虚構聖女と魔導仕掛けの支配者
黒鋼
第1話 勇者は魔王を倒せない
勇者が魔王を倒すなんて話、おとぎ話だけのことだったみたい。罠にはまり、身動きの取れない私たちを眺めながら、魔王は不敵な笑みを浮かべていた。
「期待はずれだな。城に潜入して来たと聞いて、どれほどの強者かと思ったが」
彼は濡羽色の長い髪をかきあげ、ゆっくりと玉座から立ち上がる。
自分たちを見下ろす彼の金色の瞳は、冷静さと計算高さが同居していた。淡々と語る彼の口調にはあざけるような感情は見えないが、逆にそれが怖かった。
◇
私はフィオナ・シルヴァス。
聖堂教会に仕える神官見習いだ。この
私の国──ロガルド王国は、ここ何年か魔王の勢力と小競り合いを繰り返していた。
魔王城のある
とはいえ、私が勇者一行に加わったのは、人々を守るためなんて高尚な理由じゃない。単に自分の所属する修道院を維持するお金が足りないせいだった。
お金を稼ごうにも私は小さい頃から修道院付きの孤児院で過ごしたので、外の世界はあまり知らない。かといって成人しても神官見習いのままで自立できず修道院に居残った。食うには困らないからとだらだら過ごしてるところを「何とかして来い」と追い出されたわけだ。
つまり、私が勇者一行に志願したのは、純粋にお金がなかったからだ。育ててくれた恩を返すためなんて言うとカッコ良いかもしれないけど、私には他に稼ぐ手段がなかっただけだ。
私には確かに人並み外れた魔力がある。幼い頃から本を読むのが好きで、とりわけ魔術に関する本をよく読んでいた。普段から生活で使える魔術、いわゆる汎用魔術に関して興味を持ち、今では便利に使っている。
しかし、私には高位の複雑な術式は使いこなせない。ましてや、魔術で戦うなんてもってのほか。
素質はあっても使いこなせないだけの宝の持ちぐされ。役に立たない趣味が好きな普通じゃない変わった人間。これがみんなが抱く私への評価だ。
悪かったな! 社会不適合者で。
それに勇者の一行とはいっても、私の役目は勇者たちの荷物持ち兼補給役。ありあまる魔力を使った治療術式と非戦闘用の汎用術式を駆使することで、戦闘以外で勇者たちのサポートをする。それが私にできる唯一の役割だった。
実際の戦闘はほぼお任せであり、勇者一行について来てるだけの、言わば従者のようなものである。
「私だって騎士様や宮廷魔導士様みたいにカッコよくありたかったよ……」
活躍する仲間の姿を思い出し、私は心の中でため息をつく。出発に際しては恐れ多くも聖女の称号をもらい、神聖術を使うための聖印をもらってたけど、こんなものは私を戦地に送る口実でしかない。
……いけない。思考が脱線してしまった。
そんなわけでおそらく私以外はかなり優秀だった勇者一行は、魔獣の巣窟たる
◇
私たち勇者一行が、魔王城の謁見の間に足を踏み入れた瞬間、危機はいきなり訪れた。
床に複雑な模様が現れ、突如として金色の光が室内を満たす。続いて強力な結界が私たちの身を捕らえた。現代の魔術とは明らかに異なった
勇者たちも全員その場に倒れ伏し、動くことができない。身体に重くのしかかるような威圧感に、彼らの表情は驚きと恐怖で歪んでいる。
「人族の有する魔力量では、結界すら破れないか。わざわざオレが相手する必要もなかったな」
「くっ、なんて卑怯な……」
玉座を降りて悠然と歩いてくる魔王に向けて、悔しそうな表情を受かべる
そりゃそうだよね。
やっと辿り着いてこれから最終決戦とか言う時に、トラップとかどう考えても意地が悪すぎる。
謁見の間に入って、魔王が見えて、さあ最終決戦だって気合い入れた瞬間にやられてしまった。普通は魔王が何か仕掛けてくると思うじゃん。なんで入り口の床に仕込んでるんだよ。
「卑怯というが、いきなり王城に乗り込んで暗殺しに来るお前たちにそれをいう資格があるとでも?」
「それは貴様が人々を苦しめているからだ」
「そんなことはこちらとて同じだ。我らの領地に侵入し、罠にかかって被害者面とはな」
「くっ」
嘲笑う魔王に、悔しさに口を歪める勇者。
「オレを倒し、この国に住まう者たちを奴隷や家畜のように扱おうとでも思ったのか?」
「違う!」
相手の国からしたら、そりゃ特攻してくる勇者とか、山賊よりもはるかに性質が悪い存在だろう。しかも彼らは自分の利益ではなく、使命感で動いているのだ。だから損害を受けても歩みを止めたりはせず、自分の命すら顧みない。
短い間だが付き合ううちにわかったけど勇者たちはおそらくただの善人……というかお人よしだ。見知らぬ困った人の声を聞き、弱きを助けるという目的のため、命をかけて魔王城へとたどり着いた。
ただ、私は思う。
人の国の勇者というのは神に選ばれた特別な人ではなく、支配者にとって都合が良い仕組みなのだ。高い魔力を持つ人間を勇者として祭り上げ、その存在を軍事力として利用する。
誰かのためにと言いながら、誰かを死地へと駆り立てる。平和を願う人は、平和を願って祈りを捧げ、今日も暖かい場所で温かい食事をしながら暮らしている。もちろん、私たちが死んだら、とても悲しんで祈りを捧げてくれるだろう。
だが、それだけだ。
それに比べて、私たちはしばらくずっと固くもっさりした保存食。言っちゃいけないかもしれないけど、わりと酷いよね。
そして私の役割は、いざという時に勇者たちを無事に帰還させること。契約を果たすことで、仮に私が亡くなったとしても修道院には援助が続くことになっている。
自らお金を稼ぐ力のない私はこうして誰かに使われるだけ。ただのんびり暮らしたいだけなのに。いや、本音を言うと美味しいものは欲しいし、本はいっぱい読みたいけど。
「恨むなら自分の弱さを恨むがいい。力がないものはただ奪われるだけだ」
だから、魔王のその言葉に少しだけ、ほんの少しだけイラッとしてしまった。私には力がないから奪われるのだと、そう言われたようで。
力あるものが自由に奪って良い世界。
ある力が優れているという理由だけで、自分の思うままに他者を蹂躙する世界。そんな殺伐とした世界で搾取されながら生きるなんてまっぴらごめんだよ。
「ならば、私が相手をしましょう。魔王」
気づけば、私は魔王に向けてそんな台詞を言い放っていた。そして、勇者たちが倒れ伏す中、私だけが結界の影響を排して立ち上がる。
この身に受けて魔力を解析したからわかったが。この結界はいわば魔力の働きを極限まで抑制するためのもの。人は誰でも多かれ少なかれ魔力を持っており、その動きが完全に阻害されたら動けなくなる。
しかし、私は自分自身の有り余る魔力を常時放出し続けることによって力技で結界の力を相殺できる。まあ、魔力容量だけが私の唯一の長所だからね。
「ほう、おまえはこの結界の中でも動けるのだな。面白い。良いだろう。相手をしてやろう」
「しかし、一つだけお願いがあります。戦いへと臨む前に、私の仲間たちを安全な場所へと送り返して良いでしょうか?」
「そいつらを離せと?」
魔王は一瞬、眉をひそめてから、意外そうな口調で答えた。
「そうです。私としてもその方が全力で戦えますから」
もちろん嘘だ。私には戦いなんて向いてない。だから、私はバレませんようにと祈りながらも不敵に笑って見せた。
私にとって、彼らを帰還させるのは契約の取引条件に過ぎなかった。彼らと私は志も違う。たとえ一緒に戦っても、最後まで心を通じ合わせることはできなかったしね。
「全力の私と戦うのは自信がないですか?」
「ほう、言うじゃないか」
精一杯強がっていう私に、魔王は興味深げに見つめてきた。
「魔王も意外に臆病なんですね」
様子見している魔王を挑発するために、私はさらに不敵にそう言い放つ。口ではそう言いながらも、手が震えるのまでは止められない。
強大な魔力を有する魔王の威圧感が肌を通して私の心にプレッシャーをかけてくる。
できればやめたい。
できるなら今からでも家に帰ってゆっくり眠りたい。
「面白い。そうまで言うなら良いだろう。だが、契約はさせてもらうぞ」
「契約とは、一体……?」
「
魔王は冷ややかに笑って、私の目の前に魔法陣を展開した。紫の禍々しい雰囲気のそれはおそらく、呪いに関するものだと私の記憶の中から導き出した。
「そして、負けたものが勝ったものに従う」
魔王の声に、私の頬を冷たい汗が伝わっていく。魔王が示しているものは契約を利用した呪いの一種。自らの身に刻み、発動し続ける強制力を持ったもの。隙を見て私も逃げてしまおうと思ったが、これで私は逃れられない。
……けど、少なくとも彼らは無事に生き残るのなら旅の目的は果たせたのかな。
ふう、と私は一息をつく。
これを拒否して生き残る選択肢は、見つからなかった。
「わかりました。女神様に誓いましょう」
「俺も俺自身とこの地に誓おう」
契約が交わされると私の首には呪縛のような紫色の首輪がはまった。それは自分の魔力を吸い取って、力を発揮してるようだ。消耗は激しくないが、ほんの少しづつ体の魔力が流れていくのを感じる。
「あなたたちは戻っていてください。ここは私がなんとかします。あ、くれぐれも報酬はお忘れなきよう」
「待て──」
何かを言おうとした勇者たちの言葉を遮って、帰還魔法を発動する。これは教会から渡された緊急脱出用の術式であり、勇者一行は光へと変わりそのまま空へと消えていった。
「では、始めるか。名も知らぬ聖女よ」
「ええ、でも私は聖女ではありません。ただの神官見習いですよ」
「そんな化け物のような魔力量を有していてよく言う」
「失礼な! 化け物なんて乙女に向かっていうセリフじゃないですよ」
魔王と対峙しながら私は今できることを考える。
このまま負けて、奴隷のように扱われるのは冗談じゃない。
しかし、私は一つだけこの状況を打開できる方法を思いついてはいた。思いついてはいたが、実行するのはとても躊躇われるというか勇気のいることだった。
けれど、何一つ普通にできなかった自分が、これで何かを成せるとしたら、それに賭けるのは悪くはないのかもしれない。
私はそう思って、小さく祈りを捧げ始めた。
「我が命を糧に、全てを光の中へと誘わん」
「なっ、貴様……その禁術を使えば命を落とすことになるんだぞ」
「覚悟の上です。私だけでなく、もちろん貴方も道連れです」
私は目の前の魔王が私に向けたのと同じように、不敵に笑って見せた。自己の命を犠牲にすることにより、その命を燃や尽くして膨大な力に変える禁術。
それは戦いが不得意な私でも、唯一、魔王を倒せる可能性がある魔術だった。
死が怖くないといえば嘘になる。
けれど、このまま抵抗せずにやられるだけなんてのは嫌だった。
「貴様……」
先ほどまで余裕を湛えていた魔王の表情が、一変して硬さを増す。その反応を見て、私は心の中で小さくガッツポーズを取っていた。自分の人生で初めて、やってやったという気持ちになっていた。
──その日、影の森の都に広大な光の柱が立ち上がった。
魔王死す。
その訃報はやがてこの地域周辺に知れ渡ることになる。
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