1日目、タイムリミット

 拓真が役員の控室内に入った、國丸と今高がパイプ椅子に座っている。

 短髪黒髪の今高は、机の上に伏せたまま置いたスマホの画面をじっと見つめ、右手をポチポチと動かしている。

 四角い黒縁眼鏡をかけた國丸は、パイプ椅子に浅く座り足を組んでいる。首を横に傾け、不思議な姿勢でスマホをいじっていた。

 拓真は急須にお湯を注ぐため、ポットに手を伸ばした。


「あ、お湯がねえ…」


 その声を聞いた國丸は、画面を見つめながら湯呑みを持ち上げた。これは、「僕が入れたあと、お湯がなくなったんだよ」と言っているのだ。つまり意思表示である。

 拓真は自販機に行くのだけは我慢するのだと覚悟を決めた。すると、スマホの画面を見ていた今高が、拓真に自分の湯呑みを差し出した。


「俺のお茶ぬるいけど飲んでいいよ。まだ口付けてないし」

「お、じゃあもらうわ」


 今高はスマホを見ながら、お茶をすする拓真に言った。


「そんでもお前さ、犯人見つけるのはいいんだけどさ。見つけたあとどうすんの?」

「え、どうするってのは?」

「いやだからさ、犯人は誰々でしたって、みんなの前で発表でもすんの?」

「そこまで考えてなかったけど……でも遠藤には謝ってもらいたいかな」

「あっそ、でもそのために、これ以上俺達を巻き込むのだけは勘弁してくれよ」


 拓真が考えていた以上に、冷たい言葉だと感じた。

 國丸は目のまぶたを大きく開き、同時に眉毛も上に移動させ、口を開いた。國丸は喋るとき、まるで何かに驚いた猫のような感じになるのである。


「そうそう。遠藤が退部しちゃったのも、自分で決めた事だしね。僕も今高と同じ意見かな」


 國丸は目のサイズは普通に戻った。拓真は2人の言葉に反論するように言った。


「まぁな、でも巻き込むっていっても。別に知っている事を教えてくれるだけでいいんだ。推理すんのは自分でやるから」


 今高はスマホから拓真へと視線を向ける。


「俺が藤本に言ってんのはそうじゃない。運営に支障をきたすような事はするなって事だ。実際、今日はまだいいけどさ、明日なんかはお前と成安の2人で射場を回さないと、こっちもフォローすんのシンドイからさ」

「それは、分かってる。明日の立ち稽古では、俺もチョロチョロする気はない」

「ならいいんだ」


 今高はスマホへと視線を戻すと、「クソゲーが!」とぼやいた。今高がやっていたのは何かしらのゲームなんだろうと拓真は思いながら、ぬるい茶をすすっていく。

 今高の言うように、明日の立ち稽古中にチョロチョロしている暇はない、せいぜい射場内をウロウロするだけである。他の場所に行けなくもないが、射場の運営は基本的に2人いなければ、こなせない場面もある。トイレ休憩やら食事休憩などで射場を一時的に抜ける事はあるが、2人抜けると射場の進行がストップしてしまう。それだけは避けなければならない。参加する大学からしてみれば、苦情どころの話ではないからだ。

 拓真は腕を組み、思考する。

 もうすぐ1日目の練習が終わろうとしているのに、結局誰がやったのかは分からないままだ。それに、5人の証言を元にすれば〝だれもやっていない〟事になる。

 拓真が唯一確信しているのは、遠藤が嘘をついている可能性がないことだ。大学の部員みんなが、遠藤のために嘘ついているとは考えれないからだ。

 それにもし遠藤が弓に色を塗っていたのならば、鈴木と黒咲は嘘をついている事になる。わざわざ意味のない嘘をつく必要もない。

 誰かに色を塗られたのであれば、5人のうち誰かが嘘をついている可能性が高い。

 鈴木、黒咲、板野、小野田、相葉のいずれかが嘘をついている。でなければ、廊下で決勝戦に残った以外の選手が来ていた可能性もある。気が付かなかっただけで、本当は射場に誰か来ていたのではないかと。

 もしくは……拓真はもうひとつの可能性を考え、つぶやいた。


「犯人は、1人じゃないのか?」


 イヤホンの外れた拓真のインカムから───ノイズが鳴る。


《成安です。本日はお疲れ様でした、無事1日目を終了しましたので、各自の判断で弓道場内の点検、選手の退場を促してください》


 ガタンとパイプ椅子が動く、拓真はインカムのジャックを接続、コードを引っ張り、右耳にイヤホンを着ける。今高は呆れ顔になると、拓真に言葉をかけた。


「おい、どこいくんだ?」

「鈴木を探す、彼女は何か情報を持っているかもしれない」

「はん、ホントこりねぇ奴だな」

「性分なんだよ。やると決めた事は、最後までやり通す、それが俺だ」


 國丸は猫のような目になると、拓真の後ろ姿を見送った。拓真は紺色の弓道衣の懐にクリップを止め、控室の外に出た──まだだ、まだ終わってない。

 拓真は廊下を歩きながらまず玄関を目指した。清掃道具の入っている扉を開け、モップを手に持つ。木のフローリングを掃除しつつ、周囲を注意深く見渡す。黒髪ポニーテールの女性、鈴木の姿を探した。

 1日目の終了に閉会式はない、各大学の選手達が弓道場に道具を置き、荷物を持って退場していく中、拓真は選手達の歩く隙間を縫うように弓道場内を駆ける。モップをかけながら、弓道場のあらゆる場所を探していく。選手控室、射場、矢取り道、巻藁練習場、応援席───。

 紺色の弓道衣を着た役員が、それぞれ持ち場を整理、清掃している姿は見かけるが、鈴木の姿がない。

 拓真は焦り始めた。回る順序を間違えたか、それかすでに帰ってしまったのか。

 イヤホンから、ノイズが鳴る―――。


《藤本、手伝ってほしい。ちょっと射場にきてくれ、、、、、、、


 今高の言葉に、拓真は思わず笑ってしまった。拓真はモップを持ったまま方向転換すると、もう一度射場を目指す。廊下を曲がり、役員控室の前を通り、射場へと入った。──鈴木だ。

 射場では弓に張った弦を外し、専用の弓袋へと収納している選手達が数名いた、その中に鈴木がいる。鈴木は弓袋に和弓を収納していた。

 射場に今高の姿はない。

 鈴木は落陽に反射したポニーテールを背中に垂らし、拓真の姿を視るなり目が笑う。

 拓真は射場にモップをかけながら、他の選手が退場するのを待った。そして、鈴木が片付けを終え、袋に入れた和弓を持ったその横で立ち止まり、声をかけた。


「あれ、襟足の長い学連さん、どうかしました?」

「もし、また情報を聞こうと思ったら、ジュース一本でいいのか?」

「う~ん、そうですねぇ~」


 鈴木は意地悪そうに笑うと、右手の指を二本出す。

 拓真はため息を吐いた。だが仕方ない思いつつ、それを承諾した。本来なら今日聞きたいところだが、この後は学連での打ち合わせがある。拓真は明日、鈴木に情報を教えてくれるように頼んだ。


「2本でいいなら。また、明日の朝にでも教えてくれませんか?」

「ええ、いいですよ。開始は9時だったかしら? 少し早めに来るわ。もちろん、モーニング用のサンドイッチを持ってね」


 鈴木はニコっと笑うと、拓真に背を向けた。拓真は射場の清掃をするため、鈴木に背を向け、往復した時だった。鈴木は朱色に染まったポニーテールを揺らしながら、拓真を視ていた。拓真は不思議に感じながら、鈴木の横を横切った時だった。

 聞いた言葉に驚きを隠せず、拓真は思わず立ち止まった。


「勝手な予想なのだけど、犯人は板野さんかも」

「……なんで、そう思うんですか?」

「そうねぇ。女のカンかしら? あの人すっごい美人だし、芝居が上手そうだから」


 拓真は硬直しながら、この場を去るために歩き始めた鈴木の背中を見つめた。鈴木は神棚に浅い礼をすると、玄関へと向かった。

 斜陽の差し込んだ弓道場の射場、拓真は的場へと目を向ける。

 徐々にあかね色へと染まっていく矢道やみち安土あづちには丸い星的ほしまとが5つ立っていた。的の表面は白く、中央には黒い丸が描かれた的。通称、弓道ではその黒丸を───ほしと呼ぶ。


「犯人は……誰なんだ……」


 拓真は思い悩んだ。黒咲に決め台詞を言ってしまったからだろうか、プレッシャーとも似てとれる圧力を背に感じている。拓真は腕時計を確認する。

 機械的なアナログの時計、短い針は5と6の間を。長い針は9をさしている。秒針はカチッカチッと音もなく動いていた。


 〝タイムリミットまで、残り19時間45分〟


 拓真は腕を降ろし、射場を吹き抜ける風を感じる。

 それは逆風なのか、それとも追い風なのか―――拓真は静かに、モップを持ち直した。

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