『私の美しい姫』

 雑な縫合をした痛々しい銃創をガーゼと包帯で覆い、破ったシーツを上から巻いて固定する。仄暗く、何かが彷徨うような冷たい淫靡は、病棟のそれだ。巻きつけて結んだシーツの片端を噛み、傷が孕む熱を酷い目つきに灯したのは首席執政官バフォメットである。


「各地に残るメリル派を、まとめて国家反逆罪で処分できませんか?」


 虚ろな声をくぐもらせて、進言したのはミゼルである。バフォメットの手負いの悽愴とは異なる青ざめ方が、悲壮な影を色濃くする一方であった。


「首席執政官、あんたなら……殿下の支持者を皆殺しにする尤もらしい口実が作れるはずだ」

「殿下を処分して姫を即位させればいい」


 誰かの優しさに結ばれることのなかった布の端を口から離して、バフォメットは呟いた。傷の含む熱に幻惑でなく歪な未来を思い描きながら、笑いもしない。メリルの命とスカーレットの王位とを、舌先に弄ぶ。

 バフォメットは上着に傷を負った半身の腕を通した。マントを掴み、上がりきらない腕で肩の金具を留める。左胸と襟に咲く赤いブリザーブドフラワー、その花びらの縁に指を沿わせて、指が露出した手袋に包まれる手を流れるようにマントの襟へと這わせる。笑ったミゼルに対し、相変わらず面のような表情で、しかし軋る口元は悦びに震えている。


「姉妹の間に確執があったことにしておけば、姫が即位し殿下が始末される状況をおかしくないものにできます」


 言葉を結んだところで、ミゼルが片眉を上げ、バフォメットは立てたひと差し指をゆっくりと唇へ運んだ。ひとの気配がしたのだ。それも、気配を消す術を心得ていない人間の足取りだ。足裏が拾った響きを読んで、一秒のうちにミゼルとバフォメットはそれぞれの役割を決めた。ミゼルがベッドの間仕切りとなっているカーテンの端をつまむ。そのままカーテンの内側に忍び隠れる。バフォメットはいかにもこれから病室を出ようとしている風を装って、客人を待ち伏せる……



「……おや、バンス大司教。どうされました、こんなところまで?」


 気配の正体はバンスであった。退路を断たれた者の危機をひとの形にしたような、微塵も余裕がない顔をしていた。王位を主張したときとは別人のように覇気がしおれていた。


「首席執政官……私と手を組まないか?」


 挨拶もなしに、バンスは言った。


「手を組む? 詳しくお聞かせくださいますか?」


 バフォメットは何のことか分かっていない風情を拵えた。バンスに味方がいないことを察しての演技であった。恐らく教会での支持者はメリルから国賊とされることに怯えてバンスに追随しなかったのであろう。宮廷に後ろ盾のないバンスは、王位を主張したことで教会での権力基盤をも失ったに違いなかった。

 バンスは結託して行いたいことを言った。酷い形相は病みついていた。


「姪を……邪魔なメリルを殺す協力をしてほしい」

「ほう、殿下を始末する、と?」

「そうだ、悪い話じゃないはずだ。お前はスカーレットを王にしたいのだろう?」

「しかし……大司教は王位を主張されていたと記憶していますが……」

「私は大人しく……大司教でいるつもりだ。メリルが死んでくれさえすれば」

「…………殿下を始末する算段はあるのですか?」


 バフォメットは一言一句、噛むように問い返した。透かし見たことが、一つあった。バンスの案など受け入れる気は毛頭ないが、聞くそぶりを見せる。


「王家を潰そうとしている連中がいるだろう。私が、お前との結託を隠して反王家と手を組み、メリルを殺させる。反王家は公国とパイプを持っているから公国の重役たちに、君主になったばかりのグリノールズをメリル殺しの犯人に仕立てさせればいい」

「貴殿の発言には嘘と綻びが散見している」

「何だと」


 バフォメットは穏やかに、しかし鋭く指摘した。薄い刃が肉も骨も透かして心臓に差し込むような、研がれた激痛をバンスにもたらせる。


「〝大人しく大司教でいる〟ならば殿下を殺す必要はない。殿下をわたしに始末させ、スカーレット姫は自分で始末して王位につくつもりでは?」


 怯んだバンスをバフォメットは追撃した。


「それにグリノールズ公子は異母姉である公女ロックハーティアの側近を処分して全面的に殿下を支持している。同君連合の君主として殿下を支持する声明も発表されている。濡れ衣を着せるには無理がある。公国にはもう、殿下を殺したい者などいない。そして大司教も王族である以上、反王家と手が組めるわけがない」


 歯軋りしたバンスに、バフォメットは冷酷に呟いた。


「浅はかなお道化だ」


 言って、指先をぱちんと弾く。


「一つ、付け加えましょう。反王家はもう、存在していません」

「存在しない? どういう――!」


 バンスの左胸を貫いた短刀が、刃先をぬらりと血塗らせて突き出し、鈍い煌めきを暗がりに放った。

 バンスの血潮を斑に浴びて、バフォメットはこの世の終焉を告げるように言った。


「事変は成されている」


 心臓から生えたような悪意に青ざめたバンスは、首だけで後方を顧みる。背後から抱きしめるように、ミゼルが冷たい腕を音もなくバンスの身体に絡みつけて笑っていた。ミゼルはとどめだと言わんばかりにナイフを抜いた。


「反王家なら、皆殺したよ」

「馬鹿な……クロード少将……!?」

「首席執政官を見習えよ、権力の使い方がなってない」


 ミゼルは倒れたバンスを見下ろして、へらっと笑った。


「殿下を殺す話だって、嘘でもあったんだろ? 大司教、あんたはあわよくば……」


 ミゼルはしゃがんでバンスのそでの中を探った。隠されていたのは一本のナイフであった。


「中将の最大の後ろ盾である首席執政官を殺そうと思ってた、違うか?」


 目に白い膜が降りはじめているバンスに、バフォメットは暗い光を放つ展望を語った。


「貴殿はメリル殿下を弑逆奉ろうとしたとして国家反逆罪及び存続殺人未遂で死んでいただきます。姫に反する貴族がいれば、わたしの権限で国賊として処分します。家名は取り潰し、財産は没収、一族皆殺し……塵一つとして残しません」


 バンスはほとんど痙攣のようにこぼした。


「お、横暴だ」

「権力とは横暴を通すためにつかうもの。殺意というのは先に抱いたものが勝利する。即ち、此方の方が貴殿を消す算段が早くについていたということです」


 バフォメットはにべなく言葉を結んで、顎をしゃくった。ミゼルがバンスの身体を、バフォメットがつかっていたベッドに横たえて、シーツをかぶせる。


「中将の戴冠式の前に、舞台はしっかり掃除しとかないと」


 バンスは唇を動かすも、ついに静まり返る。



 病棟の外に出たミゼルが、ふと、気にしていたことを思い出したようにバフォメットを顧みた。


「首席執政官、あんたはどうして中将を王にしようと思ったんですか?」

「わたしが姫を愛しているゆえに。美しい、殺伐の強き薔薇姫こそ、この国の主人にふさわしいから――と、言っておきましょうか」


 バフォメットはあまり力の入らない片腕を気にしながら、呪詛のように仄暗く呟く。


「姫を傍から見届けたい、それが叶うなら何でもする……姫にはわたしの心を奪った罪を贖っても割らねばならないし、わたしは美しい姫の美しい未来を祝福する……それだけです」

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