第16話「ロシアンティー」

 紗良様のお出迎えが終わってしばらくした後、私はダイニングルームにやって来た。


 すると、そこにはお兄様がいた。ティーセットをテーブルに広げ、紅茶を楽しんでいたようだった。


 部屋には良い匂いが立ち込めている。


「あ、お兄様」


「おう、ドゥーシャ」


 紅茶を啜る手を止め、私に向き直るお兄様。


「お茶を楽しんでたんですか?」


「ああ、丁度目当ての茶葉が手に入ったからな」


 お兄様の唯一と言っていい程の御曹司らしい趣味。それが紅茶だった。よくダイニングルームでお茶を楽しんでいる姿を見かける。


「もう! 紅茶も良いですけど、紗良様がお帰りになられたんですよ」


 と、私は頬を膨らませる。


 先程の紗良様のお出迎えにお兄様は姿を現さなかった。


 紅茶に夢中になるのは良いが、実の妹の事をないがしろにするのは頂けない。


「どうしてお出迎えに来なかったんですか。酷いですよ、お兄様」


 私は紗良様の代わりのつもりでお兄様に怒る。


「後で紗良様にしっかりと謝って下さいね! 私、おこだよ!」


「……なんで、お前が怒ってんだよ」


「妹をないがしろにする兄なんて嫌いになっちゃいますよ、私」


 私がそう言うと、お兄様は困ったような笑みを浮かべて手招きをする。


「おいで、ドゥーシャ」


 お兄様は立ち上がると、隣の椅子を引いて私をそこに座らせる。


「ちょっと、待ってろ」


 数十秒後、お兄様は私の分のティーセットを用意して、紅茶を淹れてくれた。


「どうぞ、お嬢様。紅茶のご用意が出来ました。どうぞお召し上がり下さい」


 そう言って芝居がかった恭しい仕草で私に紅茶を差し出す。


「こちら、数種類のジャムも取り揃えておりますので、ご自由にどうぞ」


「わあ」


 と、目の前に並べられた色とりどりのジャム瓶に私は目を輝かせた。


「茶葉もジャムも、最高級の逸品と自負しております」


 そこで、私は気が付く。


 私にはその経験がないのですぐには分からなかったが、これはロシアンティーと呼ばれる紅茶とジャムを合わせた飲み方なのだろう。


 私はお兄様を見上げ、もしやと尋ねる。


「もしかして、茶葉もジャムも私のために用意したものなの?」


「さあ、どうだろう」


「……お兄様」


 紅茶缶もジャム瓶も良く見ると、ロシア語表記のものだった。わざわざ向こうから取り寄せたのだろう。


 私は込み上げて来るものがあり、思わず目頭を押さえた。


「……う、うれしいよぉ……うれしいよぉ……わ、わたしのために……わざわざ……うれしいよぉ……!」


「ば、ばか! 泣くなよ。さすがにこれで泣くなよ!」


「泣くよ! さすがに泣いちゃうよぉ……ばかおにーさま……!」


「……お、おう」


 私は涙を流しながら、お兄様の用意してくれた紅茶を楽しむ事にした。


「……た゛い゛へん゛おい゛しい゛お紅茶です゛わ゛!」


「な、泣きながら飲むなよ。それにどうしたその口調」


「わ゛たく゛し゛……おじょう゛さ゛ま゛でして゛よ゛!!」


「お、おう。あ、本場の飲み方はジャムを紅茶にぶち込むんじゃなくて、スプーンでジャムを舐めながら紅茶を啜るのが正しいらしいぞ。そのためにスプーンをたくさん用意し____」


「の゛み゛方ぐらい゛好きに゛させ゛てください゛ま゛し!!」


「すみませんでした」


 紅茶もジャムも美味しかったけど、多分、涙でそれどころじゃなかったと思う。


 ____バタンッ!!


「……ひゃっ?」


 ふと、私はダイニングルームの扉が大きく閉まる音を聞く。


 ……びっくりした。


「どうした、ドゥーシャ?」


「……ん……な゛んでもない゛です」


 お兄様はそれどころじゃなかったのか、音には気が付いていない様子だった。


 何だろう、誰かいたのだろうか?


「ゆっくりと飲めよ。おかわりもあるし」


「……うん」


 だがそんな事も、紅茶とお兄様の笑顔で流されてしまう。


 今はただ、この時間が幸せだった。

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