第15話 準備の時間です


 翌朝、文哉は東真の作ったご飯をゆっくりと堪能した。緩んだ頬を隠すことなく、お味噌汁を啜る文哉に、東真は口元を緩めた。


 それから文哉が皿洗い、東真が洗濯をしている間に南央がゆっくりと着替えを済ませた。気分次第のこだわりの服選びには時間が掛かる。



「とーちゃん! 準備できた!」


「うん。今日も可愛いね」


「えへへ」



 洗濯を終えてベランダから戻ってきた東真に褒められた南央はニマニマと笑う。同じく皿洗いを終えてリビングに戻った文哉。その姿を目にした2人は天を仰いで胸を抑えた。いつもは短パンを履く南央は、先週司が帰り際にプレゼントしたふわりと広がる白いワンピースを着ていた。



「それじゃあ、文哉さん。僕たちは先に出かけますね」


「うん。鍵は掛けてくし、お皿も洗うから安心してね」


「ありがとうございます。お任せしますね。それと、今日後輩さんと会うんですよね? そのときにワンピースのお礼を伝えておいてもらえませんか?」


「分かった、伝えとく」



 文哉は一瞬ニヤケそうになった顔を引き締めて頷く。南央に手をグイグイと引かれて玄関に向かった東真を見送るために、文哉は1度箸を置く。



「それじゃあ、いってきますね」


「うん、いってらっしゃい」


「いってきます!」


「気をつけてな」



 文哉はブンブンと手を振る南央に緩く手を振り返しながら2人を見送った。それからベランダに向かって、振り返って勢いよく手を振る2人にもう一度ひらひらと手を振る。姿が完全に見えなくなったことを確認して、司と西雅にメッセージを送った。


 東真と南央が狙っている土曜朝市の特売。10時開店で先着百名に配られる特売シールを狙って早々と出かけて行った。11時からの卵のタイムセールで卵を2パック勝ち取って、それから30分かけて帰ってくるらしい。


 着替えを済ませた文哉が自室に隠しておいたパーティーグッズを大日向家に移動させていると、カンカンと階段を上がってくる音がした。振り返ると司がいた。



「司、おはよう」


「おはようございます」



 その手にはこんもり膨らんだエコバッグ。そこから今日使う予定の食材が覗いている。文哉がドアを開けて待つと、司はぺこりと頭を下げて先に中に入った。



「お邪魔します」


「はいよ、どうぞ。いらっしゃい」


「……確認ですけど、主任の家ではないんですよね?」


「まあ、正式にはな? でもここ1週間はここから出社して帰社してる。ご飯も3食用意してもらっちゃってるし」


「そういえば最近お弁当持ってきてますけど、あれ東真くんが作ってたんですね」



 リビングに通された司は、呆れ顔で文哉を振り向いた。文哉はへらりと笑って受け流す。司は小さくため息を吐いたが、キッチンを見ると目を輝かせた。



「ちゃんと料理をする人のキッチンですね。必要なものは全て揃っています。だけど無駄が一切ありません。必要最低限のものがコンパクトに詰め込まれた、お手本のようなキッチンですよ」



 息を荒くして力説する司に文哉は苦笑いを浮かべた。



「じゃあ、制限時間2時間で頼むぞ」


「はい、任せてください!」



 エコバックから家で作ってきた料理が入ったタッパーを取り出して冷蔵庫に入れた。なるべく中を見ないよう、目を細めながら入れる司に文哉は首を傾げたが何も聞きはしなかった。


 タッパーを仕舞い終わると、今度は野菜をガサッと取り出した。そしてそれを作業台に並べると、次々と切り始める。文哉はそれを見届けてから自分の作業に戻ろうとした。


 キンコーン


 そのときチャイムが鳴った。文哉は玄関に向かってドアスコープを覗くと、ガチャリと鍵を開けた。



「お邪魔しますっす!」


「西雅くん、いらっしゃい」



 先週、大日向家にお邪魔した西雅は今日の誕生日会に招待された。ちょうど部活が休みだからと、西雅も準備に参加することが決まった。


 リビングに通された西雅は、メッセージ上でしか話したことがない司と顔を合わせるとペコリと一礼した。司も包丁を軽快に動かしていた手を止めて頭を下げた。



「はじめまして、海善寺司です」


「オレは塩川西雅っす。なんか、メッセージで話してたから初対面って感じがしないっすけど、やっぱちょっと緊張はするっすね」


「そうですね」



 2人の会話に文哉は吹き出すのを堪えながらも、震えてしまう肩を隠すことができない。それに気が付いた司は怪訝な顔で文哉にジトッとした視線を送った。



「どうしましたか?」


「いや、なんか、悪い。ふはっ、そのさ、司の方が年下に見えちゃってさ。言葉遣いもそうだし、砕け具合って言うのかな。凄い不思議なんだけど面白くって」



 もう笑いを隠さない文哉。西雅はそれを聞くと一緒になって笑い出した。司はそんな2人を前に眉を顰めながらも口元は緩く上がっている。


 笑いが収まってくると、文哉と西雅はほとんど同時に目元を拭った。それを見て、今度は司が小さく笑みを零した。その姿ですら丁寧さと優雅さを崩さない司に、西雅は瞳に影を落とした。



「あの、司さんってどうしてそんなに丁寧な言葉遣いとか所作とか、できるんすか? オレ、直そうと思っても全然治らないんすよ」



 西雅の遠慮がちな目と声に、司は一瞬だけ目を見開いた。けれどすぐにふっと表情を緩めて西雅に向き直った。文哉はその姿を窺うように見ていたけれど、司の柔らかい表情に小さく息を吐いて部屋の飾りつけに向かった。


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