『薔薇の帝国』

 夏、薔薇の季節。いつまでも鳴り止まない拍手のなかで佇み、連呼される自らの祝福された名と愛らしさを称える声に深々と腰を折っていた王女メリルはゆっくりと踵をめぐらせてバルコニーをあとにした。赤い絨毯が敷かれた足元を履き慣れない白いハイヒールで踏みながら、メリルの立志式を見届ける為に集まった貴族たちの元へ戻ると、国政に携わる者たちの中心で王衣を纏い王杓(おうしゃく)を持った君主、王にして皇帝を名乗る父の前に立つ。スカートをつまみ優雅に腰をかがめる礼をして、メリルは父王アルフレッド一世を仰いだ。薄化粧にほんのりと彩られた愛らしい貌(かんばせ)で父王の赤い瞳を見つめる。

 メリルは母である妃、メリルを産んだその日に他界した王妃ヴィヴィアンによく似ていた。黒髪赤目の父王とは全く異なり、ストロベリーブロンドに明るい金色の瞳を母から受け継いだ美少女であった。

 父王アルフレッドはメリルを優しく見据えた。戦王の綽名を持つ王も、五十代の後半という年齢の為か、今日の式典で久しぶりに会った姿に、メリルは衰えとは違う変化を垣間見る。


「小さかったメリルももう十六歳……月日がたつのは早いものだ。これからはこの国の王女として政治にも携わることとなる」

「勿体無きお言葉……今日のわたくしが在るのは父上のお力ゆえです、王女の名に恥じぬよう、貢献いたします」


 赤薔薇を国花とする〝薔薇の帝国(ガルデン・ローザリー)〟。メリルはそのボーフォート朝を掲げる皇帝であるアルフレッドの娘である。

 戦いで各国を併合・傘下の同君連合として国土を最大にしたアルフレッド王は自らを皇帝と改め、国に帝国の名を冠する繁栄の象徴たる君主として君臨している。国名の由来は、始祖が赤薔薇の化身と乾きの土地の領主との間に生まれ、不毛の地に薔薇をもたらせた王にちなんだ名称で、薔薇の血を引く支配王家が代わっても国名は受け継がれている。

 現在の王家、ボーフォート朝の統治は長く、薔薇の傍系も減っていくなかで安定した国力を保っている。

 戦王の政策で拡張された軍と、知識の粋を集めた議会は、歴史そのものが威容に鎧われていると例えることがふさわしい。

 ボーフォート朝が輩出した偉大王アルフレッドの権威に守られてきた王女メリルも立志式と共に外相就任が決まり、晴れて国政に携わる日を迎えた誕生日は祝福の声がやまない。

 パレードを控えた短い時間に、メリルは同盟国や同君連合国の君主・使節への挨拶をこなしながらも、側にいた将校服の軍人三人を顧みる。

 臙脂色のマントと勲章のついたジャケットに黒革のベルト、膝丈の黒軍靴は将校位を示す。軍帽を脇に抱えた将校たちはメリルに敬礼した。

 右から横一列に、大将、中将、少将と並ぶ姿は凛々しく、頼もしさがにじむ。大将と少将の腕章をつけているのは背の高い男性二人であったが、間に挟まれて立っていた中将は女性であった。スピーチの前にメリルの手を取って導いた女将校は一歩前に出て、メリルの誕生日を祝った。


「メリル殿下、お誕生日、誠におめでとうございます。外務大臣就任も、小官は殿下ならば当然と存じておりました。殿下こそ、この国の未来。美しき象徴としておつとめを果たされるお傍で小官も殿下を支え励みます」


 女性仕官が敬礼の手をすっと下ろすと、二人の将校も指先をぴたりと軍服の黒いズボンの折り目正しい線に沿わせた。

 メリルは女将校の前へ近づくと、白い手袋に包まれた肉の薄い両手を取って握りしめた。微笑んだ、女性にしては高い身長のきりりとした麗貌を見上げる。貴族的な気風と威厳ある美しい女将校は優しく、赤い目を細めてメリルを見る。

 触れた指先のぬくもりに重ね見た月日にメリルは感慨もひとしおで、脳裏に浮かんだ記憶の欠片に手を伸ばし、心の内にしまったのであった。


「堅苦しいことは仰らないで。わたくしを導いてくださった方こそ貴女なのだから……」


 メリルがはにかむと、女将校はメリルの小さな手をそっとほどいた。ルビーのような瞳に暖かい光をにじませたまま、深紅の長い髪を複雑に編みこんだ、赤薔薇の花冠を彷彿とさせるクラウンブレードの後れ毛を指先で払い、気さくな笑顔に表情を変えている。


「そうね……おめでとう、殿下」


 この赤髪美貌の中将はデネロス女伯爵、名をスカーレット・ハークネス。軍の女性仕官の先駆けであり、彼女のようになりたいと願う女性が軍人を志すほどの戦姫であった。

 メリルの寵臣でもあり、中将という立場を超えてメリルの傍にいることも多い女性だ。

 メリルはスカーレットの隣に立っている大将、少将にも声をかける。


「お二方にも感謝しています。貴方がたはこの国の血肉、これからも共に励んでいただけますね?」


 短い黒髪に鋭い目をした、毅然を絵にしたような帝国軍大将ダズマール・ローランドは力強く応える。


「無論です。我らはこの国の味方、陛下の力となり、ゆえに殿下をお支えしてこの国の肉体となることに使命を見出したのですから」

「……先輩、堅苦しいんだって。殿下がそう仰ってる」


 最後に、敬礼姿こそ軍人として様になっていたがほどけるようにあっさりと素に戻ってぼやいた少将のミゼル・クロードが軽口を叩いたせいで、顔を見合わせたメリルとスカーレットは笑った。

 ダズマールはミゼルのくしゃくしゃの金髪頭を小突く。ミゼルは大げさによろめいてみせると、芝居がかってふてくされた表情をつくる。


「殿下の御前だぞ! 役職名で呼べといつも言ってるはずだ、それと殿下に堅苦しい話が不要だといわれたのはスカーレットだけだ!」

「中将、真面目がうるさいんで注意してもらってもいいですか」

「お前が悪いぞ、ミゼル……殿下が呆れていらっしゃるわ」


 肩をすくめたスカーレットがメリルを見やると、メリルはすっかり苦笑している。スカーレットとダズマールは士官学校の同期で、ミゼルは二人の後輩として、長い付き合いなのである。スカーレットは昇進しても浮ついたところが抜けないミゼルの扱いに手慣れた口調であしらった。

 ――物々しい空気の集団が近づいてきたのはそのときだ。白髪を結った女が臣下たちを率いて、遅刻にも拘らず急ぐ素振りもない。

 今日の主役であるメリルよりも豪奢な白いドレスを着て、ゆっくりと歩いてくるのは同君連合国にして隣国の主であるエリク公爵、通称エリク公女ことロックハーティア・リリーネットである。帝国が約二十年ほど前に戦争をした国で、同君連合国のなかでは最も仲が悪い〝百合の国〟エリク公国の統治を帝国から任された形に貶められた王家の当主である。白い髪を高々と結い上げ宝飾を纏った、琥珀色の瞳というエリク公国の人間の色彩を持つが、ロックハーティアはれっきとした薔薇の系譜の人間でもある。

 皇帝、メリルの父アルフレッドが公国との戦後講和で、自らの支配下に公国を収める代わりに実姉を人質として降嫁させたことからはじまり、ロックハーティアは皇帝の姉を母に持つ、百合でありながら薔薇の血も汲む王族でもある。アルフレッドの姪であり、メリルとは従姉妹という続き柄だ。

 ロックハーティアはメリルの前で立ち止まると、黙ったままの口元を羽扇で隠しながら、メリルの愛らしい美貌を含み笑うような目で見つめて扇をぱちんと閉じた。


「ごきげんよう、メリル殿下」

「ごきげんよう、エリク公」


 メリルは大きな金色の瞳を瞬かせもしなかった。メリルの方は、この愛らしい王女にこのような冷たい目ができるのかと思わせるほど、金色(こんじき)の闇がこごったような、過ぎる豪奢をかえって卑しく思うような目線を返した。

 ロックハーティアは虫に仰がれる花のような気分なのか、メリルにはその一言のみであった。

 傍らの重臣に声をかけるが、メリルの耳にも届く声量で話す。


「叔父上に挨拶に行くわ。あたくし、殿下に用はないの」


 去っていくロックハーティアの背中を露骨に不快げに見送るミゼルに、メリルはすました顔でいった。


「あの方は父上に媚を売る為に来たのだわ」


 ダズマールとミゼルがメリルの涼しげな様子に反応に困って少しばかり言葉を選んでい傍で、スカーレットだけがメリルと同じような表情でロックハーティアなど意に介していないようであった。

 メリルは父王と言葉を交わすロックハーティアなど一顧だにせず、スカーレットに言った。


「ハークネス中将、パレードの随行をお願いしてもよろしいでしょうか?」

「勿論。小官がお傍に」


 メリルがスカーレットを伴って退出すると、ようやく息ができたような口調で、ミゼルが呟いた。


「はあ、敵いませんね。何処も女っつーのは」


 ダズマールは無言であったが、相槌が何も打てないことをミゼルへの同意に代えていたのであった。

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