ユリア侯爵の剣

 あれからだけど健一の弟の伸二も家を出ちゃったんだ。


「頑張ってるようだ」


 就職すると言ってもロクな経歴を持っていないけど、そこは健一の口利き。それにしてもどこなの。


「伸二の希望もあったから北海道のクローバーファームだ」


 それって農家とか。ここも聞くと農家じゃなくて酪農家みたいだけど、


「あいつは小さなころから動物好きだったからな」


 聞くと好きなんてレベルじゃなかったみたい。だから最初の将来の夢は動物園の飼育係で、そこから獣医さんも真剣に考えていたとか。そういう夢も悪くないと思うけどクソ親どもは叩き潰していたのか。


「ぐるっと回って牛さんのお世話係さ」


 それも良いかもしれない。これからの頑張りに期待だな。自分の人生はね、最後は自分で切り開くしかないのよね。健一も兄として出来るのはここまでだもの。伸二のことは、そういう形であっても落ち着いたんだけど、クソ親問題はそうは行かない。


 あの時の絶縁作戦は上手く行った。あんなに上手く行くとは思わなかったぐらい、でも世の中そこまで甘くない。これは健一が仕掛けた置き土産の甘い罠の効果もあるんだけどね。しっかし、ここまで思い通りに人って動くものなのかなぁ。


 健一の生活援助はクソ親どもの浪費癖を助長させた。でもその生活援助は健一の絶縁宣言とともに打ち切られている。クソ親どもも収入はあるんだから、その範囲の生活レベルに戻せば良いようなものだけど、一度覚えた贅沢の味は忘れられないみたいだ。


 この辺は元から夫婦そろっての浪費癖があり、健一の生活援助で辛うじてあった自制が吹っ飛んでしまったぐらいかもしれない。健一もそれを狙っていたんだけどね。健一も口にこそ出さないけど自分にされてきた仕打ち、さらには伸二への仕打ちも知り、さらにそこまでのクソ親に一瞬でも気に入ってもらおうとした自分が許せないぐらいで良さそうだ。


「こういう時には最後までちゃんとしておかないと、必ず後で後悔する」


 あの絶縁作戦は効果的ではあったけど、しょせんは口先の話に過ぎないのよね。上手く行ったと言ってもペテンにかけたようなもの。どんなに強い言葉を使おうが、クソ親でも親であり、この親子関係は絶対に切れないとして良い。


 だから出来るのは実質的な関係の途絶だ。そうするには、こちらからの絶縁宣言ではまだ不十分なんだよ、あのクソ親が二度と近付けないようにしなくちゃならない。言うのは簡単だけどそんな簡単な事じゃない。


 あのクソ親の将来設計は子にもたれかかるのがすべてだ。あのクソ親にとっては子とはATMであり、カネを手に入れるための道具だ。普通の親ならあれだけ強烈な絶縁宣言を子から喰らえば、それをされたことを恥じて二度と顔を見せなくなっても不思議じゃないと思っている。


 だけどあのクソ親どもにとっては子とは自分たちの将来を保証する必要不可欠な道具だ、あれぐらいの事で手放すもんか。必ず肉親の情をふりかざしてすり寄ってくる。その時には、さも反省して心を入れ替えたぐらいの臭いセリフを恥ずかしげもなく撒き散らすだろうけど、あの歳になって人の本性なんて変わるわけないだろうが。


 あいつらの狙いはやはり健一だ。健一は肉親の情に一度は揺らいだのを知ってるからな。そこに付け込めば再び道具として使えるはずだと考えてるはずだ。実はその点にアリスも不安はある。最後の最後に健一が転ばないかって。


「信用無いんだな。そうアリスが思ってしまうのも無理はないけど」


 どうしてもね。最初にクソ親に挨拶に行った時のトラウマはどうしたって残るもの。それにしてもホントにそこまでやるの。いくらクソ親と言っても自分の親だよ。


「やるよ。やると決めたんだ。ボクにとって世界のすべてはアリスだからな」


 アリスにとっての健一もそうだよ。本音で言えばこのままフェードアウトして疎遠になって欲しいのだけど、あの連中はそうは行かないだろうな。そしたらやっぱり来やがった。そろそろ貯金も食いつぶして切羽詰まって来たのだろう。借金にも手を出していたって不思議ない頃だものね。


 それにしても舐めてるな。このマンションのセキュリティは固いのよ。そりゃ、ユリア侯爵が選んで住んでるぐらいなんだよ。いくら玄関まで押しかけたって入れるものか。それでもこれで終わってくれないよな。


 マンションのセキュリティは固いけど、あくまでも民間マンションなんだよな。そりゃ、正面からの来訪なら保安室が追い返してくれる。あそこで粘り過ぎるとすぐに警察が呼ばれるよ。


 マンションの出入りの管理は民間にしたらしっかりしてるけど、それでも限界がある。マンションには住民もいるし、郵便局や宅配業者とかも入ってくる。それを言えばガスや電気の業者もそうだ。門前払いで追い払ってくれるのはNHKぐらいかな。


 ごく単純にはマンション住民と一緒に入ればフリーパスみたいなところは確実にある。親戚やら友人知人を部屋に招待するのは誰だってするものね。だからその気になれば、マンションに入ろうとする住民に引き続くように入り込むことだって可能ってこと。


「ついに来たか」


 部屋のピンポンがせわしくなく押されてる。


「健一いるんでしょ、開けとくれ」

「落ち着いて話をしようじゃないか」


 なにが落ち着いてだ。落ち着いて話したい人間が、


『ドンドンドン』


 ドアをガンガン叩いたりするものか。健一、本当にこれで良いの。


「迷惑をかけると思っている」


 なるようにしかならないって事だよね。玄関前でのクソ親どもはさらにヒートアップしたんだけど、そこに現れたのは、


「これは何事ぞ、お静かになさい」


 頭ごなしに叱りつけられたクソ親どもだけど、


「誰だお前は」

「他人の家のことに首を突っ込まないでくれる」


 やっぱりそうなるか。そう簡単に引き下がらないよね、


「ここをどこだと思っている。速やかに退出しないのなら、それ相応の覚悟をしてもらう」


 最終警告だ。これが最後のチャンスだぞ。


「なにが覚悟だ」

「ベルばらみたいなコスプレの頭がおかしい白人女は引っ込んどれ」


 もう知らない。


「ここは日本国より公式の承認を得たエッセンドルフ公国大使館だ。すなわちエッセンドルフ公国の聖なる地でもある。ここに立ち入ることが出来るのはエッセンドルフ公国臣民かパスポートを所持するもの、または特命全権大使であるこのユリア・エッセンドルフの許可を得た者だけだ」


 ポカンとしているみたいだ。いきなりそんな事を言われても面食らうだろうな。どう見たって普通のマンションのフロアだもの。


「この地に無断で立ち入る者は不法入国者である。既に警告は行った。それに逆らったからには、悪意を持つ不法入国者だと断定する」


 ユリア侯爵も気合入ってるな。クソ親どもがベルばらを持ち出したのは間違いじゃない。あんな服持ってたんだと思ったもの。それとあの言い方は良くなんだよな。ユリさんは白人に寄り過ぎたハーフだけど、そのことへのコンプレックスも大きいんだ。あれは逆鱗に触れたとしても良いはず。


「悪意ある不法入国者であるだけでも許しがたい存在であるのに、侯爵であるわたくしを侮辱するとは言語道断。わたくしへの侮辱は母なるエッセンドルフ公国への侮辱。この侮辱を晴らし名誉を守るのはエッセンドルフ貴族の務め」


 そうなるんだよね。ここは日本じゃなくエッセンドルフ公国になり、ここでは日本の法律じゃなくエッセンドルフの法律が適用されちゃんだ。もっとも基本的なところで大差はないんだけど、エッセンドルフでは貴族の力が未だに大きいぐらいの理解で良いと思う。


 そうなっているのはあれこれ歴史的な理由が積み重なってるのだけど、そうだな、これまで国を守る戦争で常に先頭になって戦い続けた功績は大きそうぐらいに考えても良さそうだ。だから貴族への法と庶民への方は別物になってるらしい。


 そんな貴族が一番大事としているのが名誉と誇りで、貴族を縛るのもそうで良いみたい。名誉を守るためには、なんとだよ、これは正式に認められているそうなんだけど、


「我が刃の錆にして名誉を守らねばならぬ。そこに直れ、遺言ぐらいは聞いてやるぞ」


 あれも見せてもらったけど、エッセンドルフ侯爵家に代々伝わる名剣だってさ。ユリさんは侯爵になった時に侯爵としてエッセンドルフ公国に尽くす誓いを公爵に立ててるんだけど、その時の儀式に必要だからってもらったとか言ってた。


 銃刀管理法的に日本に持ち込むのに問題はあったそうだけど、そこは侯爵への特例待遇みたいなもので、大使館内で使うことを条件に許可されたとかなんとか。とにかくよく切れるそうだけど、


『包丁にしようと思ったけど長すぎて使いにくいからあきらめた』


 大根でも切ろうとしたのかよ。それはともかく、剣をふりかざすユリア侯爵に怖れをなしてクソ親どもは逃げて帰った。そりゃ、白昼にあんな格好をした白人女が剣を抜いたら狂人にしか見えないだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る