第49話 陰謀渦巻く闘技場

 大歓声が鳴り響く中、今回も自分ではない何者かに化けたモブAは闘技場の最後列の観戦席でユイナの準決勝戦を見守っていた。荒れ狂う竜が暴走した後のような有様に、流石の彼女も額から冷や汗が頬を伝うのを敏感に感じ取れるほど戦慄を覚えていた。


「彼女と相対したとき、ああは言ったけど……。やはり、侮ることはできない」


 学園の二年生ではあるが、年齢は魔王イグニスの妹なのだから当然年下だ。にも拘わらず、本来は先輩であるはずの学園生相手に無傷で、しかも闘技場の一部を破壊してまで勝つなど尋常ならざる事態だ。


 ユイナは今も剣を構えたまま仁王立ちしているが、モブAから見えている彼女の後姿だけでも怪物どもが裸足で逃げ出すほどの迫力を肌で感じ取れる。あそこに居座る齢十三、十四ほどの娘の皮など単なるまやかしに過ぎず、彼女の内で目覚めた鬼子としての力こそが本性なのだ。


 相手選手はと言えば、クレーターになっていた地面にめり込む形で気絶しているようだった。現在、救護班が生存確認を行っているようだが、モブAから見ると対戦相手の方は辛うじて生きているのだと分かった。


「相手選手も気の毒な。開幕早々、魔力を解放したユイナの剣一振りで沈められたのだから。あれでは、次に誰かと対峙したときにトラウマになりそうなものだ」


 無論、相手だって勇者候補が相手なのだから実力差が圧倒的なことくらいは承知していただろう。魔法剣術士にとって年齢や肉体の発達具合などは大したポテンシャルの差にはならず、それらは総魔力量で幾らでも補えるからだ。


「大事なのは技術力、そして魔力量。最悪、技術力が劣っていても魔力量でその差を埋めることが出来るのだから、全く勝負にならないなんて事態はそう起きるはずもない。だが、ユイナが相手の場合だけは別だったな」


 確かに、準決勝まで勝ち上がってきた相手の剣術はきっと学生レベルで考えれば褒められたものなのだろう。しかし、ユイナは象が蟻を踏み潰すかの如く圧倒的な魔力量を有していた。


 ユイナと比較して劣っている分の剣技を魔力で補おうとしても、そもそも撃ち合いにならなければ意味のない工作だ。最初から相手を叩き潰すつもりの、抵抗する余地もないような暴風を引き合いに出されたら力のない相手は吹き飛ばされるか、あるいは過ぎ去るのを頑張って耐える以外の方法はない。


 結果、暴風が相手選手諸共周囲を新地にしてしまったというだけの話だ。それもこれも、全ては自分が彼女を焚きつけたせいだというのはモブA自身も分かっていたことだが……。


「にしても、魔王様を引き合いに出すのはやり過ぎたか……。あの方には、妹君を焚きつけるためなら自分を口実に使っていいとのことだったが、人と言うのはやはり恐ろしい力を秘めた生き物だ」


 モブAはユイナがやって来る少し前の出来事を思い返す。それは、魔王がまだ浮世に溶け込む姿で道化を演じていたところから魔王イグニスへと切り替わる時だった。


 ネオ・ヨワイネがイオナに試合に負けて救護室へと運ばれるとき、モブAは彼が運ばれてくるであろう通路で既に待ち構えていた。ユイナよりも到着が早かったのは、端から彼の試合の結果を把握していたからなのだ。


 通路の向こうから担架が運ばれてきたが、彼らの姿が見えた直後、突如として救護班の面々が倒れ始めてネオを乗せた担架が放り出される。そして、その担架からむくりと起き上がった彼は特に怪我をした様子もなく軽く体についた埃を払って背伸びをした。


「いやぁ~、疲れたね。ようやく終わったって感じ」


「ネオ様、ご機嫌麗しゅう」


「やあ、モブA。今日はよく会うね」


「そんなことを仰ってる場合ではありません。すぐに、ユイナ様がご到着されます。御身は、すぐに姿を隠されるべきかと」


「分かってる。でも、その前に……。例の計画はどうなっている?」


「っ!?」


 さっきまでのネオとしての魔力圧とは比べ物にならないプレッシャーがモブAへとのしかかる。鋭くも冷徹な眼光から放たれる威圧は、正しく獲物を狩る時の猛禽類のそれだった。


 圧倒的な弱者であるモブAは、ただそれに屈することでしか許しを請うことはできない。学生の皮を被っていようと中身は魔王そのもの、その恐ろしさを思い出させられていた。


 額から脂汗を滲ませつつも、何とか身を低くして体裁を保ちつつ報告をする。


「その、大変申し上げにくいのですが……。ルードリヒがこの会場で何かを企んでいることは間違いないのですが、この会場自体に仕掛けは施されておりません。それは既に確認済みです。つまり、彼は何かしらのアーティファクトを持ち込んでいるものかと」


「アーティファクト? そうか……。また、アーティファクトか」


「はい。幸い、目的はハッキリとしています。奴らは生徒から魔力を収集することに注力していますから、それに関係のある何かであることは推測できます。ただ、その物が分かりません。どのようなものなのか、調べる必要があります」


「ふむ……。どんなものか分かれば、調べはつくのか?」


「? はい。何か、手掛かりのようなものがあれば……」


「ならば、イオナ・エンペルトの過去を洗え。奴は、元々はルードリヒの娘だ。出所のヒントは、そこにある」


「イオナが、ルードリヒの……? そんな情報はどこにも……。いや、揉み消されているせいで情報が出て来ないだけの可能性はあるか……。なら……」


 最後尾、「恐らく、きっと、たぶん……」という弱々しい声が聞こえた気がするが、きっと幻聴だろうとモブAは思い直す。これも全ては彼の魔力に当てられて弱気になっているせいだ、何故なら魔王が間違えることなど何一つないのだから。


「すぐに、班の者と連絡を取り洗い直しを致します。きっと有力な情報を得て見せます」


「期待しているぞ」


「はっ、感謝致します」


「では、我は行くぞ。もうすぐ、魔王の出番になるだろうからな。後のことは任せた」


「かしこまりました、魔王様」


 彼はすぐに目の前から消え去ると、廊下にぽつりとモブAだけが取り残されることになった。彼女はすぐさま通信用のアーティファクトである宝石を手に取り、手短に連絡を済ませる。


「ルードリヒとイオナの過去を洗え。急ぎだ」


『かしこまりました、班長』


 すぐに通信を遮断すると、今度は向こうからこちらへと急いで向かってくる足音が近くなってくる。彼女はすぐさま気配を最大限消せるよう壁にもたれ掛かって息を殺す。


 こうして彼女は初めて、ユイナ・ヨワイネと一対一で会話することになったのだった。


「……さて、あと一時間もしないうちに決勝戦が始まるな。報告はまだだろうか……」


 回想が終わった後も、彼女は相変わらず試合場の風景を眺めながらアーティファクトが鳴るのを今か、今かと待ち構えていた。魔王イグニスが動き出すのは恐らく、ユイナとイオナの決勝戦が終了した後のことになるだろうと予測すると、時間にしてあと三十分もない。


「かなり無茶な時間設定ではあるが……。これも仕事の内だ。何とか、三十分で有力な情報を見つけてきてほしいものだ」


 モブAとしては、ルードリヒのところまで行きたいのは山々だが、あそこは警備が厳重な上にルードリヒ、アリスティアと抵抗されたら厄介な相手ばかりが集っている。ここで下手に騒ぎを起こせば逃げられる可能性もあり、確実に詰められるタイミングで詰めるには物の正体が明らかになっている必要がある。


 魔王軍の存在も、魔王やルナが許可するまでは公にすることはできない。結局、今は待つのがお仕事という非常に歯がゆい立場になってしまっている。


 不意に、退場しようとするユイナを眺めていたら彼女が一瞬こちらに視線を向けた気がした。先ほどと姿を変えてはいないが、それにしてもこの大群衆の中から自分をピンポイントで見つめてきたのは流石勇者候補と言うだけはある。


 すぐにでもこちらに飛び掛かって来るかと思いつつ、彼女は大人しく退場口から出て行った。どうやら、一般人を巻き込んでまでこちらと事を構えるつもりがないくらいには理性的らしいが、人気が無くなったらどうなるかも分からない。


「……一応、姿を変えておくか。今、ユイナ様に見つかるわけにはいかないのでな」


 モブAは観客席を誰にも悟られることなく離れると、すぐに魔力で自分の姿を作り替えていく。今度はどんな道化へと転じようか、そんな細やかな悪巧みを講じながら自分の任務を遂行すべく暗躍を続けるのだった。

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