ライターと彼女の名前。

 昼下がり。

 その日も女性は、あのゲームセンターに居た。


「だあ、かあ、らあ!いちいち掴むなって言ってるだろぉぉぉ!おい、ちょっ、ハメるな!まじでやめろって!」


 相も変わらず筐体に向かって怒鳴りつけていて、二階フロアに彼女以外の人影は見受けられない。

 この爆音の空間のなかで、よくもまああそこまでの声を出せたものだと感心する一方。昨日、バス停で女性から掛けられた言葉を脳裏で反芻している自分がいる。


 ひとりぼっちなのか、と。


 問われて初めに浮かんだ感情は困惑ではなく、怒りだった。

 脊椎反射的に、無意識的に。いつかの母や僕を見る他人と姿を重ねてしまったのだろう。

 しかし怒気を露わにする暇などなしに、僕の怒りは腹の奥底に沈下していった。

 僕に孤独を問うたその時。


 嬉々としていたのだ、彼女は。


 本来ならば憐憫を向けられる以上にたちの悪いもののはずだ。だが、それが嘲笑とは別の何かであると気付いて、怒りなどそっちのけで混乱していた。

 彼女が僕に向けていた歓喜は、漂流の最中さなかにある遭難者が一隻の船を見つけ助けを求める時のそれによく似ていたような気がする。

 何故そんな視線を僕に向け、彼女が僕にそんなことを問うてきたのか。

 真相を探るいとまはないまま、次のバスが来て、女性はもう僕を手荒に引き留めるようなことはしてこなかった。

 おかげでその事ばかりが気がかりで、昨日はよく眠れなかった。


 女性に悟られぬように一〇〇〇円札をコインに替えて、コインゲームの椅子に腰かける。

 コインを投入する。

 ひと昔ほど前の、素朴なビット音が筐体から響いた。

 さして面白くもない、暇をつぶす為だけの簡素なゲーム。

 昨今のゲームに比べれば当然グラフィックは見劣りするし、システムも子供にだって出来るように調整されていて難度が低い。操作性もなければ、コツのようなものもなくて。ただただ確率と向き合うだけの時間が、淡々と流れていった。


 三十分ほど暇を潰せただろうか。

 思って辺りに耳を澄ますと、やけに二階フロアは静かだった。

 ——帰った……?

 年甲斐もなくコインゲームに熱中してしまっていたらしい。

 女性の悲鳴が聞こえなくなるほど集中してしまっていたようで、フロアに壁に掛けられたデジタル表示の時計を見ると一時間以上の時間が過ぎてしまっていた。

 ——しまった……!

 彼女には聞かなければいけないことがあった。

 昨日向けられた言葉と、感情の正体を聞き出さなければ、今日もまた眠れない夜を過ごしてしまうことになる。

 それだけはごめんこうむりたい。

 考えながらフロアを見回すが、女性の姿はやはりない。

 一階に降りる。休日だからか、人影は昨日よりも多く見て取れた。学生の団体を避けて通って、ぐるり、と店内を一周する。やっぱり女性はいない。

 もう帰ってしまったのだろう。

 彼女とて人間だ。銭のなる樹を隠し持っていない限り、軍資金だって底をつくこともあるだろう。

 出直そう。

 人気ひとけも増えてきたし、店を後にしようとする。自動ドアの前に立ち、携帯端末を立ち上げる。

 音楽再生アプリからプレイリストを呼び出して、あのバンドの曲をイヤホンに流した。


「ん。昨日の少年。いいとこに来たね」


 声は不意に聞こえてきた。

 視線を寄越すと、あの女性が入り口の前に腰を下ろしていた。口には煙草を咥えている。煙草にはしかし、火が付いていない。

 下ろしていた腰を持ち上げて、女性が迫って来た。


「君、ライター持ってない?」


 昨日も同じような台詞を言っていた気がする。


「またですか」

「昨日はお金だったでしょ。今日はライターが欲しいの。で、持ってるの?」

「中学生ですよ。僕。持ってるはずがないじゃないですか」

「じゃあどうしてこんな昼間に中学生がゲーセンになんか来てるのさ」


 けらけら笑いながら、やむなく煙草を箱に収める女性。

 昨日の一件もそうだが、この女性は自己管理能力と時間管理能力が低いのだろうか。

 ため息混じりに返す。


「休日。土曜日ですよ。今日」

「それで人が多いわけだ。大人になると日付の感覚なくなって参るね」


 大人だからこそ把握しておきべきでは、という嫌味は飲み込むことにする。

 代わりの嫌味を、昨日向けられた言葉の意趣返しのつもりで言った。


「お姉さんこそ、こんなところで一人で何してるんですか」

 

 言うと女性は目を丸くして、しばらく呆然としていた。

 これが愚問であることは重々承知しているつもりだ。

 それでも構わないと思えるほど、彼女が昨日僕に向けた言葉——僕のことを『孤独』呼ばわりするような物言い——が気に入らなくて、つい口が滑っていた。

 僕の愚問に対して女性は、


「ゲーセンに来てるんだからゲームしに来てるに決まってるでしょ。君。変なこと言うね。なんなら君もやる?『金拳13』。敵に金的きんてき入れられたら即死すんの。クソゲーだからおすすめだよ」

「格ゲーとして成立してるんですかそれ」


 肩を竦めて言うと、女性は腕を組んで悩んだ後で「エンジョイ勢しか楽しめないかもね」と笑っていた。ならば遠慮しておこう、と内心に固く誓った。

 そしてまた沈黙が落ちる。

 梅雨に珍しい晴天の所為で雨音なんて当然ないし、久方ぶりの晴天と言えど、こうも蒸し暑くては外ではしゃぐ子供の姿もない。

 女性がシャツの襟を仰ぐ。雪色の肌が、日に晒される。

 罪悪感と僅かばかりの背徳感が葛藤したが、無論、僕は目を逸らした。


「それで?今日はどうして私を探してたの」

「はい?」


 唐突な問い。

 図星だったし、話が早くて助かるが、何故彼女がそう感じたのかを理解できなかった。

 きっとこの時の僕は、自分でもどうかと思えるほど間抜けな顔をしていたのだろう。

 赤く厚い唇の端を持ち上げつつも、どこかあどけなく女性は笑って言う。


「だって君、私がゲーム終わるの待ってたでしょ」


 言われて、返す言葉がなかった。

 自意識過剰だと彼女を責めてみるのは簡単だが、僕と彼女は未だそれほど親密な関係にはない。

 だから、と我ながら馬鹿正直な返答を返してしまう。


「昨日のことが、気になって。……どうして僕がひとりぼっちだと思ったのか」


 言うと女性は目を見張って、やがていたずらな笑みを浮かべてくすくすと笑い始めた。

 何かおかしなことを口走ってしまっただろうかと不安になるが、女性はそんなこちらの気など知らずにいる。


「なんですか」


 問いかける。知らず、不貞腐ふてくされた子供のように唇が尖ってしまっていた。


「いや。君、あのこと気にしてたんだ。案外かわいいところあるじゃん」

「は?」


 僕が低く首を傾げると、女性は僕のことを指さしながら「そういうとこもね」と重ねて僕のことをからかってくる。

 彼女といるとどうも調子が狂ってしまう。

 ……とまぁそんなことはどうでもよいわけで。

 このままでは彼女は質問には答えてくれなさそうだ。催促してみることにする。


「質問に答えてくださいよ」

「ああ、そうだね。うん。いいよ——」


 言いながら女性は、ゲームセンターの中に足を踏み入れていった。


「——ただ、金拳で私に勝てたらね」


 ―――


「あちゃ~、筋はいいんだけどね。ガードしないと」


 筐体に備え付けの椅子の上で仰け反り身体を伸ばしながら女性が僕の立ち回りに小言を言っていた。

 反対の筐体から聞こえてきた声に僕が顔を覗かせると、女性も返すように身を乗り出してきて、


「これで私の二二勝。どうする?まだやる?」


 やけにしゃくに触れるニヤけた顔でそう言ってくる。

 愚問だ。

 筐体に積み上げた一〇〇円玉からひとつ小銭を投入する。と、共にコンテニュー画面からキャラ選択画面に移行し、対戦相手の女性の登録名『黒子』と僕の登録名『狼牙』が火花を散らして衝突した。

 僕は初戦から使い続けていた山賊風の容姿の速攻近接キャラを選ぶ。女性はヤクザ風の鈍足中距離キャラを選んできた。


「次こそ勝ってやる」


 二三戦目のゴングが鳴る。

 第一ラウンドは僕の惨敗。メンチを切られて手も足も出せず、スタン中に金的されて僕のキャラは派手に地球の外に吹っ飛んでいった。

 第二ラウンドは善戦したが、あと一歩のところで金的を入れられて、今度は僕のキャラは太陽系外にまで蹴飛ばされていった。

 画面に大きく表示させる『youlose……』の文字。

 これで二三敗。全敗だ。

 あったはずの小銭の山も気づけば跡形もなくなってしまっていて、僕は筐体の椅子を立ち上がって女性——もとい黒子さんの方に向かって歩く。

 筐体の椅子に座ったまま、黒子さんは大きいブイサインを手で作って僕に向けてきた。


「悪くはなかったよ、ロウガ君」

「それはどうも。……ていうか名前」

「本名知らないんだから仕方ないでしょ。あ、ちなみに私の黒子って名前は本名だからね。気軽に黒子お姉さんって呼んでくれていいよ」

「黒子さん」

「お姉さんは!?」


 僕が試しに名前だけを呼んでみると、黒子さんは椅子から身を乗り出しながら異を唱えた。本当は「お姉さん」と付けて呼ぶのが気恥ずかしかったからだが、そのことは気づかれていないようだった。

 黒子さんは不服そうに納得すると椅子に腰を下ろす。

 長い脚を組んで、僕のことを見上げながら言う。


「頑張ったご褒美に教えてあげよっか、どうして君のことをひとりぼっちだと思ったのか」


 唐突な提案。

 そんなことなら彼女に二〇〇〇と三〇〇円払えば教えてくれたのではないだろうか。そんな思考が脳裏を過ったことは内に秘めておく。

 悪くない話ではない。

 二三敗して理解したが黒子さんは恐らく手加減というものを知らないし、かなり熟練のプレイヤーだ。勝利するまでに幾ら費やすことになるか分からない。

 現実的な話をすれば彼女の提案を受け入れることが賢明な判断と言えたのだろうが、この時の僕は何故か冷静さを欠いていた。


「いや。いいです。ちゃんと勝って聞き出します」

「そっか。じゃ、明日もここで待ってるよ。いつでもおいで、相手になってあげるから」

「仕事とかないんですか」


 冷淡に言うと、黒子さんは少しだけ目を見張った。

 やがて目を伏せ、いつになく低い声で呟いた。


「うん。ないよ。私、今無職だし」

「無職って……」

「そんなことはどうでもいいの。ほら、さっさと帰りな。私は他人のゲーム代払うほどお人良しじゃないよ」

「言われなくても帰りますよ。じゃあまた明日」


 それから、僕と黒子さんの不可解な関係が始まった。


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