第12話 西のサッカー少年


 東真は試験を受け終えると、時計をチラリと確認しながら靴を履き替えた。スマホには一時間前に文哉から帰宅を告げるメッセージが届いていた。



「あれ、東真さん?」


「西雅くん。部活終わりかな?」



 誰よりも早く昇降口を出た。けれど委員会で仲良くなった後輩、塩川しおかわ西雅さいがに声を掛けられて足を止めた。高校の紺色のジャージを身に纏った西雅は、首から掛けたタオルで汗を拭う。手には水筒が握られている。



「はい。今ちょうど終わったんです。東真さんは試験っすか?」


「うん。あ、そうだ。今日うち寄ってく?」


「良いっすか? 母さん帰り遅いんで助かります」



 西雅はパッと表情を緩めると、水道水を満水まで水筒に汲んだ。それから蛇口を上向きにして直接飲むと、タオルで雑に口元を拭った。



「正門で待ってるね」


「はい、急いで帰る準備してきます」



 言うや否や、西雅はグラウンドに走り出す。東真はそれを見送ると、ぼんやりと後片付けを進めるサッカー部員を眺めていた。しばらくしてハッとすると、頭を軽く横に振ってため息を吐く。そしてゆっくり正門に向かった。


 正門で待ちながら、そういえばと文哉にメッセージを送った。



『今日は友人を連れて帰ります』


『夕食を一緒に食べるのか?』


『いえ、夕食を持たせるので、その間家に上げるだけです』


『なるほど?』



 文哉からの疑問符付きの返信に東真がクスリと笑ったとき、後ろから肩を叩かれた。振り向くと、



「すみません、お待たせしました」



 ブレザーに着替えた西雅は、髪は乱れているが息は切らしていない。サッカーボールのふくらみが隠せていない、いつもの擦れたリュックを背負ってニカッと太陽のように笑った。



「大丈夫だよ。行こうか」



 二人は並んで歩く。南央の話、西雅の部活の話。途切れることなく話をしていると、あっという間に【ニューストーリー】に到着した。



「ただいま」


「お邪魔します!」



 東真と西雅が玄関から声を掛けると、部屋の中から南央がトタトタと走ってきた。



「とーちゃんおかえり! さいがくんだ! いらっしゃいませ!」


「はい、お邪魔するっすね!」



 西雅は南央に手を引かれるまま部屋に入って行った。そしてローテーブルで座っていた文哉を見て、一瞬固まった。



「おわぁっ! え、えっと、おじ、お兄さん。どちら様っすか?」


「一瞬おじさんって言ったな」



 文哉は一瞬の硬直の後に状況を理解してあたふたし始めた西雅を前に、ゲラゲラと笑い転げた。南央もつられてケラケラと笑ってしまって、西雅は目の前の見知らぬ男を前に目をパチクリさせていた。



「悪いな。俺は隣に住んでる新張文哉だ。最近東真くんに夕食をごちそうになってるダメな大人の代表例だ。よろしく」


「えっと、塩川西雅っす。東真さんとは委員会が一緒でお世話になってて、親の帰りが遅い日とかに東真さんに夕食を作ってもらったりしてるっす。あ、もちろんお金は払ってるっすよ? タダより怖いものはないっすから」



 何はともあれ自己紹介をした2人を見守りながら手洗いを済ませた東真は、早速冷凍庫から肉を取り出す。レンジで解凍している間にお湯を沸かして、それから炊飯器にお米をセットした。



「すぐに作るので、南央のことお願いします」


「分かった」


「了解っす。南央ちゃん、何したいっすか?」


「おままごと! あたしがお姉ちゃんで、文ちゃんが弟で、さいがくんがワンちゃんね」


「分かった、お姉ちゃん」


「ワン!」



 南央の希望でリビングではおままごとが始まった。お姉ちゃんが一生懸命ご飯を作って、弟はそれを食べて褒めちぎる。犬はただ、ワンと鳴いた。


 東真はそれを複雑な表情で見つめながら、手元は着々と生姜焼きと味噌汁の調理を進めていた。焼き上がった味付き肉と千切りキャベツ、茹でた野菜。それぞれ半分はタッパーに詰めて、野菜の上には和出汁と味噌を載せてから手提げ袋に入れた。



「よし。西雅くん、できたよ」



 呼ばれた西雅はキッチンに向かう。そして手提げ袋を受け取るとペコリと頭を下げた。



「ワン! じゃねぇや。ありがとうございます」


「いえいえ。南央の相手してくれてありがとうね」


「大丈夫っすよ。オレ今日はワンしか言ってないんで」



 ニヒヒ、と笑った西雅はタッパーの中身を覗き込んで目を輝かせる。その顔を見て東真の表情は綻んだ。



「味噌汁はいつも通りお湯を注げば完成だからね」


「はい、本当に、いつもありがとうございます」


「いえいえ。境遇も似てるし、力になれることは力になりたいから」



 東真の言葉に西雅は真剣な面持ちでコクリと頷いて、拳を握って見せた。



「オレも東真さんの力になりたいんで、なんでも言ってくださいね」


「ありがとう。あ、そうだ。今度一緒に公園に行こうよ。南央を遊ばせてあげたいし、僕もサッカーを教わってみたいからさ」


「もちろん良いっすよ! 来週は無理っすけど、再来週の日曜なら部活が休みなんで行けますよ!」



 そう言いながら西雅はチラリと南央の方を見た。南央が大きく頷いて返すのを見た東真は首を傾げたけれど、深く聞くことはなく頷いた。



「それじゃあ、再来週の日曜日。よろしくね」


「はい!」



 元気よく返事をした西雅は、1度リビングに戻って南央に手を差し出した。



「南央ちゃん、遊んでくれてありがとうね。今日はもう帰るけど、また来るからね」


「うん! またね!」



 南央は西雅の手にハイタッチすると満面の笑みで手を振った。



「文哉さんも、ありがとうございました」


「いえいえ。また一緒に遊ぼうね」



 文哉も軽く手を振ると、西雅はニッと笑った。そして一礼して玄関に向かう。玄関に置いておいたリュックを背負う西雅を見送りに東真が玄関に向かおうとした瞬間、その隣をトタトタと駆け抜ける影があった。



「さいがくん! 今帰っちゃだめ!」



 さっきまでとは打って変わって、必死の形相で西雅の足にしがみつく南央。その姿に西雅だけでなく文哉も目を見開いて固まってしまった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る