第53話 イグニス vs ユイナ

 試合開始の合図があってから、両者は一歩たりとも動こうとはしなかった。いや、正確にはユイナは何度も仕掛けようとしていたが、その度に読み合いでイグニスに阻まれていたのだ。


 細かな視線の動き、腕や足の筋肉の起伏、剣先の僅かなブレに至るまで、一挙手一投足を観察されては次にどう動くかを互いに先読みし、その果てに自分が勝利できる確実な一手へと繋げていく。だが、恐ろしいことにユイナが動いた次の瞬間には魔王に腕や足を切断される未来が見えてしまうのだ。


 だからこそ、迂闊に動くことができない。互いの距離は凡そ五メートルほど離れているが、その距離ですらも魔王にとっては一足一刀の間合いなのだ。下手に仕掛けてしまっては、あっと言う間もなく勝負は決してしまうだろう。


 加えて、勇者候補としての威厳と誇りを賭けての戦いということもあり、ユイナの肩にはかつてないほどのプレッシャーが乗っかっている。絶対に負けられない、その固執した考えが彼女の視野を通常よりも狭めてしまっていた。


「……来ないのか? 勇者候補。まさか、怖気ついたわけではあるまいな?」


「……」


 仮面の下から覗かせた口元は不気味な三日月模様を描いていた。彼はこの状況を愉しんでいるいるらしく、ユイナが仕掛けてくるのを虎視眈々と待ち続けている。


 無論、彼の発言はユイナ側に先制攻撃を仕掛けるための挑発行為に他ならなかった。そこから推察するに、彼の用いる剣術は恐らくカウンターを狙う「後の先を取る」戦い方だろうということだ。


 王国流剣術は、相手よりも先に仕掛けて斬りこみ、相手の守りを崩したところで強力な一撃を加える「先の先を取る」戦い方だ。文字通りの先手必勝、こちら側から仕掛けない限り剣術として成立しない。故に、どの道はユイナから仕掛けないと話にならないのだが、先の通り仕掛けても手痛い反撃を食らうと分かっていてわざわざ自分から仕掛けても意味がない。


(事実上の手詰まり状態……。でも、相手の情報がない以上、これ以上の睨み合いは無意味。なら、反撃を食らってでも私の方から仕掛けて情報を得るのが得策か……)


 ユイナは一度、深呼吸をしてバイタルを整えた。悩み、迷っていても勝負は着かない、勝つためには攻めなければならないのだから。


 魔王のどこに一撃を入れれば最も勝率が高くなるのかを考え、自分の意識を剣先に集めていき、その矛先を魔王の胴へと繋げていく。極限まで集中力を高めていき、僅かな風の唸りすらも拾えるほどに世界と自分の身体を一体化するのを感じ取る。


「熱烈な視線だな、いいぞ。さあ、来い。貴様の実力、我に見せてみろ!」


「……はああぁぁぁぁ!」


 魔力を足先へと集中させ、スタートダッシュからトップスピードを保って魔王に近接する。小手先の技が通用するとはとても思えなかったが、それでもまずは基本の突きから魔王へと容赦なく打ち込んでいく。


 魔王は動かない。彼女の剣が自分の胴体に迫っていても微動だにせず、周囲から見てもまるでわざと受けようとしているかのように見えたことだろう。


 だが、尋常ならざる魔王の力は皆が想像していた以上に凄まじかった。肉薄したユイナの剣先が彼の体に触れるかと思われた瞬間、ユイナの剣先は彼女の剣の中腹に触れた彼の黒剣によって紙一重に逸らされ、代わりに魔王の回し蹴りが伽藍洞になった彼女の腹に直撃した。


「ぐっ……!?」


 咄嗟に魔力を集めて防御することに成功したが、それでも肉、骨を貫通して内臓にまで凄まじい衝撃が到達していた。痛みは奥歯を噛みしめることで堪えることができたが、勢いが強すぎて受け身を上手く取れず幾らか地面を転がされることになってしまった。


「魔王、ユイナ選手に強力な一撃を浴びせた! しかし、ユイナ選手はこれを何とか受けきり立ち上がる!」


 それでも、必死にもがくようにして地面の感覚を取り戻し二足で立つことに成功する。明らかに無防備だった瞬間にも関わらず、魔王はその場から動こうとはせず彼女が起き上がるのを待ち構えていた。


「……何故、追い打ちをしなかった?」


 ユイナの単なる興味本位から出た質問に対して、意外にも魔王は律儀に問いの答えを返した。


「すぐに終わっては詰まらぬだろう? さあ、次だ。もっと打ち込んで来い」


(舐め腐ってくれるな、魔王……。けど、今の一合だけでも実力差は明らか。なら、もう怖気づくだけ時間の無駄……!)


「やああああああ!」


「そうだ、勇者はそれくらい勇ましくなければな! 皆を守るのだろう!?」


 ユイナはがむしゃらに見せかけ、しかし基本に忠実な剣技によって魔王に連続斬りを仕掛けた。荒れ狂う刃の嵐が魔王へと襲い掛かるが、まるでそよ風でも受け流すように完璧に連撃を捌いていく。


 それも、単に攻撃を捌いているのではない。最小限の動き、最小限の力を以てして己の実力の底を測らせないように立ち回っているのだ。


「おーっと! ユイナ選手が猛攻を仕掛け始めた! あれだけ見合うばかりで動きのなかった戦いにようやく変化の波が訪れたぞ! しかし、これだけ攻められているのに魔王は立っている場所から一歩たりとも動いていない、まるで巨大な城を相手しているかのようだ! さあ、ユイナ選手どう攻める!?」


(こんなに一方的に斬りつけているのに、まるで動じないなんて……!)


 何度も、何度も、相手の虚を突けるように剣を振るってはいるが、いつの間にか自分と魔王の間には黒剣の壁が立ち塞がっている。こちらが打ち込んでいるというより、相手が打ち込んで欲しいところに誘導されているかのような不気味さがあった。


 ぞわり、背中を撫でる冷たい恐怖心を振り払うべく一心に攻撃を加え続ける。しかし、これだけ激しく動いていればスタミナの消費は当然早くなる上、ほとんど動いていない魔王はスタミナを温存できる分、今後の試合展開を有利に運ぶことができる。


 そのアドバンテージに対してユイナが気づいていないはずもなく、増々焦りは募る一方だった。何とか状況を打開しなくては、そう考えてユイナは一度大きく距離を取った。


 そして、今度は魔王をかく乱するべく闘技場の壁際をぐるりと走り始めた。相手の虚を突くというのは、何も剣術だけに限らずフィールドを利用した戦い方だって存在するのだから。


 闘技場を周回しながら魔王の様子を窺うユイナだったが、彼の方は特に視線を動かすようなこともせずずっと中央付近で剣を構えたままだった。だと言うのに、彼の気配はずっとユイナ自信を追いかけているようで、まるで四方八方から常に視線を当てられているかのような錯覚を彼女自身が覚えていた。


(仕掛けるなら……。ここ……!)


 ユイナは魔王の真横から姿勢を低くした状態で一気に距離を縮めていった。今まで線で追っていた部分を点に変え、更に姿勢を低くすることで間合いをずらして動きを捉えにくくする。並の剣士であれば対応できず、簡単に切り捨てられていたことだろう。


 しかし、魔王はあたかもそう仕掛けてくるのを呼んでいたかのように下方から顎に向けて振られて剣の軌道から体を逸らして意図も簡単に躱してしまう。あと数ミリほど奥に踏み込んでいれば届いただろう剣は虚空を斬り、代わりに魔王からお返しがユイナの顔面に直撃した。


 下からボールのように蹴り上げられたことで壁に向かって一直線に体を飛ばされたユイナだったが、それもまた想定の範囲内の出来事だった。彼女は空中で体を一回転させると壁に自分の両足を付けてバネのように縮こまり、自分の魔力を開放して魔王へと差し迫る。


 自身の筋力、魔王から受けた力、そして魔力の合わせ技で弾丸と化した彼女の肉体は、自身が放つ中でも最強クラスの一太刀を魔王に浴びせることが適うものだった。


「やあああああああぁぁぁっ!」


「面白い! さあ、力比べといくぞ!」


 絶対に倒す、その意思を宿した瞳に魔王の姿を映し出し、大きく振り被った剣を大地を割く勢いで無我夢中に振り下ろす。その真っすぐな強い意思を乗せた剣は魔王の持つ黒い剣とぶつかり合い、巨大な魔力の波を周囲へと撒き散らすことになる。


 大地が悲鳴を上げ、漂う空気は恐怖によって震えあがり、それらの衝撃は天空すらも引き裂いて王国中に轟を与えた。衝撃が止むころには、ユイナ自身もどうやって行動したのか分からないほどに疲弊しており、いつの間にか闘技場の脇へと追いやられていた。


 どうやら、魔王に対して一撃を与えた後に衝撃に耐えられず吹き飛ばされたらしいことが分かった。その証拠に、地面のひび割れた後がユイナの足元について回るように続いていたのだから。未だに土埃が舞い闘技場内の様子が分からない中、実況解説の声がユイナの鼓膜を強く打った。


「何という凄まじい攻防戦……。思わず、実況も忘れて見守ってしまいました。ユイナ選手の強力な一撃は、今度こそ魔王を捉えました! これは、流石の魔王も万事休すか!?」


 しかし、直後に捉えた光景が全員の息を殺させた。土埃が晴れた場内の中心では、未だに魔王が無傷の状態で立っていたのだから。


 視線が固定させられたかのように、魔王から目を離すことができない。ユイナの打ち込んだ強烈無比な一撃すらも、彼にとっては立ち塞がる障害にすら鳴り得なかったのだ。


「どうした、もう終わりか? 我はまだ遊び足りんぞ」


「あ、遊び……ですって?」


「ああ、遊びだ。この程度の戯れなら、貴様らもよくやるだろう。同胞と肩を並べて遊戯に興じ、そして愛玩動物には己の思いの丈を注ぎ込む。我が望むはそれに非ず、もっと命を賭けた死闘のみ」


「……」


 ユイナはもはや、絶句する他なかった。ユイナにとって、最初の一刀から今までにかけては本物の勇者のつもりで決死の覚悟で魔王に挑んだつもりでいた。


 だが、彼からすれば単に友達や動物とじゃれていたに過ぎない程度のものだったのだ。弱者どころか、戦いとすら認識されていなかったことに軽く絶望感を味わわされる。


 どこまでも深い、真っ暗な闇の中に沈んでいきそうだった。いっそ、そうなってくれた方が楽だと思えるほどに、目の前の存在は天を突き抜けて圧倒的な強者としてこの場に君臨していた。


(こんなの、どうやって勝てばいいのよ……。格が、違い過ぎる……)


 自分の握る剣の柄に力を込めようとするも、上手く握ることすら叶わなくなっていた。腕を上げようとしても本能が相手と戦うことを拒んでしまい、ただ無防備に棒立ちになる他、選択肢は残されていなかったのだから。


「……これで終いか。期待外れも、良いところだ」


 失望の色に満ちた声音がねっとりと耳元に入り込んだと思えば、いつの間にか自分の目の前に魔王が立って剣を振り被っていた。冷酷な殺意に満ちた赤い月が自分を見下ろし、心臓の鼓動を射止めんとする出で立ちが脳裏に伝わってようやく彼女の体は言うことを聞いてくれた。


「引導を渡してやる」


 咄嗟に自分の身を守るために剣を盾にしたが、彼の剣をまともに受けた瞬間、急に体が軽くなった。飛び散った鋼の破片を認識して、自分の心が一緒に砕け散る音が鳴り響いた。


「あ、あぁ……」


 言葉にならない声を発したのが、彼女の最後の言葉となった。魔王の左拳がユイナの鳩尾へとクリーンヒットし、ほぼ同時に彼女の体は鋼鉄の壁へと思いっきり叩きつけられた。


 壁が砕けたにも関わらず肉片になっていなかったのは流石の勇者候補といったところだったが、壁と一体化したまま戻らなかったことが既にこの戦争の勝敗を物語っていた。ボロボロとなった彼女の至る所から血が流れ、とうとう生気を感じさせなくなったところで魔王は実況席へと赤い視線を差し向ける。


 見つめられた恐怖などもはや感じない、圧倒的な強さに対して手も足も出なかった様子を目の当たりにしてそんなことはどうでもよくなっていた。ただ目の前の現実を受け入れたくない、しかし自分の責務を果たさねばならないという葛藤の末、顎をカタカタと鳴らしながら実況用のアーティファクトに声を乗せた。


「……勝者は。魔王、イグニス……」


 彼女はそれだけ伝え終わると、自分の使命を成し遂げたことで力を使い果たしその場にへたり込む。あまりの無残な結果となったことに観客の誰もが意見を発することはせず、ただ魔王の作り出す殺伐とした雰囲気に飲まれ、悠久にも感じられるほどに冷たい静寂に身を委ねる他なかったのだった。

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