1日目、夕方、委員長「リフト・オフ!」

 数台並んだ自販機の灯り、近くのベンチには小さな街路灯の明かりがあった。拓真は横にある木にもたれ掛かり、遠藤は落ち込むようにベンチへと座っていた。

 その場には微風が舞う。拓真の袴の裾は、ゆれていた。


「拓真さん、俺がもともと弓に細工してた話、主将から聞いたんですよね?」

「ああ、聞いた。その過程も、一通り聞いたと思う」

「そうッスか……情けないですよね、弓道家として……」


 拓真は遠藤に何と言うべきか迷った、だがすぐに結論は出た。遠藤は弓にした細工を愚行と知りながらも、拓真と話をするためにここまで来たのだ。拓真は遠藤の気持ちに対し、正直に思うところを伝えようと決意した。


「俺は情けないと思わない。遠藤の弓に対する想いに負け、部員全員が承知したうえで遠藤は弓を引いていた。これは純粋に凄いと思うし、普通では考えられない事だ」

「拓真さん………」

「弓道が、好きなんだろ?」


 遠藤は手に持つ和弓を眺め、嬉しそうに笑う。その横顔を、拓真はじっと見つめていた。


「好きです。俺の青春は弓道に捧げたと言ってもいいくらい、好きでした。調子よく的にあたる時もあれば、思うように中らない時もあった。癇癪を起こして弓に八つ当たりしていた時期もあったんだ。それでも、弓を投げ出そうなんて一度も思った事なかった……楽しかったから……」


 遠藤の目は潤む。


「今回の試合だって、この細工なら絶対バレない自信があった…。俺は大学に入って経験した、学連の運営ぶりを見て、感じて…時間厳守だと招集の時間にはうるさいクセに、学連側の都合で、毎回クソみたいな理由で射場の進行が突然止まったり…。正直嫌いでした」


 拓真は数年前を回想するかのように、学連の運営ぶりを思い返した。

 確かに遠藤の言う事はその通りだ、拓真がまだ大学2年生の頃、学連役員の先輩達の運営に疑問を思う時期があったからだ。なんでそんな事になるのかと先輩に向かって吠えた事もあった、多くの先輩から罵倒された事もあった。そんな拓真だからこそ、自分達の代は違うんだと意気込み、大学弓道の運営に携わってきた想いもある。拓真の中では、遠藤が感じている気持ちが、よく理解出来た。


「それに…俺が弓を引ける期間なんて、もう残ってねぇ…この練習試合が、俺にとっては引退試合も同然だったんだ……でも、拓真さんは見抜いちまった……あの時俺は、頭がまっ白になった。そんなはずないって…」

「そうだな。俺は射場を運営する学連役員として、その責務を果たすために、遠藤に失格を言い渡した……それも俺の仕事なんだ、遠藤の気持ちを知ったからと言っても、失格は……くつがえらない」


 遠藤は涙をこらえ、しきりに漏れそうになる声を右手で抑え込んだ。拓真は複雑な気持ちで、街路灯の明かりを見つめた。


「分かってます……でも、拓真さんは俺の想いを知って…犯人を探そうとしてくれてんだ……どうしてなんスか? 普通に考えて、矢摺籐を細工していた俺は失格だ……色なんて関係ねぇ……そのはずなのに……」


 拓真は目を閉じた。そして心の想いを引き出し、遠藤に伝えた。


「藤本拓真が、男という生き物だからだ」

「………どういう意味ッスか?」


 拓真は目を開け、もたれ掛かかっていた木から背中を離した。ベンチの横を通り、遠藤に背を見せるように歩き、自販機との間に立つ。


「どハマリしていた好きな事を辞める、遠藤が決意したその理由に、俺は寂しさを感じたんだ。これは直感だか……遠藤。お前はまだ弓を引きたいと思っているんじゃねぇのか? 自分がやった事にケジメをつけるため、チームを想って弓から手を引くのはわかる。でもその前に、やるべき事があるんじゃねぇのか? 遠藤、お前の弓道は、そんな終わり方でいいのか?」


 遠藤は拓真の言葉に涙を流した。情けなくも喘ぐような声を漏らし、舐められないようにと金髪に染めた男が。大粒の涙を流し、その雫を黒い袴にうちつける。染みていく色は変わらない、だがその涙が光るたびに、遠藤は秘めた気持ちを徐々に開放していく。

 拓真は自販機へと向かい、懐から小さな財布を取り出した。ガタンと落下してきたホットコーヒーを手に取り、遠藤の元へ戻っていく。右手で温かい飲み物を持ち、泣きじゃくる遠藤に差し出した。

 遠藤は拓真の優しさに感動しながらも、涙を流し続けた。拓真は、遠藤に伝えた―――想いを。


「遠藤。なにも試合で弓を引く事だけが弓道じゃねぇだろ。それは付き人である介添かいぞえという立場でも、応援するだけの部員であっても。それはチームメンバーだ。大学弓道というのは、結果だけを追求し、その頂点を目指すのがその本質だろ? 仮定なんてどうでもいい、結果が全ての世界だ。もうちょい頑張ってみろよ、遠藤なりのやり方でな」


 遠藤は目をこすり、拓真から温かい飲み物を受け取る。それを握りしめた遠藤は、泣き笑う。その笑い顔を見た拓真は、安心したように微笑んだ。


「俺はこの事件を推理する。犯人を見つけだし、炎上した事実を振り払うべく、強豪校の名誉を取り戻すべく、皆の前で真実を伝える。だから遠藤、犯人が分かったそのときは、もう一度チームに戻れ! お前の弓は、まだ終わってねぇ!」


 その時―――遠藤は心の中で矢風を鳴らす。この男になら、俺の想いを託せると。和弓を握りしめ椅子から立ち上がる。涙を振り払い、遠藤は拓真と向かい合うと左手を差し出した。


「拓真さん……俺の弓、拓真さんに…託します。もしかしたら、何かの情報になるかもしれません」

「……わかった、必ず返す。待ってろ」


 拓真は遠藤から弓袋に入った和弓を左手で受け取る。静かな時が流れた。

 街路灯の明かりは、2人の弓道家の心を照らす。それはまるで、曇った空をかき分け、差し込む陽の光のごとく。

 拓真は決め台詞を放った。


「オレ、ヒーローなんで」

「………?」


 その言葉を合図に、拓真は草履越しに舗装を蹴り込む。体の向きを転回させ、墨色の袴は広がり、その裾は風を吹かす。薄暗い空の下、一歩、二歩と舗装をゆっくりと蹴り進む。受け取った遠藤の和弓に宿る想い、悲しむ男の分身を背負って―――。拓真の心は燃えていた。

 その襟足は月光に照らされ変貌する―――ウルフのように。

 拓真は心の中で遠吠えをあげた、事件を推理すれば遠藤が部活に復帰するかもしれない、1人の男を救えるかもしれない。その想いが拓真をさらに突き動かす。

 ゆらぐ襟足、その先は───銀色のバンを目指して。


「あんな人……今まで出会った事ねぇ……俺は、俺は―――」


 遠藤は去っていく拓真の後ろ姿を見つめた。

 勇ましくも、一匹狼のようなその後ろ姿が―――視えなくなるまで。


 *


 拓真が駐車場に停めてある銀色のバンに戻ったあと、リアゲートを開け、遠藤の和弓を座席の下へと収納した。大人8人が乗っても空間スペースが十分に確保された、商業貨物用の車内空間にはメンバー達が全員乗っている。

 拓真がリアゲートを締めたあと、ナンバープレートの左側には「わ」と記されていた。

 拓真が運転席側のドアを横を横切った際、もうすでに誰かが座っていた。いつもなら拓真か今高が運転するため、拓真は特に深く考えずに助手席側へと回り込む、右側後部の座席には乗り降りするためのドアがないのだ。ふと見上げた助手席には誰も座っていなかったので、拓真はそのままドアを開け、トラックに乗り込むように助手席へと座る。拓真はシートベルトを着用し、運転席へと視線を向けた際―――驚愕きょうがくし声をあらげた。


「おい! まじでお前が運転すんのか!? 正気かよ、かわれ!」

「いや、大丈夫だ。藤本を待っている間、私の脳内ではすでにシュミレーションは終わっている。抜かりはない」

「いやいやいや、みんなも正気かよ!? 成安に運転させていいのか!?」


 慌てたように後部座席へと振り向いた拓真、そこには残り6人のメンバーが車内にある椅子や手すりをガッチリと持っていた。

 國丸が猫になりこう言った。


「ホテル近いし、この車オートマだし。大丈夫でしょ? 僕はペーパードライバーだしね」

「いや……成安、最近運転したか?」


 成安は眼鏡をクイクイっとすると、無言でキーを回しエンジンを始動させた。ブオンッとディーゼルエンジンの振動が車内に響く。

 拓真の顔は血の気が引くように青ざめた。同時に車内にはハイテンポのユーロビートが流れる。―――今高だ。拓真は確信した。

 成安はしきりにスピードメーターを指さし、指差呼称しさこしょうをし始めた。


「ガソリンよし! ヘッドライトよし! ナビよし!」

「おい成安! お前最近運転したのか!?」

「大丈夫、私もペーパードライバーだ」


 拓真は絶句した、神に祈りを捧げる―――。

 成安はギアを「2」にいれ、ハンドルを10時10分の位置で握り締めた。右足はアクセルペダルを強烈な勢いで踏み込む、ギギギと鈍い音が唸り、バンは高回転数のエンジン音をキープ、だがその初動は亀のように遅い、拓真は吠えた。


「アクセル抜けぇ! サイドブレーキ引きっぱなしだろぉ!!」

「なはは、そうだった」


 成安は左手でサイドブレーキを降ろした、同時にバンは絶叫マシンと生まれ変わる。拓真は両足でブレーキペダルを踏むように踏ん張るもバンは停まらない―――かと思いきやバンはすぐさま急停止、拓真は吹っ飛ばされそうになりながらもその衝撃に耐えた。


「駐車券を用意、停車する」

「停まる前に言えやあああぁ!!」


 成安は駐車券をゲートの機械に挿入する、前方にある虎柄のバーは開き、絶叫マシンは再発進するべく成安はギアを変える、「P」だ。吹き上がるエンジン音。

 停車しているのにもかかわらず拓真の額に汗が滲む。


「おい! ギアはドライブだろ! お前免許持ってんのかあぁ!?」

「あたり前だ、最終試験は満点で突破しているし、免許証も携帯もしている。―――テイク・オフ」

「やめろぉぉぉぉ――――」


 成安はギアを変えた、「3」。豪快に吹き上がるディーゼルのエンジン音。ゴォォォと唸るそれは、まるで工事用の重機かと拓真は錯覚する。

 ゲートを通過したあと貨物車両は激しくロールしながらも右折した。重量物が曲がるために発生する質量の移動──拓真は我慢ならず吠えた。


「ここは左折だろ! どっち曲がってんだあぁぁぁぁ」

「なに、私としたことが……左折の法則で正常ルートへと復帰する。藤本はナビの操作を頼む」

「運転中に操作出来るわけねえだろぉぉぉ!!」


 吹き上がるエンジン音、スピードメーターは「20」をキープしているのにかかわらず、拓真は強烈な恐怖心を植えつけられたかのような感覚、圧倒的な運転技術―――頼む、事故るな。

 なぜ後部座席の6人は叫ばずに座っていられるのか、拓真には不思議で仕方なかった。


「前方に一時停止を確認―――これより安全を確保する」

「うおおおおぉぉぉ!?」


 急停止。激しく突き飛ばされたかのように拓真の体は仰け反る。すぐさま成安はギアを変え、アクセルを全開で踏み込む。ブォンと高回転にぶん回った貨物車内のエンジン、なのになぜか前方の景色は遠ざかる、異世界へと誘うかのようなその光景に拓真は目を疑った。おかしい、拓真は成安が変えたギアを見て絶句した、「R」だ。再び貨物車内は急停止、激しい衝撃に車内を揺れた。

 成安は無表情でギアを「D」にした。ニュートンの法則を無視した圧倒的な等速直線運動のための初動、整備不良の絶叫マシンを超える、超越ちょうえつたる成安のドライブテクニック。拓真は心臓をバクバクと鼓動させながも、頭上左手にある取っ手にしがみついた。

 バンはロールしながら左折した。


「前方に対向車両なし、これより信号機まで徐行する、各自衝撃に備えよ。ロケット・ブースター点火!」

「ここは一方通行なんだよおおおぉぉ!! やっぱり運転変われえぇぇぇ―――」

「何を言っているんだ? 運転中の余所見は事故の発生確率を飛躍的に向上させる、静かにしてくれ―――これより車両をマイナス90度旋回させる、ハンドルの角度はマイナス45度からマイナス180度まで一気にきる」

「おおおお!? 今高! はやく音楽消せええええぇぇぇ――――」

「赤信号により車両を停止、シークエンス移行。アイドリングストップによるエンジン停止を確認、これより再発進までのカウントダウンを開始する。60、59、58―――」

「これはロケットじゃねぇ!! 車を運転しろやぁぁぁぁ!!」


 その後、拓真達はなんとか無事故、無違反で宿泊先へとたどり着いた。もう成安には運転させない、拓真はホテルにたどり着いた事を安堵しながら、強く決意した。

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