第5話 迷いとお風呂


 夕食を食べ終わって、文哉は皿洗いをした。これまでは東真がやっていたけれど、文哉も全てやってもらうことに抵抗はあった。良い機会だと、今日からは自分がやると東真を説得した。



「お皿洗いはこれからも俺がやるからな。それと、明日は朝早く南央ちゃんを迎えに来るから。東真くんはテスト受けておいで」


「はい。ありがとうございます」



 いつも通り玄関で東真と文哉は翌日の予定を確認する。それを終えて自室に帰ろうとする文哉の腕を南央が引いた。



「文ちゃん、今日お泊りしよ!」


「えぇ?」



 文哉は驚きながらも姿勢を低くして南央と視線を合わせた。南央は期待の籠った瞳で文哉を見つめる。



「南央、文哉さんは今日お仕事頑張ってきたんだよ? 明日一緒にいられるんだから、今日はもうバイバイしようね」



 同じくしゃがみ込んだ東真が南央の肩に手を置いて諭すけれど、南央は文哉から手を離さない。頬を膨らませて東真を見つめる南央に東真は困ったように眉を下げるが、文哉は口元を緩めた。



「東真くん、泊まっていっても良いかな?」


「え、いやでも……」



 文哉の提案に東真は目を見開く。視線がふらふらと揺らいで、それからもう1度文哉に焦点が合わせられた。



「お疲れじゃないですか?」


「うん、だからさ。東真くんは俺をとんでもないおじさんだと思ってるのかな?」



 文哉は肩を竦めるとカラカラと笑い出す。東真が頬を掻きながら文哉の顔色を窺う。自分に向けられた視線に自らのそれを絡めると、ニッといたずらっぽく笑った。



「大丈夫だよ。俺も南央ちゃんといれば癒されるし。それに泊まった方が朝準備をする時間の分寝ていられるから逆にゆっくりできるじゃん? あ、でも東真くんの朝の準備の邪魔になっちゃうかな?」


「いえ。とてもありがたいです。いつも休日は南央もゆっくり寝かせているんです。朝食を用意しておくので、8時くらいに起こしてあげてもらえますか?」


「分かった。俺もいつもそれくらいに起きるから大丈夫」



 文哉の言葉と柔らかい笑みに東真はホッと肩の力が抜けた。それを見て文哉もこっそりホッと息を吐いた。



「ありがとうございます」


「こちらこそありがとう。よし、南央ちゃん、今日はお泊りだ! あ、お風呂も一緒に入っちゃう?」


「入るぅ!」



 文哉の提案に、南央はぱあっと笑顔を輝かせた。東真もそわそわとはにかみながらその丸い頭を柔らかく撫でた。



「それじゃあお風呂の準備してきますね」


「ありがとう。南央ちゃん、お風呂の準備始めようか?」


「うん!」



 文哉は南央がトタトタとリビングに駆けていくのを追いかける。2人を見送った東真は玄関のすぐ脇にあるお風呂場に向かった。いつも通りドアを開けてリビングの音を聞きながら洗剤を取って浴槽に吹きかける。



「東真くん」


「はい、どうしましたか?」



 背後から声を掛けられて、東真は手を止めて洗剤を持ったまま振り返る。それを見て文哉は顔の前で手を合わせた。



「ごめんね、続けて良いよ」


「すみません」



 文哉の言葉に甘えて、東真は洗剤をドアの取っ手に引っ掛ける。次にスポンジで浴槽を擦り洗いし始めた。文哉はそれを真剣な顔でジッと見ていたけれど、東真がシャワーを手にしたところでようやく口を開いた。



「俺はちょっと部屋から服取ってくるね。すぐ戻るから」


「分かりました」



 文哉が去っていく後ろ姿を、東真はお風呂場から顔を覗かせて見送った。それだけの話をどうしてすぐに話さなかったのか。首を傾げたけれど、またすぐに掃除に戻った。


 浴槽にお湯を溜め始めた東真がリビングに戻ると、南央はいつになく準備万端な状態で座っていた。お風呂はあまり好きではなくて5年前に東真が一緒に暮らし始めたころには逃げ出すほどだった。



「南央、楽しみ?」


「うん! あたし、文ちゃん大好き!」


「そっか」



 東真は複雑な表情で微笑む。南央はそれに気が付くとこてりと首を傾げた。東真はそれに静かに首を横に振って返す。そのまま南央の前に腰かけると、南央の両手を取った。



「南央。僕も文哉さんが大好きだよ。だけどね、文哉さんは大人の人だから。とっても忙しいんだよ。だから文哉さんにお願いごとをしても、文哉さんがごめんねってしたら分かってあげてね」



 東真の言葉に、南央の表情が少しずつ曇る。



「うん、分かった」



 俯きながらも返事をしてくれた南央の頭を撫でる東真の表情も晴れない。



「ただいま」



 2人の間に流れる微妙な空気を打ち壊すように文哉の明るい声が響く。リビングの入り口に立っていた文哉は2人の顔を交互に見るとなんでもない顔でニッと笑った。



「そろそろお風呂が沸いたみたいだよ?」


「はぁい!」



 南央は曇った表情が嘘だったかのような明るい笑顔で文哉に飛びついた。東真はそれを見て一瞬顔を伏せると、いつもの穏やかな笑顔で微笑んで見せた。



「南央、あんまりはしゃいでのぼせないように気を付けてね」


「うん! 文ちゃん行こ!」


「おー!」



 文哉は南央を抱き上げてお風呂場に向かう。2人を見送った東真は眉を下げると、薄っすら膜が張った瞳を拭って小さくため息を零した。


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