プライドと蝉時雨。

 夏休みになると、僕はゲームセンターに足繁く通うようになっていた。

 連日続く猛暑日に、テレビもラジオも壊れたらしい。過去最高の猛暑日が。観測史上最大の猛暑日が。と毎日騒ぎ立てていた。


「ロウガ君、本当に友達とかいないんだね」


 金拳の休憩がてら、いつものように缶ジュースを煽っていると、不意に黒子さんがそう言った。

 突然だった問いにしかし、僕は困惑することなく、無意識のうちに彼女を睨み返してしまった。

 いつか母さんが僕に向けたのと同じ憐憫が感じられたからだ。彼女からもそんな風に思われてしまったことが、すこしだけ不快だった。


「どういう意味ですか」

「そのままの意味だよ。夏休みなのにずっとここに居るよね。で?どうなの?」


 憐憫を向けてきたかと思えば、今度は嬉々としている。

 友人を持つことそのものに幸福を感じたことのない僕には何の意味も成さないなまくらな言葉だったが、人によってはかなり傷ついてしまうし誤解を招くのではないだろうか。

 そんな懸念を脳裏に抱きつつ、手に握っていた缶ジュースを僕は飲み干す。

 ため息と一緒に、吐き捨てた。


「いませんよ。作る気もないです」

「絶対に?」

「絶対に」

「好きな子とかは?」

「いませんよ。他人に興味がないので」


 投げられる質問を千切っては投げ、千切っては投げて返す。

 僕の素っ気ない態度がお気に召さなかったようで、黒子さんは詮索を諦めて手に握った缶ジュースに口をつけていた。

 そうだ。恐らく僕という人間は、根本的に他人というものに興味がない。

 例えば、隣のクラスの誰かが芸能事務所にスカウトされたとか。

 例えば、あの部活が地区大会を突破しただとか。

 例えば、クラスの委員長がひそかに僕に想いを向けているとか。

 全ての事柄は僕にとって、ひとつも興味を惹かれないものだった。

 ある種の矜持のように、僕は他人への関心を向けてこなかった。

 他人に興味はない。

 ない、はずだったのだが。


「黒子さんはどうなんですか。友達、いないんですか」


 何故かそれだけは気になった。

 彼女のことを知りたいと、無意識の心理が作用した結果かもしれない。

 撤回しようとするが、一度口から出た言葉を吸い込み、なかったことにする魔法を僕が知り得るはずがない。

 問われたことが意外だったのか黒子さんは目を見開いていた。暫時沈黙すると、にやり、といたずらな笑みを浮かべた。


「あれ?他人に興味はなかったんじゃないの?私はトクベツってこと?」

「違いますよ。無職と友達続けてくれるような人間がいるのか気になっただけです。僕なら泣きつかれる前に縁を切りますから」

「さりげに酷いこと言うな?!私のSAN値激減なんだが!?」


 食い下がる声に耳を塞ぐ。

 漫才ではないのだからいちいちツッコまずとも良いのに、彼女は相も変わらず感情表現が豊かで忙しない。

 僕とは違い、友人も多いのだろう。見るからに遊び慣れている容姿をしているし。

 思いながら、ピアスの開いた耳と唇を見やった。耳を縦に貫くイヤーラップに、唇のリップピアス。穴を開ける痛みを想像するだけでぞっとさせられる。

 だが、僕がそれ以上の視線を彼女に送ることは出来なかった。


「ま、私もいないんだけどね」


 彼女がそんな言葉を口にした。

 嘆息混じりな独白にも懺悔にも似た物言いで彼女は続けた。


「昔から友達っていたことないんだよね。中高って友達なんていたこともないから、大学に上がったら友達作るぞって躍起になっちゃってさ。それでこのピアスも明けし、下手っぴだったメイクも練習したよ」

「それで友達は出来たんですか」


 問いかける。

 すこし躊躇うような沈黙があってから、彼女は続けた。


「できなかった。……知り合い。というか『そういうこと』をする人は出来たよ。でも、それ止まり。身体を重ねるだけでさ、結局友達って呼べるだけの人は一人もいなくてさ。で、私がこんなの嫌だって拒否し始めたら使い捨てられて。その後はもう最悪だったよ。大学ではビッチ呼ばわりで孤立して、本当に誰も私と話してくれなくなっちゃった。ビッチは……まぁ、あながち間違いではないんだけどね。あれは失敗しちゃったな……」


 ははは……、と苦笑する黒子さん。ファーストキスは好きな人とって決めてたのにね、と目尻に涙を浮かべているのが視界に飛び込んできた。

 返答に窮する。

 どう言葉を返せばいいのか分からなくなる。

 こんな時人がどんな言葉を欲しているのかなんて、人と関わってきたことのない僕には到底理解できるはずがない。

 だから精一杯の言葉で。

 僕の頭の中にある辞書の頁を千切る勢いで、浮かんだ乱暴な言葉の羅列を僕は口にした。


「そんなことないと思います。失敗なんかしてないですよ。……僕は、誰かと友達になろうとか思ったこともないから。だから……上手く言えませんけど、そういう意思はすごいと思います」


 自分でもどうかと思うほど幼稚な言葉が並んだ。

 彼女も目を点にして、口をあんぐりと開いたままでいる。

 お互いに言葉を失くした。

 恥ずかしかった。彼女の悲痛な表情を見た途端、彼女にあんな顔をしてほしくないと僕は思ってしまっていた。だから並んだ言葉は幼稚で、月並みで、多分人の痛みを慰めるには物足りないものになっていた。

 黒子さんは多分僕が感情的な言葉を口に出したことに驚いて沈黙しているのだろう。僕が放った言葉を噛み砕いて反芻するように沈黙を味わっていた。


「急に語彙力が崩壊したね」


 沈黙を破った開口一番。

 紡がれた言葉は僕のことをからかっている。

 人の気も知らないで、と。ざわつく胸中を言語化しようとしたが、それは彼女が次いで口にした言葉が遮った。


「でも、ありがとね。……すこし、気が紛れたよ」

「……」


 向けられた視線は穏やかだった。

 彼女もこんな表情をするのかと、自分の目を疑ってしまうほどに。

 はにかむ笑みには僅かばかりのあどけなさがあって、いつも鼻腔をくすぐる甘ったるい香水の香りはその時ばかりはやけに強く感じられた。

 黒子さんが言う。


「前から思ってたけど、勿体ないよ。……君は顔もいいし、コミュニケーションだってしっかり取れるし、優しいんだから。こんなところで油売ってないで、もっと青春してきなよ」


 きっと僕は他人の感情に鈍い。

 他人が僕のことをどう思っているとか。

 他人が何にどう心を動かされているとか。

 僕には分からない。

 でも、それは『他人』に限ったことだ。

 僕に『他人』の感情は分からないし、知りたくもない。

 けれど、『彼女』の感情だけは、すこしだけ分かりたいと──知ってみたいと思えた。


「そうやって僕のことを突き離そうとしてます?」

「その心は?」

「このままだと僕に金拳で負けそうだから、勝ち逃げしたいとか」

「……」


 僕の言葉を聞いて黒子さんは言葉を失くしていた。

 図星だったのだろう。目を見れば分かる。……そう思っていたのだが、放たれた言葉は意外なものだった。


「ごめん。ぜんっぜん違う」

「え?」

「私ってそんなに性格悪く見える?そんな誤解されるようなことしたかなぁ……」


 嘆きつつ、記憶の中から原因となってしまった言動を思い出そうとしている黒子さんだが、思い当たる節は本当になかったようで、やがて思考することを放棄していた。

 僕は何か勘違いしてしまっていたらしい。

 金拳の性悪なファイトスタイルやキャラ選びからすれば、そう思われることも無理ないだろうに、と内心で思ったことは口にはしない。

 制限時間のある試合を時間ギリギリまで逃げ周り、HPの残量を参照し勝敗に反映する『判定勝ち』を平気で素人に使ってくるような人間の性格が歪んでいないはずがないだろうに。おそらくきっと、彼女は無意識にそうしてしまっているのだろう。

 だから言及はしないことにする。

 彼女が自分で自覚するべきだと、そう思ったから。

 案の定、自身ではそこまで思考が至らなかったようで、彼女は頭の上に疑問符を浮かべながら言った。


「どうしてそう思ったのかは分かんないけどさ。さっきの話は本当だからね。君はもっと他人と関わってみるといいよ。私みたいに臆病じゃなさそうだし」

「……考えてみます」


 ひとまず頷いておくことにするが、肯定の声には憂いがあった。

 それが彼女には鼻についたようで、疑念の視線が僕には向けられた。


「本当に?ちょっと渋ってない?」

「いや……そんなことは」


 大ありだ。渋るに決まっている。

 だって、他人との関わり方なんて僕は知らないし、どう距離を保てば友好な関係を維持できるのかも知らない。

 恐れているわけではないが、とかく僕には『他人との距離』というものが分からない。

 教えを乞えるのならそうしたい気持ちは山々だが、そんな他人に自らの弱みを見せるような真似は出来そうにない。

 僕の内心の憂いを感じ取ったのか、黒子さんは、ずい、と僕に近づいてきて顔を寄せた。


「ん~?正直に言ってみ?」

「……渋ってます」


 抵抗は無駄な気がした。

 僕が正直に内心を打ち明かすと、更に問いは重なることになる。


「どうして?」

「よく分からないから。他人との距離感とか、友達とか、そういうのが」


 拙くなった言葉で思いを告げると、黒子さんは僕から視線を逸らした。

 その顔には苦笑が貼り付いている。


「……どうしたんですか」

「いや。それは私もわかんないから。……ノーコメントで」


 この無職は、無職な上に中学生の相談にも満足なアドバイスひとつも返せないのか。

 脳裏を呆れが駆け抜けた。

 思わず、特大の溜息が肺の底から込み上げてきた。


「はぁ……」

「ちょっといま聞いた自分が馬鹿だったとか思わなかった!?」

「オモッテマセンケド」

「思ってる!その顔は絶対に思ってる!」


 詰め寄って来る黒子さんから、僕は目を逸らす。

 怒髪衝天した彼女の怒号はしばらく止まない。

 街を震わせる陽炎と、蒼天に聳え立つ積乱雲が網膜を焼く夏日。


 僕に向かって放たれる彼女の声と、鳴り止まない蝉時雨が煩い一日だった。

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