プラスティックな夜には

かみいゆう

第1話 中庭

 学食で胃袋が満たされた昼下がり、その鳴き声は耳に心地よく響いた。

 大空を旋回せんかいする鳥というのは意外に多く、遠目にはその正体は判らない。


 春の空はぬけるように青く、柔らかい。何度も輪を描いた鳥は、笛のような声で短く鳴き、やがて校舎の陰に隠れた。

 オレは薄く開けた目を閉じ、風に乗る温かな芝生の匂いに抱かれて、束の間の眠りに落ちていく。


「なぁ梨九りく、聞いてる?」


 隣りで寝そべっていたシュウがいつのまにか身体を起こし、オレの顔を覗き込んでいる。 


 背後から太陽の光が燦々さんさんと降り注ぎ、眩しさに手をかざすとそれは指の隙間からキラキラとこぼれ落ちた。


 寝ぼけ声で生返事をし、芝生から身体を引き剥がすように起き上る。中庭の真ん中ではあいかわらず生徒たちがボールを投げ合ったり、楽しそうに笑い転げている。


「なぁ梨九、飛行機乗ったことある?」


 シュウは、芝生を引きちぎっては空に投げつける。目線の先には、音楽科の生徒たちが行き交う音楽学科の校舎があった。


 その一階建ての細長い校舎は、四階建ての本館の端から真っ直ぐに伸びている。本館が大きなダンボール箱だとすると、その棟は何個も繋ぎ合わせたカステラの箱のようだ。


 そしてどういう理由があってか、この五メートルほどの高さの棟の屋上には、その昔戦争で実際に使われたと噂される、本物の飛行機が一機、どっしりと鎮座ちんざしているのだった。

 カステラの箱を滑走路に見立てれば、離陸する直前で止まっているような恰好だ。


「一回だけあるわ。国内やけど」


「旅客機やろ」


「当たり前や」


 飛行機は初めて来校する人の目を引いた。しかしこの学校に通って二年目ともなると、それはもう風景の一部だ。 

 シュウは何度も見慣れたはずのその無防備な機体をじっと眺めながら言った。


「なぁ、あれってやっぱ、本物なんやろ?」


 一人乗りの小型プロペラ機は、かつて航空科の教材として使われていたらしい。

 そのエピソードも、オレたちデザイン科の担任である山上やまがみが何かのついでに話し始めて知っただけで、その経緯をちゃんと説明できる先生がどれだけこの学校の中にいるのかも、怪しいところだ。


 シュウがそんなふうに考えるのも、このプロペラ機が実際の戦争で使われたと、まことしやかに噂する連中が少なからず存在するからだった。


「本物のわけないやろ」


「何で?」


「本物があんな色してたら、離陸りりくして三秒で撃ち落とされる」


 確かに紛れもない鉄の塊で作られたそれは、間近で見ると結構な迫力がある。

 おそらく当時の戦闘機を模した機体だろうが、丸みを帯びたそのフォルムが真っ黄色では、逆に可愛らしくも見える。


 ぽーんと弾かれたカラーボールがシュウの足もとに転がってきた。大きく手を振っている男子生徒に向かって、座ったままボールを投げつける。ボールは近くにいた女子の肩に当たり、あさっての方に飛んで行く。

 シュウは悪そうに笑って、ゴメンと手でポーズを作った。


「どこまで話したっけ? あ、ほや。いや、ほやからな、あんな色って言うけど、雨に打たれて錆びたりもするし、たまーに塗り替えてるんやろ?」


「アホか。もし本物やったら、あんな屋根もない、雨ざらしんとこにほったらかさんやろ」


「ほうかぁ。ほれもほうやなぁ……」


「色を塗り替えるなんてもってのほかや。たぶん値が付けられん程の価値やし」


「ほんなにするんや?」


「ったりめーやろ。最初っから博物館行きや」


 その説明にやっと納得したのか、シュウは力尽きたように、また芝生の上に寝転がった。


「ほうかぁ。やっぱ偽もんかぁ……」




 予鈴よれいが鳴り、中庭で走り回っていた生徒たちが校舎に戻りはじめた。それに合わせてオレたちも腰を上げ、身体にまとわりついた芝生を手で払う。


 黄色に少ししゅを垂らしたようなその機体色は、今日みたいな青空に良く映える。その呑気な様は、戦争とは程遠く平和そのものだ。


「こんなん、スヌーピーが乗るやつやろ」


 オレがふざけて言うと、シュウは、確かにな、と認めて短く笑った。


「こういうゴーグルのついたパイロットキャップかぶってな」


「あの耳当ての付いたやつか?」


「ほやほや。ほんで、こんなふうな赤いスカーフ首に巻いて」


 身振り手振りで真似をすると、シュウはうんうんと頷いて話に乗ってきた。


「ほんであの、リスみたいな黄色い奴も隣にいたりしてな」


「リス?」


 オレが急に驚いた声を上げると、シュウは一瞬困ったような顔をして、その棟の開け放たれたガラス扉から中に入った。


 廊下の左手に一直線に続く窓からは、昼寝をしていた中庭が見える。右手には個人用のレッスン室が並び、さらに音楽室と音楽科の教室があった。

 先を行くシュウの隣に並び、その顔を覗くと、何事も無かったようにすましている。


「リス?」


 オレはもう一度同じように驚いてみせた。するとシュウは待ち構えてたかの様に早口でまくし立てた。


「あぁ、リスやリス。えっ、何や、お前知らんかったんや?」


「おぉ、知らんかった。あれ、リスやったんや?」


「おぉ、ほうや。今頃知ったんか?」


「おぉ、ほんなら、あれなんちゅう名前なんや?」


「あぁ、あれはやな、え〜っと……」


 オレは黙ったまましばらく答えを待ったが、あれ、とか、ほら、と繰り返すばかりだ。


「お前、やっぱ知らんのやろ?」


「知ってるわ」


「じゃあ何て言うんか言ってみろや」


「ちょっと待てや。今ここまで出かかってるんやで」


 シュウは指先を水平に喉元に当てる仕草で、急かそうとするオレを制した。

 疑いの視線を受け止めながらも、さらにわざとらしく考えるふりをする。そしてしばらくすると、ピンときたというふうに顔を輝かせた。


「ほうや! あれは確かチャーリー……」


「おいおい、それはチャーリーブラウンて男の子の名前やろ?」


 すかさず遮ると、シュウは何故か前を見据え、薄笑いを浮かべている。


「ほうやった。ちょうど今、前から来たわ」

 

 オレはその視線をたどり、その先を見た。

 すると前から歩いて来たのは、禿げ上がった頭の前頭部に無人島のような前髪を残した英語教師の小嶋こじまだった。

 小嶋はオレたちの後ろをダラダラ歩く生徒たちに向け、大声で怒鳴り始めた。


「おまえら、急げよー。もう授業始まってまうやろー」


 小嶋とすれ違いざま、シュウが小声でつぶやく。


「ハロー、チャーリー」


 思わず吹き出すと、シュウは俯いたまま笑いを噛み殺し、速歩きをはじめた。


「待てやシュウ!」


 オレたちははしゃぎながら、自分たちの教室まで走った。

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