの層』に逃げるつもりか!」

「追いかけろ!」


 ぞろぞろと、軌道を変えても追跡から逃れられない。このまま鬼ごっこをし続ければアディルが先に力尽きることは明白。何か策を弄しなければ敗北は確定だ。


「でどこ! どこどこどこ!」

「黙れ黙れ黙っとけ。こいつを見習え」

「ルナは怖がって目瞑っちゃってるけど」

「だ、だって~~‼」


 走り続ける。走り走りとにかく走り。

 そして視界前方に見えたそれに策は完成した。


「絶対に振り返るなよ。ルナ、いいっていうまで目を瞑ってろ」

「もう瞑ってる!」

「え?…………ちょっと、まさか――」


 アディルが何をしようとしているのか理解したリヴの顔が青ざめ。だがもう遅い。その脚は止まらずに獣の巣へと飛び込んだ。


「「~~~~~~~~~~~~~~~~っっ!」」

『――――――――――――――――――ッ!』


 声にならない声は奇声により掻き消され、アディルはかの地獄を全速力で駆け抜けた。


「【シルフよ・もっと速く】!」


 突風並みの風力が脚力を上昇させ、十秒もかけずに獣の巣から飛びぬけた。

 刹那、怒号が迸る。


『ウァオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼』

「なっ⁉ 狂戦獣ベルセルクだとっ⁉」


 ベルセルクと呼ばれた二メルの体格に禍々しい黒と赤の肉体。その手に持つ大剣ですべてを狂い殺す獣は、獣声を轟かせやって来た騎士たち相手に殺戮を始めた。


「ぎゃぁあああああああああああああああああ⁉」


 無数の叫び声をなるべくルナに聞こえないように風で遮るがルナの身体はびくっと跳ねる。


「なんでベルセルクがこんなところに?」

「知るか。とにかく狂戦獣クソどもに騎士様たちは任せて、俺らは逃げるぞ」

「これ処刑にならないかな……」

「……偶然いたんだから仕方ねーよ」

「……そうだね。うん、偶然いたんだから仕方ないよね」


 そう証拠隠滅する二人に「ねぇ! 何が起こってるの!」とぎゅっと目を閉じてアディルに抱き着くという情けない恰好をしたルナは置いてけぼりに叫び声を上げた。

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