5 大船だよ☆全員集合

 部活を引退したはずの三元さんげん緊急招集きんきゅうしょうしゅうを受けて、これまた引退したはずのシャモに落研メンバーは大船おおふな駅に集合した。


〔餌〕「あああっ。三元さんげんさん買い食いはダメですよ。食事制限続行中ですよね」

〔三〕「この間の検査の数字でほめられたから、自分へのごほうび♡」

 どこぞの女子的な思考回路の三元さんげんは、大船おおふな名物の駅弁を三種類も買い込むとじゅるりと舌なめずりをする。


〔シ〕「今から俺たちはこき使われるんだぞ。どこでその駅弁を食うんだよ」

〔三〕「松田君の楽屋で。一個は松田君への差し入れだし」

〔シ〕「へっ? どう言う事」

 シャモの言に、三元さんげんは無言で駅構内のポスターを指さした。


【出演予定者急病のため代演によるリサイタルとなります。代演 松田松尾まつだまつお



〔餌〕「三元さん、そう言う事は先に教えてくださいよ。分かっていればページヤのエコバッグを松田君ファンの皆様に売りつけたのに」

 GW合宿後に三崎口みさきぐちのページヤで投げ売りされていた旧型エコバッグを買い占めたえさが、深いため息をつく。


〔シ〕「でも松田君って、ここの所あのエコバッグを持ってきてないよね」

〔餌〕「そうか。松田君にスペアとして全部買い取らせるか」

 えさが目を輝かせる脇で、いかにも上品そうなマダムがポスターの隅に貼られた松尾のキメ顔にスマホを向けた。


〔三〕「松田君の野獣ぶりをあのマダムに伝えたくて震えるわ」

〔シ〕「奥さん、そいつはただの野獣眼鏡です」

〔餌〕「仏像は松田君ダンナさまから代演の件を聞いていなかったの」

〔仏〕「知るかよ。それに俺らはそう言うアレじゃねえ。何度言ったら分かるんだ」

 にやつきながらたずねた餌にn度目の釘を刺すと、仏像はバイト場所に向かってさっさと歩き始めた。



※※※



〔葛〕「みんな、暑い中をありがとうね」

 一同が会場に着くと、小ホールで蝉丸せみまる一門いちもん会を行う葛蝉丸かずらせみまる師匠自らがやって来た。


〔葛〕「あの子も若いのに急な代役を引き受けて大したもんだ。はいこれがあの子のチケット。皆で聴いておやり。こっちのお駄賃だちんは後で出すからね」

 葛蝉丸かずらせみまる師匠は人数分の入場券を三元さんげんに持たせる。


〔葛〕「今日の手伝いったって大したもんじゃないから、あの子のコンサートが終わってから楽屋に顔をだしてくれりゃいい。あたしゃちょいと野暮用で出かけてくるからさ」

 言うなり、ステッキ片手に蝉丸せみまる師匠は大船駅方向へと歩き去った。



※※※



〔仏〕「大勢で本番前の控室ひかえしつに行って邪魔にならねえのか」

〔三〕「だって外で駅弁食べたくねえし」

〔仏〕「俺らにとったら松尾は落研の後輩だけど、大ホールで代演を任されるクラスの天才ピアニストなの。世界一だよ世界一」


〔三〕「天才だって腹は減るだろ」

 言い訳めいた仕草で駅弁の袋を指した三元さんげんが楽屋のドアを開けると、ショパンのエチュードOp.10-8を奏でていた飛島が手を止めた。


〔下〕「お疲れ様っす。あれ皆さんは小ホールのバイトじゃないんっすか」

〔長〕「あ、どうも」

 下野しもつけは、二学期からの新入部員である長津田ながつだの隣でストレッチを行っている。

 


〔仏〕「部室かよ。何で本番前の楽屋にこんなに人がいるんだ。で、松尾は」

〔飛〕「開場前にホールの最終チェックに行きましたよ」

〔三〕「松田君に好きなのを選んでもらおうと思ったけど、いないんじゃ仕方ねえ。全部食うか」

 三元さんげんがだらしない顔であじの押しずしをほおばっていると、控室にノック音が響いた。




〔生〕「おじゃましまーす。ほら姉ちゃん、ピアノの王子様の現物だよってあれ別人?!」

〔坂〕「松田君、うちの部員も来たから席がかなり埋まるよ。あれいない」

 下野しもつけと松尾のクラスメートと、担任の坂崎が顔を出す。


〔餌〕「松田君はホールで最終チェック中だそうです」

〔仏〕「これ何なの、ここ教室?!」

 飛島が再びピアノに向かう中、多良橋たらはしが夫人連れでやって来た。




〔嫁〕「GOゴー君! Long time no seeひさしぶりね! I miss Uあいたかった♡」

 一直線に仏像めがけてやって来た多良橋たらはしの妻は、骨も折れよとばかりに仏像を抱きしめて頬ずりをした。


〔三〕「米国式のあいさつって大変だな」

〔多〕「慣れだよ慣れ。俺なんてアレ毎日やってんだぞ」

〔三〕「俺にアメリカ人の嫁さんは無理だわ」

〔シ〕「その前に彼女いない歴十八年の脱出法を考えようぜ。兄弟」


 ベトナム系米国人の多良橋夫人に戦々恐々の二人であったが、米国育ちの仏像以外には日本式であいさつをしてくれる優しい女性である。



〔松〕「うわっ、何か人が増えてる」

 チェックを終えて楽屋に戻って来た松尾は、ドアを開けるなり大きくのけぞった。

〔三〕「蝉丸師匠がチケットをくれた」

 ひらひらとチケットを見せると、お礼をしなくちゃと言いつつ松尾は肩をすぼめる。


〔下〕「うさぎ軍団さんに声を掛けたら、ピンクうさぎさんが元々チケットを取ってたから来るんだって」

〔坂〕「うちの部員も結構来たよ。席がかなり埋まると思う」

〔松〕「ありがとうございます。代演を受けてはみたものの、余りに急すぎて席が埋まらなくて」

 松尾は情けなさそうに頭を下げた。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

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