第30話 南央の枷
文哉が緑茶を淹れて戻ると、東真は暗い表情のままではあったけれど落ち着いた呼吸を繰り返していた。
「ほい。それで、南央ちゃんが言っていたのはどういうこと?」
「ありがとうございます」
コップを受け取った東真は、緑茶を1口啜るとホッと頬を緩めた。文哉もそれを見て小さく笑みを零す。
「お母さんはある日突然職場で倒れて、搬送された病院で病気が見つかって余命半年と宣告されました。でもその前に、お母さんが忙しくてどうしても検診に行けないって話している電話を聞いてしまって。そのとき、南央は嫌な予感を感じていたみたいなんです」
「東真くんはそれに気が付いていたんだね」
「はい。僕はまだ南央の能力を知らなくて。だけど何かあるとは思いました。だけど南央に聞いても不安そうにはぐらかされてしまって」
東真が俯くと、文哉は腕を組んだ。そして苦し気に歪んだ南央の寝顔を見ると、その小さな丸い頭を柔らかく撫でた。南央の表情が幾分か緩んで、スース―と穏やかな寝息が響く。
「それまで信じてくれる人がいなかったのかもしれないよ。東真くんのことが大好きだから言えなかったのかもしれない。変な奴って嫌われるかもしれないって思ったらなかなか動けないものだしね」
文哉は南央を通してどこかを見ているかのような目で、自嘲気味に小さく笑った。
「僕はお母さんのお葬式の日にその話を南央から聞いて、悔しかったんです。僕は南央の気持ちにもお母さんの不調にも気が付けなかったから。だからこれからは、南央の予感を信じてあげようって、ちゃんと南央にもその気持ちを伝えたんです」
東真は震える拳を握った。文哉は一瞬目を伏せると、見上げた目には笑顔を浮かべて東真の頭を撫でた。
「お母さんが亡くなったのは南央のせいじゃないって、何度伝えても、伝わらなくて。何度も泣かせてしまって。南央は優しい子だから。いつも僕に謝るんです。ママを殺してごめんねって。だけど今日みたいにあたしのせいって泣くのは見たことがなくて、戸惑っちゃって」
東真は途中から何が言いたかったのか分からなくなって、最後には話すことを止めた。文哉はそんな東真に頷いてやると、肩を抱き寄せた。
「南央ちゃんも自分のせいじゃないって分かってきてるんだと思うよ。だけど自分を許しきれないんだと思う。俺もそういう気持ちは分からなくないからさ、ゆっくり付き合ってあげてとしか言えない」
文哉は東真の肩を緩く叩く。どこでどう育っても、自分のことを許せないときはある。それを正面から受け止めるか、十字架を背負うか、もしくは他人に押し付けるか。対応は違っても、誰しも通る道だった。
「東真くんの心が疲れちゃったら、そのときは俺が話を聞いてあげる。だから、南央ちゃんの心も壊れちゃわないように、一緒に傍にいて話を聞いてあげよう」
「僕はもう、誰も失いたくない」
文哉に頷いた東真はポロッと声を漏らした。目の前で2人の母を失った。父親なんていない。まだ小さい妹を失わないように、必死だった。東真は肩に触れる温もりに触れた。
「文哉さん、僕たちの傍にいてくれてありがとうございます」
周りはいつも、小さな妹ばかりを気に掛けた。そんな中で南央だけでなく東真にも寄り添ってくれた文哉は、東真にとっては希望の光そのものだった。
「俺は2人の親でも兄でもないけどさ、友達っていうより家族に近い意味で大事だと思ってるから。いつでも頼ってくれて構わないから。先に俺を救ってくれたのは東真くんと南央ちゃんなんだからさ」
あの日、2人がドアを叩かなければ死んでいたかもしれない。東真と南央は文哉の疲弊ばかりの冷たい日常に温かさを与えた。自分なんてを繰り返す日常を温めて、生きる意味を見つけた。
文哉は微笑むだけで自分の2人と出会ってからの変化を心の中に押し込めた。伝えることはない。自分だけが知っていて、2人のために生きて幸せを感じるだけ。
東真がふわりと笑って頷くと、文哉は満足げに笑う。そしてさっき端に寄せたアルバムの内、まだ開いていない1冊に視線を向けた。
「最後の1冊、見ても良い?」
「はい。僕も見たいです」
東真は深呼吸をしてから最後の1冊、東真の母のアルバムを机の上で開いた。1ページ目には生まれたての東真の写真が貼られている。メモはなく、写真だけ。次は公園で眠る東真や布団で眠っている東真、電車のおもちゃで遊ぶ東真の写真が続く。
1歳になる前の写真を見終えると、1歳の誕生日、2歳の誕生日、3歳の誕生日、4歳の誕生日。立て続けに4枚の写真が貼られていた。ケーキを前に笑う東真と東真の母親の笑顔は、お互いにぎこちない。
「誕生日だけは写真を撮っていたんだな」
「誕生日は、帰って来てくれたんですね」
東真は唇を噛んでまたページを捲る。4歳の誕生日の写真が貼られていた次のページには、2枚の写真が挟まれていた。東真が手に取った写真を文哉も覗き込む。
「こっちは5歳の誕生日か。そっちは?」
「これ、母さんと、あの人、ですよね?」
東真の手が震える。文哉は司に連絡を取ろうとして、司から届いていたメッセージに気が付いた。
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