第八章 サマーバケーション
プラセボ
「さて、今夜の最後もいつものこのコーナー、『恋の試し書き』です。今日は少し趣向を変えて、連載調でお送りしたいと思いますが」
「連載ですか。どういうことでしょうか、石田さん」
「まずはメールを読んでみようか。石田さん、みやじーさん、今晩は」
「こんばんはー」
「春休みにメールを読んでいただいた、『放課後ガール』です。今回はお礼とご報告とご相談を兼ねて、再度メールを送らせていただきました、とのことですが。みやじー、彼女のことを覚えてるかい? 気になる人を同じサークルに誘ったらオーケーをもらった、っていう高三の女の子なんだけれど」
少しの沈黙の後、ぱん、と手を打つ音がイヤホンを通して聞こえてきた。
「おお、思い出しましたよ。相手のことをもっとよく知るように、みたいなアドバイスを石田さんが送った子ですよね」
「ご名答。その彼女から、経過報告のメールが届いたんだよね。結構身につまされる内容なので、この場でご紹介したいなと」
「なるほど。彼女の片思いを追っていく企画だから、連載なんですね。確かにその後の二人の仲がどうなったか、僕も気になりますね」
「だよね、では続きを。先日はラジオで私の相談に乗っていただき、ありがとうございました。まさか自分のメールが採用されるとは思ってもおらず、嬉しさでみんなに自慢したいくらいでしたが、内容が内容なだけに誰にも言うことができず、もどかしい思いでいっぱいです」
私はベッドの上で両ひざを抱えながら、淡いオレンジ色に浮かぶラジオのディスプレイをぼんやりと見ていた。生徒会に入るまでは、自分がこの「恋の試し書き」のコーナーを真剣に聞くことになるとは、それこそ予想だにしなかった。しかし今は、どんな些細なことでもいいから、恋というものについての情報が欲しかった。それがたとえプラセボだとしても、私には鎮痛薬が必要だ。
「さて、四月からサークルに入った私は、相手のことをもっと知るようにとのアドバイスを石田さんに頂いてから、その人といろいろな話をしました。そして、その人のことがやはり好きなんだという想いを強くしました」
自分はどうなのだ、と私は自問自答する。あるいは司くんのことを知ってしまったから、彼のことが好きになったのかもしれない。だが、鶏が先かそれとも卵が先かというパラドックスには、この場合大した意味はない。それにしても、最初に出会った時はただの生意気な後輩に過ぎなかったのに、彼のどこに好きになる要素があったというのだろう。どうにかして分析しようとしても、それはまったくうまくいかない。
石田さんの朗読で、「放課後ガール」さんの話は続いていく。
「私はどこかで告白したいと思いながらも、どうしてもタイミングをつかめずにいました。そして最近気持ちがようやく固まってきた矢先に、その人の口から、私とは別の人が好きだということを知ってしまったのです。その別の人というのは、やはり同じ学校の、私のとても大切な友人なのです。私はこれからどうするべきでしょうか。石田さん、みやじーさん、何かアドバイスいただければ幸いです」
メールを読み終わった石田さんは、マイクの向こうでふうっと息をついた。みやじーのつぶやきも、心なしかいつもよりトーンが落ちているような気がする。
「これはつらいですね、石田さん。彼女が告白しようとしていた人が、実は自分の友達のことが好きだったということですよね」
「……みやじーだったらどうする? 文面を見る限り、『放課後ガール』さんの想い人は、その別の人には告白していないみたいだけれど」
「でも彼女が自分の気持ちを押し通して告白しても、想い人の方はきっと困ってしまうでしょうね」
「そうだろうねえ。残酷だけれど、告白というのは早い者勝ちみたいなところがあるからね。いっそのこと知らなければ、そのまま告白できたんだろうけれど、もう知ってしまっているわけだし」
「それじゃあ、石田さんならどうしますか」
少しの沈黙。
「これはね、きっと時間が解決してくれると思うんだよね」
「時間、ですか」
「きっと『放課後ガール』さんは、彼女の想い人の気持ちを一番大切に考えているんだよね。そうじゃなければ、こんなに悩まないはずだから」
「そうですね。自分の気持ちを何よりも優先するのであれば、友達のことを無視して告白すればいいわけですから」
「そう。だからそこで、きっと時間が必要になる。自分の気持ち、相手の気持ち。いずれどこかで、折り合いがつく時が自然に訪れるんじゃないかなあ。もちろん、結末は誰にもわからないけれどさ」
「答えを出すには、まだ早すぎると」
「そりゃあね。第一、そんなにすぐに割り切れるのなら、それは恋としてはまだまだ未熟だと思うんだよね。『放課後ガール』さん、参考になるかどうかはわかりませんが、今は自分の気持ちを見つめ直すいい機会だととらえるのはいかがでしょうか。納得がいくまで悩めばいい、と個人的には思います」
「いやあ、石田さんはなかなか深いお話をされますね。それなのに、どうしていまだに独身なんですか」
「名選手は名監督ならず、その逆もしかりってね。悲しいことだけれど」
ようやく、二人の笑い声。
「今回のメール、リスナーの皆さんはどう感じられたでしょうか。このコーナーでは恋に関するお悩み、どしどしお待ちしています」
「待ってまーす」
「それでは本日のラストはこの曲。オーストラリア出身の女性デュオ、ヴィーナシアンの一九九一年のナンバーで、ソロウ・スメルズ・ライク・ア・マッド。ではまた明日、さようなら」
「おやすみなさい」
私は立ち上がってラジオの電源をオフにすると、再びベッドに戻った。石田さんは、時間が解決してくれると言っていた。でも司くんの妹の凛ちゃんは、どれだけ待とうとも戻ってはこない。司くんの心をつかんで離さない彼女と正々堂々と戦うことも、今ではかなわぬ望みだ。
白倉さんと出会って変わったと言った私を、
なにが医学部志望だ、笑ってしまう。人の生死に直面する仕事を志していながら、司くんの悲しみの理由に思い至ることもできなかった。永遠なんてことありはしませんよ、といった彼の言葉の意味を、私は理解してあげられなかった。
そりゃあ、そんな大切なことを、たまたま生徒会で一緒になっただけの私なんかに話してくれるわけないよね。私の「好き」なんか、司くんの凛ちゃんへの哀惜の念に比べれば、子供じみたものにすら思えてしまう。
私は携帯へと無意識に伸ばした手を止めた。夏休みに入って一週間が過ぎたが、時間はいまだに私を救ってくれない。ひょっとしたら、夏休みが過ぎ去っても、卒業するまで待ってみても、司くんとはこのまま離れ離れなのかもしれない。急にゆがみ始めた照明がまぶしすぎて、私は慌てて部屋の明かりを消した。
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