第35話 武闘会っていう大会があるらしいけど、参加するつもりないからね?
ユイナと朝食を済ませた後は、当然の流れで一緒に登校することになった。その間、学校生活のことを色々と聞かれたけれど、やっぱりシュウヤのことに関しては信じてもらえなかった。
「ですが、兄様にお友達がいらっしゃるのは素晴らしいことだと思います」
「そういうユイナはどうなの? この間、廊下ですれ違った時はコミュ障っぽい感じだったのに」
「こみゅ、しょう?」
「他人とコミュニケーションを取るのを苦痛に感じたり、辛いって感じたり、あとはそういうのが苦手な人のこと」
「はぁ、兄様から見たら私ってそう見られてたんですね」
「そりゃ、碌な話もしないから」
「それは、格好良い兄様がお相手だからです。学校では普通にお話もしますし、お友達も少なからずいますよ。勇者候補として、各方面と人脈を築くのも大事ですからね」
「ふーん?」
これが、きっと僕の知らなかったユイナの一面なのだろう。ずっと引っ込み思案で、喋るのが苦手だと思っていたけれど、実際は快活にコミュニケーションを取れる子だったらしい。
「それならさ、どうして僕に対してはオドオドするの? 兄妹なんだから、もっと親しみを持って接してくれても良かったのに」
「そ、それは……。まだ、言えませんわ。恥ずかしいですもの」
「そういうものなのか」
ユイナはどうして、頬を赤く染めているのだろう。そんなに少し思い出すだけで恥ずかしいことと言われると少し気になったりもする。
あれか、思春期特有の病にでも侵されていたのだろうか。それが、事故のショックで治った的なやつだとしたら説明がつかないこともない。
本人が恥ずかしいと感じているのなら、これ以上追求するのは野暮というものだ。僕も人に秘密を探られるのが嫌いなように、きっと他人も抱えたい秘密の一つや二つはあるだろうからね。
そうこうしているうちに学園がまた鼻の先まで見えてきた。ようやく、校舎の入り口まで着いたらお別れになる。
「そろそろ、離れ離れになってしまいますね」
「大袈裟だね。別にいつでも会えるじゃないか」
僕は何気ないことを言ったつもりだったのだけれど、ユイナの表情には暗雲がかかり始めていた。
「いつでもと言われましても……。この間、賊に拐かされたばかりではありませんか。私、不安なんです。また、兄様が遠くに行ってしまわないか。私のいない間に、フラッと消えてしまったらと考えると、怖くて仕方がありません」
そうか、あの一件以来ついて来ていたのは、僕が心配されていたからなのか。自分は何とでもなるから平気だと思って、そういう可能性を切り捨ててしまっていた。
そもそも、ユイナが兄のことを本気で心配するような人格の持ち主だということも初めて知った。今までの彼女も、口にしないだけで本当は妹らしいことをしたかったのかもしれない。
「僕は大丈夫だよ、ユイナ」
隣を歩く彼女の頭に手を置き、アテナにする時みたいにそっと撫でてやる。僕はまだ妹のことがよく分からないし苦手だけれど、彼女には健やかに育ってもらいたい。
全ては、魔王として彼女と矛を交えるため。それまでは、兄として妹の成長を温かく見守ろう。
「僕のことは心配しないで。そんなことより、勇者としてやらなきゃならないことが、まだ沢山あるだろう?」
「ですが、私は兄様の方が……」
「僕も、先の一件の時みたいなことが起こらないように人一倍努力するからさ。だから、ね?」
「……兄様が、そう仰るなら」
兄を慕ってくれる妹に対しては少し冷たい、突き放した表現なのだろう。けれど、いつまでも過去に囚われていては前に進めないのだから、兄として厳しくとも必要な教育なのだ。
「あ、兄様。校門の前にイオナさんがいらっしゃいます」
「あ、本当だ。よく見ると、シュウヤもいるね」
人が普通に往来するど真ん中で、何やら言い争っている様子。他の人たちは関わらないように避けて通っているみたいだけど、何かあったのだろうか?
「心配ですね。行ってみましょう」
「行くの? いや、心配だけどわざわざ関わらなくとも……」
「友人が困っていたら、助けるのが普通です。さあ、行きますよ」
「えぇ……」
ユイナが僕を逃してくれるはずもなく、仕方なく同行することになった。向こうもこちらの接近に気づくと、笑顔で朝の挨拶をしてくれた。シュウヤの方はイオナさんに耳を摘まれて痛そうに顔を顰めている、
「おはよう、お二人さん。今朝は悪かったな」
「おはようございます。別に大丈夫ですよ」
「おはようございます、イオナさん。一通り紹介はしておきましたから、ちゃんと自分の口で今一度自己紹介してください」
イオナはシュウヤの耳を摘んで離さないまま、「はいはい」と面倒そうに返事をした。ユイナの方が明らかに年下のはずなのに、これではユイナの方がお姉さんだ。
「あたしは、イオナ・エンペルトだ。ここにいるシュウヤ・エンペルトの姉で、ユイナとは友達だ。いつも、弟が世話になってんな。最近、ネオって友達ができたって言われてから、そいつとの話ばかりでよ」
「そうなんですか?」
「ちょっと、姉上。そんな恥ずかしいこと言わなくてもいいじゃん」
「うるせえ。それより、友達が挨拶してんだからシュウヤも挨拶しろってんだ」
耳を斜め上に引っ張りながら適度に力加減を変えると、シュウヤが痛そうにしながらも「おはよう、ネオ……」と声を搾り出す。今のシュウヤは、押す場所によってセリフの変わる人形扱いだ。
「それから? ユイナにも、ちゃんと自己紹介」
「は、はい……」
この人、自分のことは棚に上げてシュウヤにユイナへの自己紹介を促してる。またしても、シュウヤの耳への力加減を変えて背中をバシバシと叩くと彼は自己紹介文を言い始める。
「初めまして、ユイナちゃん……。俺は、シュウヤ・エンペルト。姉上の弟をやってる。よろしく」
「ええ、こちらこそご丁寧にありがとうございます。ユイナ・ヨワイネと言います」
ユイナも可愛らしくお辞儀をして挨拶を済ませるが、まだまだイオナはシュウヤを離す気はないらしい。度々、逃れようとする動作は見せているのだけれど、イオナが上手く力をコントロールして引き留めているようだ。
「……姉上、そろそろ解放して。これからネオとの友情を育みたいんだけど」
「駄目だ。お前が武闘会に参加しねえ理由をまだ聞いてねえからな。ネオも、構わねえよな?」
「ネオ、助けてくれ! 頼む、今度ばかりは……」
「どうぞ、お構いなく」
「……今度ばかりは」
「お構いなく」
見捨てやがったなこの野郎、みたいな涙目をこちらに向けてくるけど、こっちこそ勝手に巻き込まないでほしい。ここ一ヶ月間の交流で、僕はシュウヤとの間に微塵の友情も感じたことがないのだから。
「ところで、武闘会って何?」
素朴な疑問だった。僕は授業後のホームルームも話を右から左に聞き流してるから、自分に関係なさそうな話は記憶に残らない。
「兄様、流石にそれは妹として恥ずかしいです。全校生徒に、もう一週間も前から周知されていますよ?」
「そうなの?」
「そうなんです。ですが、そんな兄様のために私が手取り足取り教えて差し上げます」
「手足は取らなくていいから、言葉で伝えてよ」
「あら、つれない人。ですが、そんないじらしいところも愛してます」
ちょっと機嫌悪そうに頬を膨らませたと思えば、今度は頬を赤くして照れ始めたりと表情の変化が豊かで忙しない。本当に自分の妹なのか疑うレベルの変容っぷりには驚かされてばかりだ。
「それなら、あたしが説明してやる。シュウヤも今一度、ありがた〜く聞いとけ」
「う、うす……」
シュウヤがもう逃げられたいと観念したようで、干上がった魚のように急に大人しくなった。ユイナも自分が説明したかったと顔に堂々と書いてある膨れ顔だったが、会話の流れに水を刺すほど野暮でもないらしい。
「武闘会は、年に一度この学園で開かれる魔法剣術の大会だな。授業や日々の鍛錬で培った自分の研鑽を披露するんだと。参加は自由、エントリーシートを提出するとその中から抽選されて当日にトーナメント方式で試合は進行する」
「ああ……。そう言えば、そんなのもあったような……。参加する気ないから、聞き流してたけど」
「兄様……。というか、参加なさらないのですか?」
「うん。そういうユイナは?」
「私は当然、参加します。今の自分のままではダメなんだと、つい先日思い知らされましたから」
僕は急に深刻そうな顔になったユイナに「ふーん」とだけ言っておく。彼女が入院したのは確か、ルナと交戦したことが原因だったとか……。
本人は軽く怪我した〜みたいなことだったけれど、ルナから聞いたことによると彼女がコテンパンにしてしまったらしい。まあ、ルナは僕の右腕なんだからユイナ程度じゃ勝てないのは分かってたけど、まさか折れた心が肉体と同じかそれよりも早く再生するなんて流石は勇者メンタルと言ったところか。
「確か、優勝した時の報酬は剣聖との模擬戦だったよね?」
少し感傷に浸っているらしいユイナに代わって話の続きを僕が促すと、イオナがその通りと頷いた。隣で「何で模擬戦の話は知ってるんだ?」みたいな視線を向けられたけど、剣聖とは一度戦ってみたかったから何となく記憶に残ってただけだ。
「まあ、それだけじゃないがな。普通に賞金も金貨十枚くらい出る。が、それより魅力的なのは国の偉いさんに自分の存在をアピールできる数少ない機会だからだな。今回の場合は、アリスティア王女殿下が貴賓席にて試合をご観覧なさるらしい。彼女に気に入られれば、将来は王国騎士団配属も視野の範囲内に入ってくるだろう。あたしたち魔法剣術士が将来を安泰に過ごすため、参加する理由としては十分だろ」
うーん、一通り話を聞いてもやっぱり僕に魅力を感じさせてくれるような所が一つもない。金貨十枚は魅力的だけれど、それと魔王であることを隠しながらトーナメントを勝ち抜くリスクとは見合ってないし……。
それに、何よりアリスティアに気に入られるってところが嫌だ。あの野蛮な狂犬にこれ以上目をつけられると、次は全身串刺しの刑じゃ済まされないかもしれないし。
「だってのに、うちの弟は参加しねえとか言いやがる。百歩譲って冒険者になるためだとしても、国へのコネは作っとくべきだろ。冒険者として大成したいなら、自分が戦える奴だってアピールしねえと」
「だから、俺はコネなんかでのし上がりたくないっての! 真っ当な実力で戦いたいんだ」
「コネを作るのも、作ったコネを利用するのも真っ当な実力だろ。いざって時、仕事を斡旋して貰えるかもしれねえし、選択肢は増やすべきだ」
「それに、剣術大会は普通二年生からのエントリーだろ。入って間もない一年が出ても弱過ぎて恥をかくだけだって!」
「自分より強い相手と戦うことのどこが恥だ。これも経験、一年からちゃんとやれば二年目からの大会の雰囲気も掴めるだろうが」
この人、口も柄もあまり良くないなって思ってたけど、意外と真面目なこと言ってるし、滅茶苦茶弟思いだな。
「イオナさんは、あれで弟さんを溺愛していますし、私を除けば間違いなく学年主席レベルの成績ですから当然です」
「あ、声に出てた? というか、そんなに凄かったんだ」
「エンペルト家は名家ですから。それに、彼女自身にも強くなりたい強烈な願望もあるようですし、まだまだ成長しそうです。私、とっても楽しみですわ」
やっぱり、格式高い家は周囲からの目を気にして下手な成績は取れないのだろう。僕の目から見ても彼女はもっと強くなれそうな魔力を持ってるし、魔王の敵としてちょっとくらいは気にかけてもいいかな。
さて、あんまりお邪魔しても悪いし、僕はここらで……。
「そうだ、でしたら兄様と一緒に参加なさるのは如何ですか?」
「……え?」
「マジで!? それなら、俺も少しは出たいと思わなくもない!」
「本当か? こいつがやる気になるなら、あたしとしてはそれが一番ありがたいんだが」
「私も、個人的な理由で兄様には是非とも出場してもらいたいと考えておりましたし。後は、兄様からご許可をいただくのみです」
「ちょっと待って。僕は出ないよ? 絶対に」
ユイナがとんでもない爆弾を爆発させたせいで、事態が僕の予想しなかった方向に傾こうとしている。勝手なことをされて、自分が魔王であることがバレるようなイベントには極力参加したくないのだけど……!
「ネオ、そこを何とか頼む! 武闘会に向けての練習もちゃんとやるからよ! 友達を助けると思って!」
「別に助けたいと思えるほど、お互いの距離縮まってないよね?」
「冷たいこと言うなって! このまま出場しないと、姉上に全身串刺しにされかねないんだ! な!?」
今回ばかりはシュウヤも必死らしく、ユイナからもたらされた一本の細い蜘蛛の糸を掴もうと頼んでくる。でも、僕はそれを断ち切るべく全力で対抗する。
「嫌だったら嫌だよ。僕は出る気はない」
「兄様……。友達の助けを無碍に断るのはいただけないかと。私もこの大会に出場しますし、一緒に参加しましょう?」
「それこそ、僕の方が恥をかきそうだ。ユイナは勇者候補で、僕は赤組底辺剣士なのに。それこそ、相手のオモチャにされるのがオチだって」
「まぁまぁ、参加することに意義があるのですから」
「それは持てる者だから言えるセリフなんだよ」
すると、ユイナは「はぁ」と大きな溜息を吐いた。もうやれやれって感じで肩を落とし、イオナにも「すみません」と謝った。
「兄様は出たくないそうです。流石に、無理強いはしたくありませんし……。私が推薦状を書ければ良かったのですけど」
「推薦状?」
「はい。学園で上位の成績を収めている生徒には、相手を名指しで推薦し武闘会に参加する権利と義務を与えられるんです。推薦された側は断ることはできません」
「なにそれ。強制参加ってこと?」
「ですが、推薦されるということは期待値が高まるということ。それだけ、大会でも注目されます。私は年齢が本来の規程より前に入学していることもあり、その権限は与えられてないのですけどね」
良かった、セーフ! これで僕が名指しで指名されることは無くなったわけだ。
「なら、仕方がねえな。あたしは推薦状を使えるから、この情けない弟を指名するとするか」
「待ってくれ! そんなのあんまりだ! ネオ! マジで助けてくれないのかよ!」
僕は内心で飛び跳ねるほど喜びつつ、神妙な面持ちで手を合わせておいた。シュウヤ、どうか死なないように頑張ってくれたまえ。
シュウヤは絶望に満ちた暗い表情で、とうとう観念したようだ。よし、これで一件落着……。
「じゃあ、僕たちはこれで……」
「あ、大丈夫よ。ネオのことは私が推薦しておいてあげたから」
サラッと、ここにいるはずのない第四者の声が通り過ぎて行った。短い金髪と蒼いクールな瞳を持つ、とても落ち着いた声音の彼女はわざわざ僕たちに見えるよう推薦状をチラつかせながら校舎に入って行った。
こんな悪趣味な行動をしながら、愉快そうな笑みを浮かべられる人間なんて一人しか知らない。僕は込み上げてきた怒りやら何やらの諸々を躊躇せずに吐き出した。
「よくもやってくれたな! アリスティアァァァァァァ!」
僕の悲鳴にも近い叫び声が学園中に轟いた。結局、地獄へと落ちたのは僕一人だけで、他の三人はきっちりと蜘蛛の糸で救済される運びとなった。
ここから得られる教訓は、自分がしたことは自分に返ってくるってことだ。そんなこと、知りたくもなかったけどね。
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