『復讐に死す』

「まさかあの女――ハークネス中将が先帝の娘だったとは……我々は窮地に立たされた」


 翌日の朝早くに、次席執政官クロード率いる新興派閥の一団は、派閥会議と称して集まっていた。新興派閥――反王家勢力はスカーレットが王位継承の舞台に現れたことで危機に瀕していた。

 四年前の公国との戦争〝ベルリリーの乱〟と今回の公女暗殺企図の件で二度にわたり公女と組んだ首謀者が自分だと知れたら、クロードは破滅であった。

 反王家は確実に袋道へと追いやられていたのであった。仮にスカーレットが即位して、此方の公女との結託がばれてしまえば自分たちは派閥ごと処罰される。否、処罰では済まないであろう。自分を陥れたクロードたちなど、家柄もろとも、塵一つ残らない。

 しかしメリルについたところで、スカーレットとメリルのつながりが明らかになった今、結果は同じなのである。恐らくメリルは、クロードこそが姉を陥れた主犯だと知っている──公女が自害した裁判での台詞と、あのときクロードに向けられた視線を思い返せば、メリルが何も知らないわけがないことが正しい。あの儚げな王女は、証拠が揃うまで下手な発言を控えていただけで、メリルが即位してもクロードたちを待つのは粛清しかない。メリルについたらメリルの〝寵臣〟であるスカーレットを抹消することも不可能になる上に、姉を貶めたクロード一派をメリルが赦すはずがない。

 クロードは参加の貴族たちに提案した。


「殿下に我らの翻意は知られていると思って、先帝の弟バンス大司教を推すしか、今をしのぐ道はない」

「バンス大司教を即位させて我らの傀儡に仕立て上げることが最善だろう」

「公女の異母弟グリノールズがメリル殿下を全面的に支持しているから、公国はもうあてにできない。今のうちに大司教について、ハークネス中将を陥れた真相を王位継承戦争の諍いで揉み消す」


 派閥の仲間たちは頷いていた。


「大司教を即位させて政教一致した権力でメリル殿下を降嫁させる。そして中将と首席執政官を始末させるようにそそのかす……大司教にとって中将は王位継承を邪魔する目障りな姪。そして首席執政官は中将の後ろ盾であり大司教を支持しなかった敵だ。大司教を焚きつけて殺させ、その後我々による傀儡政権を作ることが得策だ。我々が生きる道はそれしかない」


 クロードの長子であり秘書を務める、クロード家の次期当主が父クロードの言葉に補足する。


「古い派閥の方から聞いたところ、幸いなことに先帝は元王妃の死後、娘であるハークネス中将も死亡したと虚偽の発表をして国民へのお披露目をやめ、生後間もないメリル殿下の誕生を発表。国民に披露して中将の血筋と存在を国民には隠しています。今が中将を始末するには頃合いかと思われます」


 何やら王宮の外が騒がしくなってきた気配を誰もが感じつつあった頃、扉が開いた。戸口に立っていたのはミゼルで、丸めた新聞を掴んでいる。ミゼルはいつもの優男めいた軽薄な表情で、父クロードの元へ進んだ。途中で、臨席していた近衛兵から何か受け取り、異母兄の怪訝そうな視線は意に介さず、父に報告でもあるような風情であった。


「おお、ミゼルか。よく来てくれた」


 クロードの長子が溜め息をついて目を伏せる。


「……呼んでいたのですか、父上?」

「そうだ。ミゼル、お前も座るがいい」


 正妻との息子に返事をして、クロードは庶子のミゼルに笑いかけた。だがミゼルは丁寧に会釈をしただけで、席にはつかなかった。

 クロードは傘下の貴族たちに向かって改めてミゼルを紹介した。ミゼルを政界に入れるつもりで、クロードは派閥の貴族たちにミゼルを認めさせるために呼びつけていたのである。皆の前でミゼルに政界入りを持ちかけ──断れないように。


「諸卿はご存知だろうが、改めて紹介しよう。我が息子、少将のミゼルだ。ミゼルには軍での立場を我が派閥で有益に利用するため、政治の道にも入ってもらおうと思っている」


 クロードは優しくミゼルを見据えた。今やクロードは秘書をしている長子よりも、ミゼルの方を気に入っているようであった。社交的な、父の知人と会うときにいつもミゼルが拵えている丁寧で品のいい口元の計算高さにも気づかぬ様子で、クロードはミゼルを政界へと誘った。


「ミゼル、この父の派閥に入るんだ。しかるべき役職は用意する、軍での力を宮廷でもふるってほしい。父はお前を歓迎する、自慢の息子よ」


 ミゼルは返事に代えて、近衛兵から受け取ったもの――録音機の内容を再生させた。


『殿下に我らの翻意は知られていると思って、先帝の弟バンス大司教を推すしか、今をしのぐ道はない』

『大司教を即位させて政教一致した権力でメリル殿下を降嫁させる。そして中将と首席執政官を始末させるようにそそのかす……大司教にとって中将は王位継承を邪魔する目障りな姪。そして首席執政官は中将の後ろ盾であり大司教を支持しなかった敵だ。大司教を焚きつけて殺させ、その後我々による傀儡政権を作ることが得策だ。我々が生きる道はそれしかない』


 ――ミゼルは再生をやめて、父クロードの顔を見た。クロードも異母兄も、傘下の貴族たちもミゼルの意図に不吉をみて沈黙する。それから持っていた新聞を、異母兄の卓上に放った。

 新聞は今朝の朝刊である。一面の見出しを読んだミゼルの異母兄はほとんど悲鳴のような声をあげた。


「〝スカーレット・ハークネス中将は先帝の失われた娘、王女だった〟――どういうことだ、何でこの情報が新聞に!?」

「朝のラジオでももう放送してます。昨日の夜のうちにオレが情報を流しました」

 悪意など欠片もない声で、ミゼルは事務連絡のように告げた。しかし唖然とする父親に銃口を向けたときのミゼルはすでに、憎悪に満ちた影を端正な顔に刷いている。

「ミゼル、何を血迷って」

「残念だよ、親父……あんたが、二回も中将を陥れた反王家の頭(かしら)だったなんて」


 狼狽する周りの人々に無言の圧を加えて、ミゼルは目を白黒させている父の憐れを見下ろした。父はミゼルに牙を剥かれるような心当たりがないようである。


「あの戦争で、オレは死んだ。殺したのはあんたたちだ」


 ミゼルの発言が自分の記憶と合致しないクロードは、ミゼルに説明を求めた。


「あの戦争で死んだだと? お前はベルリリーの乱には行っていないだろう、それに死んだなら何故今――」

「オレは四年前、志願してハークネス中将の下で戦ったんだよ」


 クロードは目を剥いた。


「志願だと!?」

「……首席執政官から、反王家の動きは十五年近く前からあったって聞いたよ」


 ミゼルは一言前置きをしてから、静かに息を吸い込んだ。クロード一派はもはや口を閉ざしていた。ミゼルは淡々と糾弾していく。


「ベルリリーの乱は公国の反帝国勢力と当時少々だったハークネス中将率いる連隊による、公式記録では最後の、帝国と公国の戦争――ってことになっているけど、それは違う」

「ベルリリーの乱は公女とその側近、それとあんたたち反王家が結託して中将を消すための陰謀だった」


 ミゼルはクロードに銃を突きつけたまま続ける。


「戦争で死んだことにすれば、軍人だから調べられることもない……どうせそんな理由だろ?」

「ミゼル、首席――あの悪魔に何を吹き込まれたのか知らないが」

「オレは本当のことを言ってる!」


 ミゼルは銃身でクロードのこめかみを殴った。椅子から転がり落ちたクロードを足蹴に、ミゼルは銃口を下げてその頭に狙いをつける。


「あんたたち反王家は中将を殺したかったんだ。ボーフォート王家の治世を終わらせるためには、才気あるメリル殿下を即位させたくなかった。メリル殿下の傍にいる実力者、殿下の寵愛と首席執政官の庇護っていう後ろ盾かある中将が親帝国の強硬派軍人としての立場を上げてきて、宮廷での影響力を持つようになることと〝メリル一世〟の大側近になることをあんたたちは恐れた。公国との利害が、そこで一致した。公国にとっても、中将は邪魔で危険な存在だった」


 ミゼルはクロードを見下ろしながらも派閥のものが逃げ出さないように睨みをきかせた。


「親父、あんたの息のかかった先代大将の命令で、中将とオレは反帝国軍に〝和平〟を持ちかけるように言われて従ったよ──でも待ってた反乱軍は公女とお前ら反王家の結託を知ってる連中で、中将を殺すために来た軍人だった。奴らにはオレたちが交渉のために丸腰で来ていることが伝わってた」


 ミゼルは逆棘のついた苦いものを飲むように声を軋らせた。


「部隊の仲間は壊滅した……そのあとすぐ先代大将が暗殺されて、出てきた遺書には〝ベルリリーの乱で反乱軍を皆殺しにしたのはハークネス少将〟――そう名指しする文章が残ってた。反乱軍そのものは公女が用意した捨て駒、先代大将の部隊は今じゃ名前を変えてのうのうと公国で暮らしてる……公国人になり変われば〝同胞の公国人〟を殺したとは疑われない」


 ミゼルは奥歯を噛んだ。


「あの戦が中将を消すための作戦だったと気づいたのは戦いの終わり……でも、いまはもう状況が違う」

「首席執政官から反王家勢力の存在を教えてもらって、親父がその頭だと分かって、中将が王女だと知った……お前らを叩き潰すなら、今ってわけだ」


 ミゼルは父を踏みつけたまま、傘下の貴族たちと異母兄を見渡した。誰も何も言わないのは、ミゼルが言ったことが真実であったからである。


「中将を二回も陥れたことも、くたばったとは言えお前らが公女と結託していたことは、オレ以外にも首席執政官、メリル殿下、ローランド大将……それにハークネス中将本人も知ってる」


 異母兄の手は腰の銃に伸びかけて、止まった。ミゼルは異母兄に目線を投げて、低く笑ってやった。姑息な真似をしそうな者には牽制の矢を放つ。


「もう口封じはできない。反王家が消えるのは時間の問題だ。殿下はお前らを粛清にかかるだろう……中将は王家の人間で、殿下の姉なんだ」


 床に這いつくばることを強いられたクロードは喚いた。自らが反王家の長であったと知れてしまったのはもう取り繕いようがなかったが、解せないことがあったのだ。


「ミゼル、ベルリリーの乱の帰還兵にお前の名は載っていなかった。志願だの死んだだの何を言ってる!?」


 ミゼルは硝子めいた冷たい瞳に、クロードの無様を映した。火を噴く前の焼灼された熱が、目の奥で蟠(わだかま)る。


「あの戦でオレは死んだ。オレは中将に救われた。中将を陥れた誰かを見つけるために、オレは自分が戦に参加した痕跡を消した――死亡記録を残さずに、真相を抱えて、いつか暴くために」


 ミゼルは自分が死亡していると訴えながらも、死因と死の状況は頑なに明かさなかった。涙の気配に潤んだ瞳が、炎を孕んでいた。


「オレは王家の秘術を施された」

「「王家の秘術――!?」」

「王位と共に存在を継承される、王と首席執政官――宮廷悪魔だけが共有する秘蹟〝再臨の花(ブリザード・ローズ)〟……尤も」

「ふざけたことを!」


 ミゼルが言い終える前に、異母兄が発砲した。ミゼルは身体をずらして急所は守りながらも、利き手ではない左手を弾丸の軌道へ乗せた。

 誰もがミゼルの正気を疑った。ミゼルの左手、手のひらを弾丸が破った。しぶいた血が滴り、踏まれていたクロードの顔にぱたぱたと落ちる。凍える温度の命の赤に人肌の温もり欠片もなく、クロードは青ざめる。息子が変わり果てていたことに、気付かされたのだ。


「ミゼル、この血の、氷のような、これではまるで――」

「尤も、首席執政官は中将に秘術の存在を明かしていて、先帝が死んだとき殿下にも話したそうだけど」


 液状の赤い氷。滴り脈打つ、死の矛盾。


「元々は王家に偉大王が現れたとき、いつか国に危機が起きたらその王が復活して国民を導くための保存術。四年前、戦死したオレに秘術で息を戻したんだ。先帝への施術は殿下が拒んだそうだけどな……皮肉だよ、戦で死んだ一兵卒が甦って、偉大だった王は土の下だなんて」


 ミゼルは死の雫が滴り落ちる左手をなおも終末の深遠で濡らしながら、指先を弾いた。


「公女の国家反逆罪だけじゃ暴けなかった、四年前の戦の陰謀──オレはお前らが中将を陥れた国家反逆罪の生き証人」


 ミゼルが指を鳴らしたことを合図に、ミゼル配下の部隊が室内になだれ込む。部下たちは反王家一派をぐるりと囲み、銃を構えている。

 皆殺しの用意は、ミゼルが現れたときからはじまっていたのだ。ミゼルは目の中の怨嗟を炎で縁取って、クロードを睨んだ。


「これ以上、オレの中将を汚す真似は赦さない」

「目的は復讐か、ミゼル!? これはクーデターだ、捕まるのはお前だぞ!」


 クロードの脅迫をミゼルは冷たく笑い飛ばしただけであった。


「オレは死人。死人の罪は裁けない――これからくたばるお前らにも口はない。それに」


 ミゼルは銃の引き金に置いた指に力を込めた。


「オレは今日中に、もう一度死ぬ。今度こそ永久に」

「やめろ!」


 クロードの片耳が放たれた弾丸に引き千切られた。血がだらだらとあふれる耳を押さえて、クロードは苦鳴をあげる。ミゼルはシャンデリアの光をかぶって逆光の闇の中で目を細めた。硝煙を吐く銃口は、次はクロードの頭をポイントしている。


「中将はお前らが私服を肥やしていた間、戦場を駆けずり回ってこの国を守ってた。何もかも捧げて!」


 ミゼルの部下たちが一斉に銃の引き金を絞った。弾雨が注いで、うずくまっていたクロード以外の全員が襤褸(ぼろ)切れのように肉片と散る。硝煙と腥風の渦の只中で、クロードに絶望以外の選択肢はなかった。

 ミゼルはいつもの軽薄な口調に戻って呟いている。


「残念だ」


 死の宣告を渡し、ミゼルはクロードの頭部を撃ち抜いた。頭の内側で炸裂した弾丸が、クロードの頭部を西瓜(すいか)のように弾けさせて、温かい脳漿を撒き散らす。ミゼルの左手からは未だ氷の血が滴っていた。

 父親の遺体から早々に身を翻し、ミゼルは腰につけていた手榴弾の安全装置を噛んで外した。部下を残したまま部屋を出て、後ろ手に手榴弾を放る。

 背後に轟いた爆音を黎明の歌のように聞きながら、ミゼルは将校服を塵にはためかせる。


「オレは復讐のために死ぬ――身に余る大義名分をあんたはくれた。感謝するよ」


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