ハンバーグをゆっくりと(ショートショート)

くりごと さと

前編

 妻の美紀みきが交通事故に遭ってから、宮城宏明みやぎひろあきの日常は大きく変わった。

 共働きの宮城家では家事や、息子の祐介の送り迎えは交代で行っていた。しかし美紀が入院したため、その負担が宏明一人にのしかかる。その上、大事なプレゼンも迫っている。しかし泣き言を言ってもいられない。

 宏明はこの日も仕事を早めに切り上げ、息子の祐介ゆうすけを迎えに保育園に向かった。

「あ、宮城さん、こんばんは」

 園舎に入ると、祐介のクラスを担当している秋山千佳あきやまちかに声をかけられた。

「こんばんは、秋山先生」

 秋山は少し心配そうに、宏明の顔を見つめる。

「宮城さん、お疲れみたいですね」

 どうやら疲れが顔に出ていたらしい。

「すみません、やっぱり家事と仕事の両立は難しいですね。祐介の方はどうでしたか」

「そうですね……」

 秋山は浮かない顔をする。

「何かありましたか?」

「いえ、大したことじゃないんですけど、祐介君ちょっと元気がないかな、と思って。朝のあいさつの声も小さかったですし」

 そうだっただろうか。朝の祐介の様子を思い浮かべようとしたが、上手くいかない。

「お母さんが入院して、心細いせいだと思うんですけど……できれば宮城さんも祐介君のこと、ちよっと注意して見てあげてください」

 秋山は祐介を呼んでくると言って、その場を離れて行った。

 宏明は自己嫌悪に襲われた。最近は祐介の送り迎えのため会社に残れないので、家でプレゼン用の資料を作ることが多く、ご飯もスーパーで買ってきた弁当や総菜を、祐介に一人で食べさせていたからだ。

 プレゼンは明日だ。それが終わったらちゃんと料理を作って、二人で晩御飯を食べよう。

 秋山に手を引かれてやってくる祐介を見て、宏明は誓った。


「今日は俺が晩御飯を作るぞ」

 翌日、無事にプレゼンを終えた宏明は、保育園から家に帰る車中で、機嫌よく祐介に話しかけた。

「え? お父さん料理できるの?」

 後部座席に座っていた祐介は意外そうな、そして不安そうな表情を見せる。

 たしかに宏明は料理が好きではない。家事は基本的に美紀と交代して行っていたが、料理だけは美紀に任せていた。しかし大学時代は一人暮らしで自炊をしていたのだから、何とかなるだろう。

「ああ、俺に任せとけ。何か食べたいものはあるか?」

 祐介は少しだけ悩むそぶりを見せ、そして顔を輝かせたと思うと「ハンバーグ!」と叫んだ。

 ハンバーグか。祐介の大好物だ。材料や作り方はスマホで調べれば大丈夫だろう。たぶん。

 スーパーでハンバーグの材料と、ついでにポテトサラダを買って家路につく。買い物中祐介はご機嫌よくアニメの主題歌を口ずさんでいた。最近あまり見なかった祐介の嬉しそうな様子に、宏明は安堵する。

 家に帰るとスマホでレシピサイトを見ながら、ハンバーグ作りに挑んだ。野菜を切る手はぎごちなく、ハンバーグの形もどこか不格好だったが、いざ焼き始めると肉と油のジューシーな香りがキッチンにあふれた。

 料理も悪くないな。

 そんなことを思いながらハンバーグを作り上げ、ポテトサラダやご飯といっしょに、リビングで待つ祐介のもとに運んだ。

「これ、お父さんが作ったの?」

 祐介は宏明とハンバーグを交互に見比べる。

「ああ、そうだ。じゃあ、俺はちょっと片付けをしてくるから、先に食べておいていいぞ」

 宏明は祐介のうれしそうな顔に気を良くした。キッチンに戻り、調理器具を洗っていると、リビングから祐介のむせる声が聞こえた。祐介は好物をかきこむクセがある。きっとハンバーグを慌てて口に運んで、むせたのだろう。

「ゆっくり食べろよ」

 宏明は洗い物をしながらリビングに声をかけた。返事は聞こえなかった。

 リビングに戻ると、祐介の皿からハンバーグは消えていた。

「あれ、もう食べたのか」

「う、うん、おいしかったから一気にたべちゃった」

 実をいうと、二人で一緒に食べたかったのだが仕方ない。宏明は自分が作ったハンバーグを口に運ぶ。肉汁が口の中にあふれる。細かく刻んで入れておいた玉ねぎやピーマンも、シャキシャキの食感が残っていて、予想以上に美味かった。

 事件が起こったのはその後のことだ。食器を洗い終えリビングにもどると、室内にはまだハンバーグのにおいが残っていた。においの元はどうやらごみ箱にあるようだ。嫌な予感を覚えながら、ごみ箱をあさる。口が縛られたスーパーのビニール袋があった。半分ほどかじられたハンバーグの影が、袋に映っていた。

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