第38話 絶対勝てない相手にだって、気合と気迫があればきっと勝てるんだ(絶対無理)
突如として叩き起こされた「それ」は、自身が台風の目となり森中を暴走機関車のように駆け抜けていた。
体の上からかかった非情なまでの重圧……例えるなら、子供が寝ている親の腹にダイブするかのような衝撃が走り、痛みと共に絶叫を吐き出させられて体温は沸点を軽く超越してしまっていた。
こんな悪行を働いたのは一体誰なのか? 必ず見つけ出して後悔させてやる!
怒りで赤く染まった思考を通して真っ赤な視界の中に映るそれらしき人物を手当たり次第に蹂躙していく。それが犯人かどうかなど彼には関係がない、とにかく怒りを晴らせるまで止まることは絶対にないのだ。
鋼で作られたかのような八本の鋭い剣で大地を割き、莫大な質量を乗せた自身で森の木々を薙ぎ倒し全身を続けていると、目の前に黒髪黒目の青年が現れた。何の変哲もない、魔力のまの字さえ感じさせない無力な青年、狩るには丁度良い獲物だったが怒りを蒸発させることの方が彼にとっては重要だった。
鋭い爪の先を彼の体に突き立て、容赦の欠片もなく骨と肉を抉りきる。そこから、邪魔になったゴミ同然の肉塊を向こうの木々に叩きつけるように放り投げた。
ざまあみろ、これでまた羽虫が一匹潰れたぞ。
気分が段々高揚してきた彼の視界に、次の獲物が映り込む。さっきの青年よりも魔力が断然強く、そして戦う気満々で腰の剣を手に取った彼女は生きの良い獲物だったのだ。
……。
「キシャアアアアアアアアアアァァァァァ!」
「筋肉どころか骨も無さそうな奴なのに、どこからそんな馬鹿デカい声が出せるのかしら?」
アリスティアは突如として目の前に現れた魔物、ギガスパイダーを戦意の宿った勇ましい眼差しを向けるべく見上げていた。体長十メートル強、黒い鋼鉄の八本足と銀色の胴体、そして獲物を見つけたらしい彼の触手みたいな口からはダラダラと緑色の気色悪い液体が垂れ流しになっている。
その液体が地面に落ちると、ドロドロと地面を溶かして小さな凹みを形成した。どうやら、あれは強力な酸で構成された溶解液らしい。
向けられる殺意は体全体を貫くほどに刺々しく、今にも肺が潰れそうなほどのプレッシャーに奥歯を食いしばって耐える。足の裏が地面に食い込むくらいに気を張り、腰から抜いた剣を殺意の代わりとしてキモイ顔の脳天に向けた。
「あの馬鹿はさっさとやられたみたいだけれど、私はそうはいかないわよ? あいつが身を犠牲にして守ってくれたこの命を全身全霊で振り絞って、あなたを倒してあげる! 私はもう、逃げないって決めたんだから!」
アリスティアが空へと駆け上がる。魔力を宿した剣を水平に構え、王国剣術流の鋭い突きを赤く実った目玉をくり抜く勢いで繰り出そうとする。
刹那、横から背中を逆撫でするような嫌な寒気を感じ取る。彼女は攻撃を中断、直感のままに自分の脇腹へと剣を滑り込ませるようにして盾を作る。
瞬間、彼女の視界があちらこちらへと転がった。上も下も分からないまま思考は停止、近くの木の幹に叩きつけられたことで与えられた背中からの激痛でようやく自分が何をされたのか理解する。
「やってくれたわね……。一刻の王女からの一撃をハエでも殺す時みたいに打ち払うなんて……」
針のように細い蜘蛛の足から繰り出されたとは到底思えないような、巨大なハンマーで殴られたかのような重い一撃だった。剣の腹に直撃した瞬間、自分の腕力が飛んできた質量に耐えられずに吹き飛ばされたのだ。
「骨は……辛うじて折れてない。けれど、凄い痺れね。直撃してたら、肋骨や腕の骨折だけでは済まなかった」
必死の思いで立ち上がることはできたが、右腕が上手く持ち上がらない。剣の柄を握っているという感覚が消失し、代わりに筋肉の震えで電撃に触れているときのような痺れが脳へと応答される。
だった一撃貰った、起こった事象はシンプルだが既にアリスティアはフラフラで虫の息だ。今すぐに逃げ出さないと、確実に殺されてしまうだろうことは客観的に見ても明らかだった。
しかし、ギガスパイダーがそれを許すはずもない。獲物を前にした魔物は、一兎のウサギだろうと全力で狩るものだ。
「キシャアアアアアアアアアアァァァァァ!」
汽笛の音に代わって鳴り響いた嬌声が合図となり、アリスティアの眼前に空を覆い尽くすほどの巨躯が迫り来る。咄嗟に左に飛んで躱したが、勢いを殺しきれずに突っ込まれた木々は根本からポッキリと折れてしまっていた。
あれがもしも直撃していたら、あの蜘蛛の足元にあったのは潰れた自分の肉塊だっただろう。彼のように腹を貫かれて投げれられるだけでなく、体中の穴という穴から体液が溢れて地面のシミになっていたかもしれない。
「……気持ち悪いわ」
腹の底から胃液が上がってきて、喉奥から舌の腹にかけて苦くて酸っぱい味が広がる。血肉が噴き出すほどの痛みを味わう前に、喉の内側を焼くような痛みが呼吸をするたびに伸び縮みを繰り返す。
唾液を飲み込みたくても痛みで飲み込めず口の中が洪水状態、頭の中もズキズキ痛んで今にも脳みそが収縮しそうだ。
「……でも、私は逃げないし逃げたくない。こんなところで立ち止まってるようじゃ、姉様と一緒に暮らす世界を作るなんて夢のまた夢だもの」
気をしっかり持て、アリスティア。自分に言い聞かせて、再び王国剣術流の構えを取る。
「まずは、足一本……。足を失えば、あの巨体を支えるのが難しくなるだろうし、機動力も減るはず」
興奮で荒立ったギガスパイダーが、またしても迫りくる。いくら魔力があるとはいえ、最高速度で走り迫る汽車に対して剣を突き立てるなど余程の腕力と魔力量が無い限りは一秒も止められず撥ねられるのがオチだろう。
そのため、アリスティアは後ろの木の幹を足場にして大きく宙へと飛び上がり、突っ込んできた蜘蛛を頭上から躱して背後に回り込む。しかし、ギガスパイダーも負けじと振り返りざまに口から緑色の液体を吐き出す。
鋭い反射神経で円を描くように移動しながら溶解液を巧みに避けて接近、巨大蜘蛛はアリスティアは串刺しにしようと体を大きく仰け反らせて前脚を振り上げた。
天から振り下ろされた強力な鉄槌を蜘蛛の腹の下を潜り抜けることで難なく避け、スライディングで通り抜けた蜘蛛の背後からまずは後ろ足一本を奪うために振り返りながらありったけの魔力を込めて剣を叩きつけた。
カキン! 蜘蛛の足から鳴ったとは思えないほどの甲高い金属音が、弾かれた剣と一緒にアリスティアへと帰ってきた。剣の柄をしっかりと握っていてもなお、どこかに飛んで行ってしまいそうになるほど彼の足は並外れて硬かった。
「今の私には、勝てない相手……。でも、一回で斬れないなら、何度でも斬ってやる!」
アリスティアは雨に打たれてもしなる柳の如く精神力で立ち上がり、再び巨大蜘蛛に対して剣を振るった。しかし、二度目も非情で無慈悲な金属音が跳ね返るばかりで手応え自体がない。
「まだよ! まだやれる!」
アリスティアは何度も、何度も、何度も。迫り来る強敵の刺突や溶解液を機敏に躱しながら足を攻撃し続けた。何処を攻撃しようと弾き返されてしまってダメージにもならないが、今のアリスティアの心の支えは他の誰でもない姉の後ろ姿だった。
(姉様が、私のために私と離れる覚悟をした……。身を裂かれるような思いだったに違いないわ。その覚悟を、絶対に無駄なんかにしない!)
脇目も振らず攻撃を打ち込み続けるが、まるで効果は現れない。剣を突き立てようと打ち付けようと叩きつけようと、傷一つ与えられないのでは意味がない。
「キシャアアアアアアアアアアァァァァァ!」
幾ら攻撃されてもダメージがないとは言え、自分の周りでウロチョロとハエが集っていたら鬱陶しく思うものだ。いい加減、彼女の言動に嫌気が差したらしいギガスパイダーはアリスティアの攻撃が弾かれた隙をついて鋭い前脚を繰り出した。
「まだ、よ!」
本当は分かっている、こいつには勝てないと。けど、逃げることだって叶わないのだ。
列車と同等以上の速度で動ける相手から逃れる方法があるなら、教えてもらいたいくらいだとアリスティアは内心舌打ちする。故に、生き残るには戦って勝つ以外の方法はないのだ。
だからこそ、アリスティアは諦めるわけにはいかない。
「ユリティア姉様との約束を、絶対に果たすまで! 私は絶対に諦めたりしない!」
その場で他の魔法剣術士が見ていたら、誰もがやられたと思ったことだろう。アリスティアの顔目掛けて一直線に、鋼鉄に等しい前足の鉄槌が迫り来る。
アリスティアは足裏へと魔力を全力で回し、全ての力を振り絞って思いっきりしゃがんで見せた。
金髪の髪が何本か犠牲になるが、アリスティアはそれを諸ともせず狙いを定めて巨大蜘蛛の前脚へと野獣の如く気迫を伴い飛びかかった!
「精々食らいなさい! 私の渾身の、一撃を!」
アリスティアの魔力を帯びた剣が巨大蜘蛛の前脚に迫る。紫色の魔力の軌跡が光の帯を織り、やがて美しい半円を描きながら剣は対象の脚へと到達した。
また駄目か、そう思われた時に違和感が目を瞑ったアリスティアに襲い掛かる。弾かれるはずの剣が振り抜かれた感触がしたのだ、未だに直進を続けているのがその証拠である。
驚きの表情を隠せないまま、即座に次の攻撃を警戒しつつ振り返る。目を見開いたアリスティアの赤色の液晶帯に飛び込んできたのは、中脚の一つを切断されてバランスを崩したギガスパイダーだった。
「キシャアアアアアアアアアアァァァァァ!?」
「いける、今の私なら!」
勝利を確信したアリスティアの口角が上がった。これは奢りでも謙遜でもなく、また油断でもなく、自分の技が相手に通用するようになったという高揚感から来たものだ。
アリスティアは苦しみ悶える魔物の足元に回り込み、また一つ脚を綺麗に切断した。そこからおかわりついでに三本目も貰っていく。
流石に三本もの脚を失うと体を支えるのも、難しくなってきたのか動きが鈍足になる。その虚を突くように更に二本の脚をアリスティアが切断すると、いよいよ巨躯を維持できなくなり地面に崩れ落ちた。
それでも、アリスティアを殺すことを諦めていないギガスパイダーは口から溶解液を吐き出し続けて抵抗する。だが、それもアリスティアが彼の頭の上に立った時点で詰みだった。
「あんたはここで死になさい。代わりに私が、あんたの残りの人生分も含めて姉様と一緒に楽しく生きてあげるから」
そして、彼女は渾身の魔力を込めた剣を巨大蜘蛛の脳天へと突き刺した。案外、悲鳴や絶叫を上げることもなく静かに赤い瞳から光を失わせ亡骸へと還った。
「……終わりね。後は、討伐の証になる目玉でも貰って帰りましょうか」
「終わったみたいだね」
突如、茂みを掻き分ける音が森の奥から聞こえてきて、徐々に近づいてくる足音が大きくなるのでアリスティアは警戒して魔物の頭部から剣を引き抜き身構える。
やがて姿を現したのは、制服を血塗れに染め上げた平々凡々な容姿の冴えない男子学生にしてアリスティアの自称奴隷なネオだった。制服には完全に風穴が開けられており、見るからに相当な出血だったはずなのに何故か立って歩いているのが不思議なくらいだ。
「あんた、生きてたのね」
「生きてるよ。僕のことを勝手に殺したばかりか、戦闘中に気にしすらもしなかったでしょ」
「してたわよ、きっと。頭の片隅の、ほんの隅っこくらいでね」
「そんなの、もう数十年会ってない元クラスメイトみたいな感じで結局何も考えてないじゃん」
「はいはい、すみませんね。流石に、あれは死んだって思ったわよ。頭が潰れたみたいな音してたし」
アリスティアは適当に謝りつつ、さっさとこっちに来なさいとクールな視線を向けながら淡々とした声音で指示を出す。
「え、ここはどう生き残ったのか聞いてくれる場面じゃないの?」
「どうだっていいわよ、そんなの。どうせ、別の肉がクッションにでもなったんでしょ。そんなことより」
「そんなことより〜……?」
「さっさとこのデカ物の処理を手伝いなさい。肉壁になって私を守ったご褒美に一緒に倒したことにしてあげるから」
「もうその暴虐っぷりっていうか、身勝手さっていうか? そういうのが凄すぎて怒りも湧いてこないよ」
「さっさとしなさい。返事は?」
「……はい」
ネオは嫌々だったが、なんだかんだ言ったなんだかんだ言って結局は手伝うことになった。この時、ネオの内心は「王女、いつか恨み晴らせてなるものか」と嵐の日の如く穏やかでなかったことは言うまでもない。
そして余談だが、二人の魔物討伐の成績は学生においては勇者候補のユイナに次ぐ歴代二位の成績を収めることとなった。
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